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アルトの一日(完)

「ありがとうございました」

 最後の客を笑顔で美月が送り出したのは、夜の八時を少し回ったくらい。ドアに掛けてあったプレートを『Open』から『Closed』にひっくり返し、ドアの小さなガラス窓にカーテンを掛けて本日の営業は終了だ。後はレジを閉めと掃除等の雑事を終わらせれば、美月の一日は終わり。

「お疲れ様でした、美月さん。お掃除はしておきますから、お金の方をお願いします」

 そう言って掃除道具を片付けている事務所兼倉庫へと姿を消す祖父の背中に、「はーい」と少々気の抜けた声で返事を送る。

 お金を扱う仕事も半年くらい前までは和明がしていたのに、最近ではすっかり美月の仕事となってしまっている。これではどちらが経営者なのやら……と思うが、少しずつ大事な仕事を美月に任せているのだろう。そろそろ、引退というのも考えているのかも知れない。

 そんなことを思っていたのは、今日も一日、だらだらと店の中をうろうろ着くだけで終わらせた妖精さんだ。彼女は美月がレジに入ると、足を投げ出し座っていたテーブルから飛び上がり、ふわふわとレジの方へと飛んでいった。

「和明は本当に美月にこの店を譲るつもりなのかしらね?」

 ふわりと真綿のような軽いステップで美月の肩に止まったアルトが、レジのお金を数える美月の耳元で小さく呟いた。

 美月はそんなアルトに気づくはずもなく、真剣な顔でお金を数え、日報代わりのメモにその金額をかき込んでいる。アルトもその美月の視線にあわせ、決して少なくはない札束と帳簿との間で視線を動かしていた。

「あら、美月、そこ間違えてるわよ?」

 入金の所へ書くべき金額を、出金の所へと書いている美月にアルトが声を掛けた。しかし、その声が耳に届かない美月は、気づくこともなく忙しそうにペンを走らせ、間違えたまま計算を続けていった。

「まっ、これも経験よね」

 ひと言呟き、妖精は妹分をあっさり見捨てることにした。何事も経験である。別にめんどくさいからって訳ではない……多分。どうせ、最後には計算が合わなくて、嫌でも気がつく。その時に慌てた姿を見るのも楽しいわね。少々意地悪な気分で、真剣な美月の横顔と間違えたままのメモ帳とを交互に視線を送った。

「いつ気づくのかしらね……」

 そろそろ、最後の計算の部分に達する頃。しかし、美月は一向に気がつく様子がなく、お金を数えていた手を電卓へと動かし、パンパンとピアノでも弾くかのように叩き、電卓のはじき出した金額を見て一言。

「ふぅ……ちゃんとあいましたね、今夜は。でも、今日はちょっと売り上げが少ないかしらねぇ……」

 と、達成感あふれる笑顔できっぱりと言い切った。そりゃ、計算を間違えてるんだから、売り上げも少ないって。

「えぇぇっ!?」

 こうなると慌てるのはアルトの方である。絶対に一カ所は間違えているはず。自慢ではないが、この店に何十年も生息していて、毎晩、レジの精算を眺めていた経験から言って、美月が間違えていることは間違いない。と、言うことは、単純にお金を数え間違えているか、アルトが気づかないところでもう一カ所間違えていて、結果手に妙な感じで帳尻が合ってしまっているとしか、考えられない。

「ちょっと、美月! 間違えてる、間違えてるって!!!」

 長い美月の黒髪を腕に絡め、ぐいぐいと何度も髪を引っ張るが、終業の開放感に浮かれた美月にアルトの言わんとしていることは全く通じない。

「もう、アルト、あまり髪を引っ張らないでください。抜けちゃうじゃないですか?」

 アルトにかまって貰ってると思っているのか、美月の口調は楽しげにクスクスといくつも笑いをこぼし、髪にまとわりついたアルトをふりほどくように薄暗い店舗の中で踊るように脚を動かし続けた。しかし、ここで振り落とされてしまっては、本当に大変なことになってしまう。

