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出会いは三月(1)

 第一志望だった大学は落ちた、それはもう、見事に落ちた。第二志望だった大学も落ちた。第三志望の大学で何とか引っかかった。めでたいんだか、めでたくないんだか、微妙に解らない気分で彼――浅間(あさま)良夜(りょうや)は築三年家賃三万のアパートに引っ越してきた。

 大学まで歩いて五分、二十分も歩けばスーパーと本屋とゲーセン。他には田んぼと学生向けアパートしかない。平たく言えば……ド田舎、である。勉強するためには都合の良い立地条件なのかも知れない。ちなみに駅までは歩いて三十分かかる。大学の立地条件としてはあり得ないほど最悪だ。

 歴史のある私大で、ソコソコの人間が通っているはずなのだが、何故、ここがこんなにもド田舎なままなのか、それはこの大学の七不思議にも数えられているらしい。と、彼が入学した後に知ることになる。ちなみに一つしかない、と言うのが二つめの不思議。色々と矛盾してる。

 丘と言えば高すぎる、山と言えば低すぎる、微妙な標高の山(と、地図には表記されている)の中腹に大学はあり、彼のアパートはそこからさらに数分上った頂上付近にある。

「田舎、だよな……」

 山積み段ボールがそのままに放置された自室、そこから見える景色だけは素晴らしい。田んぼと上るのが嫌になる坂道とスーパーと遙か遠くに今、自分が居る名ばかりの山と比べるのもおこがましいような立派な山しか見えないけど。夜になったら、真っ暗になりそうだな、この辺……

 こんなところで四年も過ごせるのだろうか? と、かなり不安になってくる。こう見えても寂しいと死んでしまうウサギのような男なのだ……と、両親に言ったら三十分は笑い転げられた。ちなみに身長百七十五センチ、体重六十四キロ、立派な体つきである。

 グゥ……昼も食わずに荷物の搬入をしていたおかげで、腹が軽く減っている。寂しいと死んでしまうウサギのような男(自称)は空腹でも死んでしまう、普通の男でもあった。

 財布の中身は諭吉さんが一枚と英世さんが数枚、そして久しぶりに見た清少納言さんが一枚。清少納言さん、久しぶりに見たな……まだ、印刷されてるんだ? このお札、と目頭が少し熱くなる思いで財布をポケットにねじ込む。せっかく、清少納言さんを見つけたので、今日の昼飯はこの一枚で食えるだけくっちまおう。高校時代の小遣いを五千円でやりくりしていた彼にとっては、とんでもない贅沢である。

「……ファミレスなんて気の利いた物はないよな」

 どう考えてもない。少なくとも、今朝、駅から大学を越えてアパートへと続く道を歩いている時に見かけた記憶はない。清少納言さんを昼に突っ込むと考えると、牛丼屋という選択肢はない……選択肢の前に店もないけど……

 駅方向へ続く道に店がなかったのだから、選択できるルートはその反対ルートしかない。反対ルート……峠を越えていく道……さらに田舎へと続く道じゃないか?これで峠を越えたら繁華街だった、って事になったら大爆笑だ。密林だったって事になったら泣いちまうけど。

 峠を越えるまで五分、越えたらやっぱりなんの変哲もない下り道の国道。意外性も何もない、意外性がないから田舎なのだ。が、さらに数分歩くと、一件の古びた洋館があった。どう考えてもただの民家ではない、なぜなら、入り口に『Cafe ALT』と小さな、それで居てしっかりと自己主張をしている看板が掲げられているからである。

 アンティーク喫茶というのが一部で流行っているらしいが、アンティークに建てているのか、立っている間にアンティークになっちまったのか、それを判断できるほど、彼に建築物に関する知識も見る目もない。とりあえず、軽食くらいはあるだろう。一食二千円を超えるようなら、コーヒーだけ飲んで出てこよう。コーヒー一杯二千円オーバーだったら火をつけてやる。適当に枯れてて、良く燃えるに違いない。空腹は人を凶暴にする。

 やっぱりアンティークなのか、アンティークになっちまったのか解らないドアを開くと、カランカランという乾いたドアベルの音が店内に響き渡る。どこもかしこも、やっぱりアンティークなのか、アンティークになっちまったのか解らないような作りと家具で占められた広い店内。主な客は大学生なのか、春休み中の今は閑散としている。

「いらっしゃいませ」

 店主は確実に生きてるうちにアンティークになっちまった人間だ。これだけは間違いない。カウンター席に腰を下ろし、グラスを拭いていた老紳士という表現がぴったりな店主の前に腰を下ろす。

「なんにしましょうか?」

 手渡されるメニュー、まあ……普通の喫茶店のメニューだ。

「……それじゃ……サンドイッチのセットと……チーズケーキ」

「はい」

 静かに返事がされ、老紳士がキッチンへと引っ込む。周りを見渡しても、他にサラリーマン風の客が一人いるだけ。大学が始まったらもう少しは入るのかな? 客が入らないほどにアレな店だと嫌だな。

