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陽(完)

 一人の女子高生が大勢の女子高生の間を縫うように歩いていた。急ぎ足で歩くたびに揺れるのは、肩口で切りそろえた野暮ったい髪と細身の体にはアンバランスなほど大きな胸。細身の体に大きな胸はグラビア雑誌から抜け出してきたよう。ナイスボディをセーラー服に包み込んだ彼女は、胸に書類を抱き目的地――生徒会室へと急いでいた。

 急ぎ足で歩く頭の中には本日これからの予定で一杯。あれしてこれして、それしてたら時間が足りないからそっちは明日に廻して……好きで始めた役割ではないが、与えられた責務は可能な限りこなす。こなすための時間が全然足りない。

「……! ――!」

 思考を中断させる声が彼女の耳を刺激する。急いでいるのにと頭の片隅で浮かぶ感情に蓋をして、彼女は足を止めた。

「はい?」

 ぱしゃっ!

 振り返った刹那にアナログカメラのシャッターが切れる音と光るフラッシュ。止めた思考も消し飛ばしてしまう威力に、キョトンとした表情を彼女は見せた。

「はい?」

 自覚できるほどの間抜け顔。キョトンとしたままで友人、写真部部長にして卒業アルバム制作委員会会長の顔を大きな一眼レフ越しに見つめる。

「赤面症の生徒会長の写真Get! って……反応、うすっ!」

「あの……わたくしの写真を撮って何が嬉しいのでしょうか?」

「だって、あんた、仕事中の写真取らせてくれって頼んだら、すっごく嫌がったじゃない?」

「いや、と言うわけでは……ただ、照れますので……」

 だから不意打ちか……と少々うんざりした気分で歩き始めれば、その友人も彼女と肩を並べて歩き始める。先ほどまでと同じく、少し早めの歩調。今の彼女に友人とのおしゃべりを楽しんでいる時間はなかった。

「生徒会長にでもなれば、あんたのその赤面症も治るかと思ったんだけど」

「……大きなお世話です」

 お節介な友人に溜息一つ。彼女はこの友人の手管で気がついたら生徒会長をやっていた。しかもやらされている理由が、人前に出ればあがり症も治るだろうというショック療法のため。こういう悪巧みだけは得意な友人だった。

「結局、治らなかったねぇ~あんたのあがり症。スタイル良いのにもったいない」

「はぁ……そう言う目で見られるから嫌なのです」

 またもや大きな溜息と視線をファイルを抱く胸元へと落とす。人より発育が早くて良いこの体。妙に目立ちすぎるわ、注目を浴びるわ……気がつけばあがり症の赤面症、羨ましがられる理由なんて、彼女自身には全くない。

「歴代初めてだよ。任期中、一度も全校生徒の前で挨拶しなかった会長なんて」

「……一度はしました」

「上がりすぎて貧血起こした奴?」

「あう……」

 思い出すだけで顔が赤くなってしまう、就任挨拶事件。壇上に上がって注目を浴びた途端、意識が遠くなってそのまま背後にひっくり返って、ひっくり返った拍子に頭ぶつけて救急車で運ばれて……ひと思いに殺して欲しいと思うほどに恥ずかしい事件は彼女の心に深い傷を付けた。

「わたわたわたわたわたくし~~~~!!」

 友人が早口で「わたわた」と何度も続ける。それは彼女が就任挨拶でやってしまった『挨拶』の物まねだ。友人が『わたわた』というたびにあの時の事がまざまざと思い返され、彼女の顔が火の着いたように熱くなってくる。なお、この事件の後、彼女は「ぬいぐるみ会長」と呼ばれるようになった。「綿」ばっかりだから「ぬいぐるみ」という洒落。

「余計にあがり症が酷くなりましたわ……」

 力一杯溜息をつく。残りの人生、絶対に人前での挨拶なんて出来ないだろう、そんな確信を抱くに至った任期だった。

「あはっ、じゃぁ、写真焼いたらスナップにしてあげるから、機嫌直してね」

「はい、待ってます」

 生徒会室前で立ち止まり、三軒向こうの写真部部室へと向かう友人を見送る。

「じゃぁね、綾音!」


「論より証拠」

 陽が胸ポケットから一枚の写真を撮りだし、良夜と直樹に見せる。見せられた写真に三人、アルト、良夜、直樹の思考はただ一つ。

『『『この人……誰?』』』

 いや、それが誰なのか知識としては判っている。陽の隣でその写真に唖然と目を奪われているポチャ系美人であると。しかし、そのポチャ系美人が二年半前はモデル系美人だったと言う事実を信じられない、もしくは信じたくない。