「普段はあまり遊んでくれないのに、今夜は珍しいですね。何か良いことあったのですか?」

「いや、逆なのよ美月」

 いくら言ったところで、このボケねーちゃんは一向に気がつかない。それどころか、よっぽどアルトに遊んで貰うのが嬉しいのか、美月の顔はニコニコしっぱなし。

「おや、美月さん、どうしたんですか?」

 美月の陽気な声に気がついた和明が、掃除をしていたキッチンから店舗の方へと顔をのぞかせた。

「あっ、ちょっと、和明! 美月ったら、精算間違えてるのに気がつかないのよ!!」

「ええ、なんだか、今夜はアルトの機嫌が良いみたいで、遊んでくれてるんです」

 二人の言うことは全くの正反対ではあるが、和明の耳に届くのは美月の声だけ。

「それは良かったですね。では、私は先に休ませて貰いますよ。お休みなさい、美月さん。アルト、美月さんのことをよろしくお願いしますね」

「ちょっと和明!! あんた、なんでこう言う時に普段の勘の良さが働かないのよ!! 待ちなさい!!!!」

 喉を潰さんばかりに叫ぶアルト、しかし、救いの神の営業はもう終わってしまったようである。残業しなさい、救いの神。アルトは絶望的な気持ちで、二階へと上がっていく和明の年の割にはしゃんとした後ろ姿を見送るしかなかった。

「でも、遊んでくれるのは良いんですけど、私もこれからお風呂入って寝なきゃいけませんから。ごめんなさい、アルト」

 そう言うと、アルトがつかんで居るであろう髪を軽く引っ張り、そこからアルトを払い落としてしまった。相手が良夜の髪ならば、髪が頭皮諸共抜け落ちんばかりに引っ張るところだが、相手が美月ではそれも出来ず、アルトの体はぽとりとテーブルの上に落ちるしかなかった。

「美月~~~間違えてるってば~~~」

「お休み、アルト。また明日素敵な歌を聴かせてね」

 姿の見えないアルトに向かって、上機嫌な声を掛け、少し乱れた髪を手で整えながら、踊るように二階へと続く階段をトントンと上っていくのであった。

 

「あぁ……私って薄幸の美少女よね」

 ぽっつーんと全ての明かりが落とされた薄暗い店舗に取り残されたアルト。気分は意地悪な継母に虐げられているシンデレラである。年齢不詳で最低三〇年以上は喫茶店に生息し続ける妖怪変化のたぐいの分際でそんなことを言うのだから、結構余裕がある。

「と、浸ってても仕方ないわね。仕方ない、直してあげましょう」

 店の中のことは全て把握している、現金と日報がどこに片付けられているかももちろん知っている。直すことは出来なくても、間違えてるところを指摘しておけば、明日にでも気がつくだろう。

 確か、日報はレジの下にある引き出しにまとめて入れているはず。さっきも美月がそこに今日の分を入れていたのは見た。そこに入っているのは間違いない。間違いないのだが……しかし、その引き出しのつまみはアルトの顔よりも大きく、ペンやハサミなどを初めとした店内で使う文房具のたぐいが少なからず押し込まれていて(アルトにしてみれば)非常に重い。

「うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!! くぅ~~~~~」

 ぶら下がってみた、女の癖に恥ずかしげもなく大きく足を開いて全身の力を使って引っ張ってみた、飛んで引っ張ってみた、引いてダメなら押してみた、殴ってみた、蹴ってみた、罵倒してみた、念力に目覚める努力もした。

「無理ね、私の力じゃ開かないわ」

 三〇分以上かけてそれだけを理解した。両肩にずっしりとのしかかってくる敗北感と疲労感の代わりに、一つ賢くなったような気がした。やはり、非力な細腕でこんな重労働をするのが間違えている。元々私は頭脳労働に向いたホワイトカラーの妖精なのよ。だから、悔しくなんてないのよ。全然悔しくなんてないわ。