 それから待つこと十分、老紳士が持ってきた大きめの皿には、多めのサンドイッチとサラダのつまったカップ、そして……小さな羽の生えた少女の人形が乗っていた。

 アンティークな洋館には似合っているのかも知れないが、老紳士にはとてもじゃないが似合っていない。どういう趣味をしている人なんだ? と、軽い疑問を感じるが、とりあえずは、気にしてないふりをしよう。人の趣味に口を出してはいけない、へたに語られると辛いし。

 卵サンドを手に取り、口に運ぶ。極普通の卵サンド。ほのかに暖かいところを見ると、作り置きではないようだ。塩胡椒の効き具合も美味しい。しかも、量はかなり多め。そして、コーヒー……うん、良い。あまりコーヒーに詳しい方ではないが、それでも解るくらいに美味しい。人形も可愛い物だし、アンティークな洋館にはお似合いだと思えなくもない、女子大生なら喜ぶだろう。

 これは良い店を引き当てた。とりあえず、四年間の食生活はここに任せても良いかもしれない……もっとも、三食ここで食えば、破産一直線なのは間違いないが。

 と、サンドイッチを数個食べたところで、人形へと視線を移すと、あったはずの人形がなくなっている。と言うか、動いてる。

 しかも、それはマイストローらしき物で、ホットコーヒー(もちろん良夜の物)をチューチューと飲んでいる。

「…………」

 人間、あり得ない物を見ると、思考が止まるというのは本当らしい。

出来るだけ見ないようにしながら、サラダのために用意されたフォークでその物体をコーヒーカップからはじき飛ばす。

「キャッ!」

 ……このサンドイッチ、やけに美味いと思ったらヤバ目の白い粉が入ってたんだ……

 フォークの先端でその奇妙な物体の腹を押さえつける。押さえつけられたそれは、フォークを両手で抱え込み、じたばたとあがいている。だけではなく、何か抗議している。

「妖精殺しぃ~~~妖精殺すと呪われるわよ! って言うか呪ってやる! 単位を一つも取れないまま、惨めに留年し続けるが良いわ」

 微妙に具体的で嫌な脅迫が聞こえたような気がするが、これはきっと幻聴だ。フォークが押し戻される感覚もはっきりと感じられるし、フォークの先端をガジガジと噛んでいるようにも見えるが、これは全て幻覚に違いない。受験勉強とその失敗と引っ越しで疲れているに違いない。

 ……で、ノイローゼ? 嫌な結論だな、オイ。

「あの……このお店、妖精……なんて、居ませんよね?」

「居ますよ」

「えぇぇ?!」

 否定して欲しかったような、否定して欲しくなかったような……この場合、どっちが良いんだろう?

 否定された場合、自分がノイローゼ、否定されなかった場合、もしかして、二人でヤバ目の薬を決めちまってる?

「見えてますか?もしかして、フォークの下ですか?」

 まあ、フォークで何もない空間をグリグリしてるのだから、そこに何かあると思われて当然だろう。ただのイタイ人扱いされてたら嫌すぎる。誤魔化すか?『そんなのが居そうな雰囲気ですからね』とへらへら笑えば、聞き逃して貰えるだろう。

 しかし、その老紳士の顔が穏やかで……あまりにも寂しげな穏やかさだと感じてしまったので……

「はい……羽のある……女の子……ですか?」

 あっさりと認めてしまった。

「三十年くらい前までは、私も見えていたんです。こちらにどうぞ……」

 彼は静かにカウンターからでると、少し奥まり店内からは良く見えない位置にある席へと案内した。大きな窓と小さな二人掛のテーブル、窓からは深い谷川を挟んで、未だ春浅い山が一面に見える。日常からは完全に切り取られた空間がそこに存在していた。

「こちらでしたら、アルトと話していても誰にも見えません」

「あると?」

「その妖精の名前ですよ。あっ、この店の名前でもあります」

 と、だけ言うと、老紳士はさっさと元々居たカウンターへと帰って行った。取り残されたのは食べかけのサンドイッチとサラダに飲みかけのコーヒー……そして、妖精……は、また、彼のコーヒーをマイストローでチューチューと飲んでいる。

「……まずいサンドイッチとコーヒーの喫茶店の方が良かった……」

 老紳士が聞いたら気を悪くするような独り言をつぶやき、自称妖精……あぁ、老紳士も妖精だとは認めていたな……が、コーヒーを飲み続けるのをぼんやりと見つめていた……サンドイッチを食いつつ……コーヒーの代金も俺が払わなきゃ行けないのかな?と、未だ停止し続けている思考の中で考えていた。

「げふぅ~」

 夢も希望もないゲップを一発かまし、自称妖精が華奢なウェッジウッドの縁に腰をかける。ちなみにウェッジウッドは高級な陶器ブランド。割りでもすれば財布の中身は全て消えてなくなるかも知れない、位に高級なのに、こいつはあろう事かその縁に腰をかけて足をプラプラさせ、おそらくは木製の靴に包まれたかかとをコツンコツンとカップの腹に叩きつけ続けている。