「なっなっなっなっなっなっ!!!」

 あんぐりと口を開いて、綾音は写真を指出す。何か、多分「なんで持っている?」と言うような事を言いたいのだろうが、その言葉すら出てこないようだ。

「落ち着いて深呼吸」

「うひっ!?」

 脇腹を一つまみ、綾音の体がタコのようにストゥールの上で踊りくねる。陽が指を動かすたび、綾音の体がくねくねと踊り、そのたびにストゥールがぎしぎしと嫌な音を立てて重心を前後左右に揺り動かす。どんなに動いても転ばないのは、陽が反対の手で綾音の体を支えているからだ。まあ、落ちないように支えていると見るか、逃がさないように押さえていると見るかは、見る人間の心根次第。

 陽の「ゲイバー」発言で盛り上がったフロアも一段落。アルバイトで稼いだ日銭とそれを元手にパチンコで一発当てた資金で今日も今日とて陽は大食い。三時のおやつにミックスピザとコーヒーを注文、それを待つ間の話題は良夜が少し前からずっと抱いていた疑問だった。

「良く……太らないよな?」

 大学にいる間だけの食事量だけで良夜の軽く二日分、なのに陽のスタイル……いや、体型は非常に細身。太って服が着られなくなったと大騒ぎをした経験のある誰かさんの顔に一瞬だけ視線を投げて、良夜は尋ねた。

「……どうしてこっち見るのよ。刺されたいの? マゾなの?」

 頭の上からアルトの脹れた声が聞こえるも、それについては聞こえない振り。聞こえない振りをすれば、彼女は「フンッ!」と声を上げて、良夜の髪の毛を数本引き抜く。

「って!」

 小さな声で悲鳴を一つ。事情を知ってる直樹だけが少しだけ苦笑いを浮かべるが、陽と綾音は不思議そうな顔で良夜の顔を覗き込むだけ。その二人に良夜が「何でもない」と言ってごまかすと、陽は改めて良夜の問いに答えた。

「綾音ちゃんが代わりに太ってる」

「! そんな事ないありません!」

「論より証拠」

 と、こんな感じで提示されたのが先の写真、スレンダーな巨乳美女がキョトンとした顔でこちらを向いている写真だった。何でも、綾音の家に遊びに行った時、彼女の母親から「良い物を見せてあげる」と言われて貰った写真らしい。

「たったしかに、卒業してからほんの少し……僅かに……ああ……大幅にと言いますか……」

 言いよどむように綾音は言葉を選ぶも、結局、太ったという事実は隠せない模様。消え入るような声で「太りました」と言葉を続けた。

「魅力ドン、さらに倍」

「つっつままないでください!」

「残念」

 写真の頃にはなかったであろう脇腹のお肉を、綾音が脇を締めて肘でガード。つまめなかった陽はあからさまに落胆の表情をしてみせた。

「ダイエットの失敗ですか? ダイエットは――」

 今回の美月は左手にボール、右手の生卵という姿で登場。手元を全く見る事もせず、片手だけでパカンパカンと卵を割り、それを泡立て器で一気にかき混ぜていた。そんな美月の顎が一気に天井に向けて跳ね上がる。上がった顔の背後から彼女の髪を掴んだ貴美が顔を出した。

「三回目になると見てる方も飽きっから……ッと、お待たせしました。特製ブレンドが三つ、キャンブリックティです」

 美月の髪の毛を掴んだ貴美が、カウンターの前にトントンと煎れたての飲み物を置いていく。一部ではブルマンよりも美味いと言われる特製ブレンドは三人の男の前に、ミルクティの味を蜂蜜で調えた甘いキャンブリックティを綾音の前。そしてとどめの一品を取りにキッチンへと彼女は帰っていく。

「良夜さーん、助けてくださ~~~い」

 こんな感じで悲痛な泣き声を上げる哀れなチーフをズルズルと引きずって。

 そして、貴美は帰ってきた。

「ミックススペシャルピザ四十センチ、お待たせしました」

 直径四十センチの巨大なピザを持って。

 薄手の生地をオーブンでパリッと焼き上げるのが喫茶アルトのピザ。上にはベーコン、サラミにツナ、イカ、コーン、ピーマン、スライスジャガイモ、玉ねぎエトセトラエトセトラ、様々な具がたっぷりと乗る。それが四十センチ。見てるだけで胸焼けしてくる迫力がそこには存在していた。

「頂きます」

 パチンと手を合わせて一礼、熱々の焼きたてピザは早食いが得意の陽でもハフハフと食べずには居られない代物だ。トロトロに溶けたチーズをたっぷりと伸ばしながら、彼は嬉しそうにそれを頬張っていく。

「食べる?」

 ピザを一切れ、陽が摘み上げ、それを綾音の口元へ。あーんと言った雰囲気に綾音の顔がピザソースよりも赤く染められる。彼女は自分で……と言うが、陽の方も引きはしない。にこやかな笑顔を浮かべたまま、形の良い唇に三角形の頂点をちょんと触れさせる。触れれば我慢できないのは誰でも同じ。控えめに口を開くと最初の一口をパクリ。一口食べれば、二口三口と続いていき一切れぺろり。