「美月、呼んでこようかしら……」

 ちらっと時計に視線を移すと九時少し過ぎ。お風呂に入る準備をしている頃だろうか? まだ、寝ては居ないはず。しかし、あのボケねーちゃんに話が通じるのだろうか? と言うか、さっき通じなかった、力一杯。やる前から疲労感が増してきたような気がする。本当に育て方を間違えたわね。見てただけだけど。

 それならば、とパタパタと羽を羽ばたかせ、真っ暗な階段を舞い上がり、和明の部屋の前までやってきた。こちらならまだ、意思疎通の自信がある。なんと言っても何十年もの長いつきあいがある。高々二〇年のつきあいしかない美月とは築き上げてきた歴史が違う。

「和明~~~和明~~~」

 声で呼んだところで通じないことは分かり切っているが、一応呼びかけつつ、体当たりのような激しいノックを繰り返す。通信教育で身につけた蒙古覇極道である。しかし、中から一向に返事はない。

「和明!!ちょっと、おきなさい!!」

 何度も何度も、白い肩が赤くなるまで体当たりを繰り返しても返事は全くない。

「おかしいわね……年齢的に中で死んでたりして……」

 ちょっと怖い予想が頭をよぎった。それを追い出すように数回頭を振い、小さな耳をドアにぴたりと密着させる。

「すーーー……ふぅ~~~~~美味い……」

 深呼吸のような呼吸音、呟くセリフ……妖精ははっきりと理解した。

「煙草を吸ってやがる……美月にチクるわよ!!!」

 大声で怒鳴りつける! そして、その怒りのあまりに力一杯ドアをけっ飛ばしたら、つま先がものすごーく痛くて、思わず空中でもがき苦しんでしまった。肩も痛いし、もう、ズタボロ……知らん顔して寝てしまいましょう。後で、美月がもがき苦しめば良いんだわ。間違えた美月が悪い、うん、私は悪くない。自己正当化終了!

 

 と、言うわけで、真新しいタオルが片付けられた戸棚を今宵のベッドに、いつものようにすっぽんぽんになるとそのタオルの隙間に潜り込んだ。柔軟剤をたっぷりと使ったタオルは素肌を優しく包み込み、アルトを心地よい眠りに……全然誘わない。

「気になるわ……ものすごく気になる……」

 タオルのベッドの中で寝返りを打つこと数十回、その間数えた羊の数は優に三百を超えた。

「どうしましようかしら……お金、数え間違えてるわよね……多分」

 ころころとタオルの間で何度も寝返りを打ちながら、善後策を考え続けるアルト。しかし、その無駄知識だけは大量につまっている小さな脳みそから良いアイデアは出ることもなく、ただ、時間だけが過ぎ去っていた。

「都合良く良夜が遊びに来ればいいのに……」

 人間、追いつめられるとあり得ない可能性にかけてみたくなるものだが、こう言うのは妖精も同じ様だ。しかし、とっくに閉店してしまっているアルトに良夜が来るはずもなく……

「あっ、来ないのなら、呼び出せば良いのよね」

 ピーンとひらめいたアルトはモゾモゾとタオルのベッドから這い出し、ある計画を胸に抱きキッチンへとその羽を羽ばたかせるのであった。

 

「んっ~~~つまんねーゲームだったなぁ……」

 地雷だと言うことは体験版をやった時点で何となく予想していたが、まさか、ここまで地雷だとは思っていなかったよ、スピ○ん……予約締め切る前にWeb体験版出せよな!○use。などと、作者の魂の叫びを代弁した良夜がPCの電源を落としたのは、十時少し過ぎ。風呂入って眠るか、それともテレビでも見て気分を紛らわせてからにするか……ネットの漫画でも読むか……そんなことを悩んでいるところに良夜の携帯が心地よい電子音を鳴らせた。

 パソコンデスクの前に座ったまま、放置されてた携帯電話に手を伸ばす。パカンと開いたら、ボタンを押して、耳に当てた。

「はい、浅間です」

「……」

「もしもし? 浅間ですけど?」

「………………………………」

 携帯電話の向こう側の向こう側は完璧な沈黙。ゲームは地雷、そして無言電話。今夜はさっさと寝ろって言う神様の思し召しだな。

 ピッと携帯の通話を切ると、良夜はテレビを見ることなく風呂場へと足を向けた。

 

 なるほど、鈴虫の鳴き声は電話では聞こえないって言うけど、まさか、妖精の声も電話で通じないとは思わなかったわ。新たな発見ね、今夜はめきめきと知識がついていく。ってこんな知識いらないわよ!