「はい、質問ターイム」

 大きく手を挙げ、はっきりとした口調で宣言をする妖精。大きく手を挙げても三十センチを超えない当たりがもの悲しい。

「名前は? 大学生? あっ、新入生? 学部は? 年齢は? 彼女居る? それから……童貞?」

 挙げた手をちぎれそうなほどの勢いで振りながら、彼女は一息にまくし立てる。いや、もう、勘弁してください。喫茶店に住む妖精に『童貞?』と聞かれた童貞の気持ちは、喫茶店に住む妖精に『童貞?』と聞かれた童貞にしか解らない。とりあえず、フォークを奴の額に押しつけ、そのまま、コーヒーの中に押し込むことにする。童貞の怒りを思い知るが良い。

「ぎゃっ!ブクブクブク……」

 ばちゃばちゃとコーヒーの中で細く短い手足をばたつかせもがく妖精。その力がふっと抜ける。

「……やばっ、マジ死んだ?」

 一見家庭内害虫にしか見えない物体だが、それでも手足があって、ペラペラとしゃべる生き物を殺すのは目覚めが悪い。それに単位が取れずに惨めに留年し続けるのも嫌だ。

 が、よく見ると琥珀色の水面に茶柱が立っている。最近のコーヒーには茶柱が立つ……と言う話は初耳だ。

 ティースプーンを持ち、それに軽くコーヒーをかける。

「ぶはっ!? 妖精殺しっ!!! 水遁の術、練習したのに……」

 トンボのような羽も、なんだかよく解らないひらひらの沢山付いたドレスも、絹糸よりもさらに細い金髪も、端正な顔も、白磁のような華奢な手足も、全てがコーヒーまみれになった妖精が、まるで温泉にでもつかっているかのようにコーヒーカップの縁に肘をかけてくつろいでいる。

「うーん、一度、コーヒー風呂ってやってみたかったのよねぇ~ウェッジウッドの湯船でアルト特製ブレンドのお風呂……あぁ、極楽……」

 風呂には服を着て入らないと、心の中でつっこみを入れる……口に出すと、こいつは脱ぎそうな気がしたので言わない。

「お前……何者?」

 もはや、この生き物が現実に実在していることは疑いようがない。その証拠にこいつがコーヒーカップの中で暴れたおかげで、テーブルの上にはいくつも小さなしぶきの跡がついている。これも幻覚なら、かなりの重症だ。四月に入学ではなく、入院しなければ行けない。

「私はアルト。ここに住んでる妖精さん」

「アルトよりもジムニーの方が好きだな」

「リーフサス以外はジムニーだとは認めないわ」

「…………」

 後頭部にティースプーンを押しつけ再びアルトの顔を琥珀色の水面に押しつける。今度は顔が下に向いているので、水遁の術は使えない。本気で両手をばたつかせるアルトを数秒押さえつけ、スプーンを彼女の後頭部から離す。

「何すんのよ!」

「どこの世界に、スズキ車ネタに乗ってくる妖精が居るかっ!」

「ここ」

 言い切りやがった……オーケー、こいつはこういう奴なんだ。コーヒー風呂に服を着たまま入って、車の小ネタにも乗ってこれる妖精なんだ。落ち着け、俺は正常だ……正常だよね?

「知ってる?『俺は正常だ』って言い出した人間の8割は正常じゃないのよ」

「どこの調査結果だ?それと、口に出した?」

「出した。んで調べたのはアルトちゃん」

 爪楊枝並に細い指でにこやかに自分を指さし、胸を張る自称妖精さん。妖精さんはリサーチもお得意なようだ。頭が痛くなってきた

「ところで、貴方の名前、まだ聞いてない。それと、やっぱり童貞?」

 質問の数は減っているが、童貞か否かは、重要な問題らしい。本当にコーヒーの中で溺死させてやるか?

「浅間良夜、浅い深いの浅いに、床の間、良薬口に苦しの良に深夜の夜」

「ふぅん……良夜ねぇ……月の美しい夜って意味ね、良い名前だわ」

 生まれたのが中秋の名月で、外を見たらやけに大きな月が見えたからって言う理由で付けられた名前。人の名前に『夜』という字はどうなのかと思わなくもないが、18年付き合ってきた名前をほめられると悪い気はしない。

「とりあえず、四年間よろしくね。新入生くん」

 コーヒーに濡れた小さな手が良夜の指をぎゅっと強く握りしめる。

「どうして、新入生だと思ったの?」

「だって、私、貴方と初めてあったもん」

 納得できるのか出来ないのか解らない理由だ。他の可能性は考慮に入れないのか?入れてないんだろうな、こいつは。

「ちゃんと四年間通ってね。私を見られた人は十年ぶりなんだから。あっ、八年間一杯通った挙げ句、放校になってこの辺で生息するフリーターにでもなってくれたら、ずーっと一緒」

 意地でも四年で卒業しよう。

「ところで、やっぱり童貞?」

「くどい!」

 寂しくて死なずには済んだな、とりあえずは……心労で死ぬかも知れないけど。

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