 幸せそうな構図と言えばこれ以上にない幸せそうな構図だ。

「当てられますよね」

「お前らも似たような感じだ……」

「吉田さんが食べ物を別けてくれるなんて事あるはずないじゃないですか……僕のは問答無用に取り上げられますけど」

「方向性が違うだけで、似たような物よ」

「――と、アルトも言ってる」

「そうですか……気をつけます」

 ボソボソ、ゴニョゴニョ……コーヒー片手に、直樹と良夜が額を引っ付けてささやき、二人の顔の下からアルトが見上げて会話に参加。仲良くピザを食べる陽と綾音をちらちらと見ながら、三人は会話を続けていた。

 のだが。

「合い挽きハンバーグのスパイシーハンバーガー追加」

 低く特徴的な声で宣言すると、糸を引かれたマリオネットのように三人の顔がクイッと一斉に動く。動いた方はピザを咥えて固まっている綾音と四十センチのピザをぺろっと食べながらも、未だに名残惜しそうに空になった巨大な皿を見つめる陽の姿があった。

「食う食うとは思ってたけど……」

「凄いわね、さすがエンゲル係数百六十パーセントの男」

「僕、あれ一枚あったら四食は行けますよ」

 覚悟は決めていたが、彼のそばにいたら飯は食えないな、と思う三人。コーヒー以外何も注文しなくて良かった、と彼らは自らの賢明さに感謝をした。もっとも、アルトは注文も糞もないのだが。

「綾音ちゃんが一切れ食べたから。補充」

「……おね――いえ、陽さんが押しつけた癖に……」

「だから、これは綾音ちゃんのおごり」

「おごりません……」

 等々、ちょっぴりもめても結局は陽がハンバーガーを食べる事は決定済み。ものの数分も経たぬうちに、手の平ほどにもあるような大きなハンバーガーがどーんと陽の前に置かれる事になった。

「頂きます」

 二度目の宣言を下し、陽はぱくっとかぶりつく。アルトのハンバーガーはハンバーグセットで使うハンバーグと同じ合い挽き肉、ブタと牛の絶妙なブレンド加減が非常に美味しい一品なのは、良夜もよく知っている。これにちょっとしたデザートでも付ければ、良夜の昼飯は終了になる大きさなのだが……と言う事を考えていると気分が悪くなるので、出来るだけ考えないようにする。

「食べる?」

 かじったハンバーガーを綾音の口元へと運び、再び微笑む。あーんと言った雰囲気に綾音の顔が(以下略)

 その事実に気がついたのは、実はずーっとカウンター席の様子をうかがい見、盗み聞きしていたウェイトレス吉田貴美だった。仕事の合間を見つけたのか、彼女は綾音のもぐもぐと動く唇を覗き込みながら、

「あのさ、あやちゃん……」

 と、珍しく言いよどむような口調で声をかけた。

「……んっ、ふわぁ……はい、何でしょう?」

 口いっぱいに頬張っていたハンバーガーをごくんと飲み干し、彼女は横から声をかけてきた貴美の顔を見上げる。

「もしかして、ひなちゃんが食べるもの、全部、一口ずつ貰ってた?」

「えっ……ええ……量が多い物は特に」

「もしかして、太りだしたの……ひなちゃんと付き合いだしてから?」

「えっと……そう……かも……」

 指折り数えて計算してみるのは、過ぎさりし日々と共に増え続けてきた自らの体重か? 一通り計算し終えると、綾音は猛烈に居心地の悪そうな顔をしてこくんとうなずく。そしてうなずいた後に、貴美と同じ結論に達したのか、彼女の顔色から血の気がひいていく。

「……そりゃ、太るわ……」

 貴美の呟きにカウンター席は静まりかえる。聞こえるのは一人我関せじと陽がハンバーガーを租借する音だけ。

「本当に陽の代わりに綾音が太ってたのね……」

 聞こえていないはずの呟きが合図になったかのように、綾音が両手をテーブルに叩きつけて立ち上がる。お冷やを注いだカップがかたんと小さなステップを一回踊り、それを押さえる代わりに陽が持ち上げる。そして、一滴もこぼすことなく一気飲み。

「もう、頂きません!」

 ガッシと拳を握って、綾音は大仰しく宣言した。

「無理。綾音ちゃんの意志は発泡スチロールよりも脆い」

 その宣言を即座に否定する陽のお隣で……


 そして翌日、喫茶アルトでは、やっぱり陽から一口貰っている綾音の姿が観察された。

『残念、賭けてれば良かった』

 深い絶望の淵を覗き込む綾音の横、メモ帳を掲げて微笑む女装青年の姿もあった。

「乗る奴、居るのかしらね……私なら乗らないわ」

 アルトの問いに誰もが首を振るのだった。

 綾音が高校時代のスタイルを取り戻す日は……多分、来ない。


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