 今時ちょっと見ない黒電話の前で、アルトは流石に途方に暮れていた。ここは喫茶アルトのレジ横に置かれた電話台。身の丈ほどもある大きな受話器を持ち上げるのに十分、更にダイヤル式の電話で良夜の携帯番号十一桁を回すのに更に五分、十五分も掛けて一生懸命電話を掛けたら、声は通じなかった。ちょっと泣いちゃう。

「はぁ……本当にどうしたらいいのかしら……」

 ペタンと上げたままの受話器の上に腰を下ろし、ボーッと薄暗い店舗の中を見渡して、大きなため息をつく。ため息をつくと幸せが逃げるって言うけど、今の私に逃げるほどの幸せがあるのかしら? 薄暗い店舗の中でため息などをついていると、更に陰鬱な気分になってくる。

 こんな事になるのなら、最初から教えてあげれば良かったわねぇ……と、思ったところで後悔先に立たずと言う奴である。仕方ない、もう一回、美月に伝える努力をしましょうか……どうにも自信がないのだけど。

 と思ったところに、ばんばんというドアを叩く音。

「アルト~お前だろう? さっきの無言電話」

 呆れたような口ぶり、聞き慣れた声。

「あっ、良夜! 今開けるわ!!」

 慌てると余計に開かない鍵を開き、良夜を店の中に迎えるのにたっぷりと十分の時間が必要だった。

「良夜! 良かったぁ~~~あのね!」

「……まあ待て、アルト……一つ言わせてくれ……」

 やけに赤い顔の良夜は、アルトから微妙に顔を背けるような、伺い見るようなそぶりを見せたら、彼はひと言だけ言った。

「……真っ裸で寝るのは止めろ」

「!!!!!!」

 

「えへへ……一万円札がこんな所にありました」

 美月がレジの奥に潜り込んでいた一万円札を恥ずかしそうに顔の前で広げてみせる。

 良夜の通訳(?)で自らの計算間違いをようやく理解した美月が、恥ずかしさと申し訳なさとで半べそかきながらレジをひっくり返した結果、その奥からくしゃくしゃに丸まった一万円札を発掘するのはそんなに長い時間は必要なかった。

「しかし、よく、私の電話だって解ったわよねぇ……」

 お詫びの印に美月が煎れたブルマンをストローで味わっていたアルトが、同じく美月の入れたブレンドを飲んでいる良夜に声を掛けた。素っ裸を見せたショックが抜けきってないのか、アルトの顔は未だに少々赤い。

「携帯電話には番号通知って言う便利な機能があるんだよ。それで掛け直したら話し中だし……まあ、それで来てみたって訳」

 ついでに自分のコーヒーも煎れて飲んでる美月は、良夜の独り言を聞きながらものすごい居心地の悪さを味わっていた。

「本当にごめんなさい……こんな時間に呼び出して……」

「あっ、良いですよ。丁度、気分転換もしたかったところですし。それに面白いものも……」

「良夜、今すぐ忘れないと……その目、えぐるわよ?両方」

「えっ、何があったんですか?」

 アルトの声が聞こえない美月が不思議そうに小首をかしげると、お風呂上がりのシャンプーの香がほんの少しだけ良夜の鼻に届いた。

「あっ、なんでもないですよ」

 アルトの裸をさっ引いても……来て良かったかな?良夜はその香に鼓動が少しだけ早まるのを感じてそう思った。

 こうして、喫茶アルトの穏やかな、でも、少しだけドタバタとした一日はおしまい。

 またのご来店を心よりお待ち申してあげております。


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