夏の暑さを作り出すのは
僕は電車の中でスマホでニュースを見ていた。
「ああ、この学校負けたのか」
「なに?」
隣に座っている彼女が画面を覗き込む。
「甲子園だよ。たしかこの学校に注目の一年生スラッガーがいたんだ」
「ふーん」
彼女は興味が無い様子だった。
僕は家に帰ったらどんな試合だったか映像を見たいと思っていた。
彼女が許してくれるか分からないけど。
部屋に戻り、冷蔵庫から冷えたサイダーを取り、彼女に渡した。
「甲子園の映像みたいんだけど」
「いいよ。このサイダーに免じて」
サイダーを献上して正解だった。
僕は安心してテレビを点けた。ちょうどニュースでその試合のハイライトが流れていた。
「へえ~、こんな試合だったんだな」
僕はサイダーを飲みながら呟いた。
「腑に落ちない」
彼女の小さな声が聞こえた。
つまりそれは嵐の始まりを告げる合図だ。
「どうしてこのニュースは負けたこの選手ばかり映しているの?」
彼女はテレビの画面から目を話さない。
「だって勝ったのは違う学校じゃない? 普通はそっちをとりあげるべきなんじゃないの?」
うん。正論だ。高校野球が好きな僕もそれには薄々感づいていた。
「私、聞いたことがあるのよ」
「何を?」
「高校野球における名言よ」
彼女は学校の先生が説明するように、人差し指を天井に向けた。
「『ヒーローが甲子園をつくるんじゃない。甲子園がヒーローを作るのだ』と」
「確かに名言だな」
そして彼女は、その人差し指を左右に振りながら言った。
「しかし! 今回はメディアがヒーローを作り出そうとしている!」
「そうだね」
「これは、勝った学校を優先的に報道するルールを造らなければいけない!」
彼女は手に持っていたサイダーを一気に口に運んだ。
「高校野球はビジネスじゃない。負けたチームの頑張りを褒めて、勝ったチームから活躍した選手や注目すべき選手を伝えるのがメディアの仕事じゃないのかしら」
「そうだね」
僕はゆっくり深く頷いた。
すると彼女が突然立ち上がった。
「じゃあ、行こうか」
「どこへ?」
「もちろん、甲子園よ! メディアの力に頼ってはいけないわ!」
「嘘でしょ?」
いきなりの発案に口の中が渇いていく。
「本当よ。だから、今日泊まれるホテルを捜してね」
彼女の笑顔は、たった今口に運んだサイダーよりも刺激的だった。
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