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8・元ラグビー部員 ~その1~

 <眼鏡滅亡プログラム>に組み込まれている機能は多岐にわたり、代表的には、眼鏡の落下速度を追加させる「超落下システム」や、眼鏡のレンズに虫を飛来させる「昆虫爆撃システム」などがある。


 また、眼鏡をいくら丁寧に扱っていても必ずフレームの小さなネジがゆるくなり、最終的には外れてしまうという「あらまネジ崩壊・物質超劣化システム」などはやっかいだ。いとも簡単にネジが消える。


 さらには眼鏡をかけている人間を対象にした実験が行われており、装着している眼鏡を通して、脳に直接影響を与えることができる技術研究が進んでいる。

 ときにはその人間性を変えるほどの効果を発揮することもあり、物理的なマインドコントロールに近いところまでもっていけるのだという。


 この技術がさらに進化していけば、おそらく眼鏡をかけている全人類を掌握することができるようになるかもしれない。


     ――秘密結社・夕陽から眼球を守る会 会員 新田にった すなお



 翌日、わたしは妻とクリスマスイヴの夜を過ごすためのケーキを買いに出かけた。妻は仕事に行っていて、逆にわたしのほうは休みで一日フリーだった。

 結婚して五年になる。

 妻と二人暮らしを始めてからは、もうすっかりホールケーキは買わなくなっていた。

 子供はおらず、いまも二人暮らしをしているため大きなケーキは食べきれない。


 まずはいつもの近所のスーパーへ行き、その建物の中にある書店に入った。


 小説コーナーで、先月出版された<インフェルノ>という海外小説を手にとり、物語の参考資料として添えられたカラー写真を眺めていた。

 <ダ・ヴィンチ・コード>で一躍有名になったダン・ブラウンという作家の新作だ。

 店内には、女性誌のコーナーに数人の女性客がいただけだった。


 しばらくすると、ふいにわたしの隣に人の気配がした。

 視線を自分の足元にやると、わたしの隣に立っている人物の、よく磨きあげられた黒の革靴とグレーのスラックスが見えた。

 わたしは気にせずにそのまま立ち読みを続けた。



「ダン・ブラウン、お好きなんですか?」

 いきなり隣に立っていた男が声をかけてきた。


 男のほうを振り向くと、一ヶ月近く前にこの書店で遭遇した、ジョニー・デップもどきの元ラグビー部員だった。


 前と同じように、ジョニー・デップがかけているような丸みのある黒ぶちの眼鏡に、ぴったりした黒いニットのカーディガン姿だ。

 カーディガンの中は清潔そうな白のワイシャツに暖色系のネクタイ。耳が隠れるくらいの長めの黒髪で、筋骨隆々の体躯。


 さながら「体を鍛えまくった30代のジョニー・デップ」といった感じだった。


 それにしてもこの男は、いったいわたしに何の用があって声をかけてきたのだろう。男の表情は穏やかで、むしろ奇妙なほどニコニコしている。


 わたしは手に持っていた本を棚に戻しながら、「ええ、ダン・ブラウンの本は全部読んでるんですよ」と返答した。

「あぁ、ぼくも読んでますよ。中でも一番好きなのは<天使と悪魔>かな」

 どうやらこの元ラグビー部員は、わたしと本の好みが同じらしい。


 それにしても、この男の目的は何だ?


「ご近所のかたですか?」とりあえずわたしはその場しのぎの質問をしてみた。

「あっ……え、ええ、まぁ……。最近、このあたりに引っ越してきたんですよ」

「そうですか。ここのスーパーは本屋が入ってるから便利ですよね」わたしはさりげなく棚の本を物色しながら話を進めた。

「そうですね。他には近くに本屋さんが無いみたいだから助かります」

 男はじっとわたしのほうを見ながら話している。


 この男は何なんだ? 明らかにわたしのことを観察している。

 わたしがこの男を調査しようと思っていたはずのに、いまこの瞬間、わたしのほうが調査をされているように思えた。


 前に狼さんにこの男のことをメールで話したとき、彼女は<夕陽から眼球を守る会>の会員でそんな人は見たことがない、と言っていた。

 すると「会」の関係者ではないのだろう。では、何だ?


 仕事で会ったこともなければ、友人の知人というわけでもない。

 なのになぜ声をかけてきたのだろうか。なにか目的があるはずだ。


 やはりこの元ラグビー部員については、調査をする必要があるだろう。

 いくつか質問を投げかけて彼の反応を探ってみよう。そう考えているときに、男が質問をしてきた。

「あの……このスーパーへはよく来るんですか?」

――先を越された

「そうですね。だいたい一週間に一回か二回くらいのペースですけど」わたしは男の質問に返答した。


 男はやはりわたしの顔をじっと見ている。ときどき棚に収まっている無数の本に目をやるくらいだ。

 わたしは話すときだけ男のほうを向き、それ以外のときは本を物色しているようなフリをした。


 なにかおかしい。

 もしかするとこの男は、<眼鏡滅亡プログラム>に関連する人物なのだろうか。<夕陽から眼球を守る会>の存在を知り、その会員であるわたしを足掛かりとして、組織の調査をしようとしているのではないか。


「営業のお仕事をされてるんですか?」

 男のネクタイを見ながら、今度はわたしが質問をした。

「あ、は……はい、損害保険の営業です。きょ、今日は仕事が休みなんですけど、朝一で顧客のところへ行っていて、いまはその帰りなんですよ」


 なぜドモる? この男は、わたしが質問をしたときだけ「焦り」が出る。まるで答えを用意していなかった質問をされたかのように。

 それ以外のときは落ち着いた声で話すのにだ。

 この男の声は、いくぶん低いがよく通る聞きやすい声だった。


「あのー、よかったらなんですけど……」元ラグビー部員の声。

「はい?」

「ち……近くの喫茶店にでも行きませんか? ここで立ち話もなんですし……」


 いったい何の目的があってこの男はわたしをお茶に誘うんだ?

 たかがスーパーマーケットの中にある書店で二回ほど見かけた程度の男を、お茶に誘うものなのだろうか?

 ダメだ。読めない。この男の思考がわたしには理解不能だった。


 わたしは自分の腕時計をチラリと見た、午前10時半をまわる頃だった。

「いいですよ。行きましょうか」

 ひとまず男の誘いに乗ることにした。しばらく彼の挙動を観察することで何か見えてくるかもしれない、と考えたからだ。



 建物の外に出てスーパーの駐車場を歩いていた。元ラグビー部員は、わたしの少し後ろを歩いている。


「ぼくの車で行きますか?」元ラグビー部員はそう言って自分の車と思われるほうを指した。

 男の指の先を目で追うと、そこには白のコルベットが見えた。

 昨日の夜、自宅近くのコンビニの駐車場で遭遇したコルベットと同じだった。

 空にはほとんど雲がなく、午前中の陽の光を一身に浴びたコルベットのボディーは眩しいほど白く輝いていた。


 わたしたちはそのコルベットに乗り込み、近くの喫茶店へ移動した。

 助手席で昨夜のことを思い返してみたが、すでにわたしは、なにがなんだかよくわからなくなっていた。

 いくら考えても、この元ラグビー部員の目的が読めない。



 喫茶店に入り、わたしたちは店内の隅のほうにあるテーブル席についた。

 店の中はジャズ系の音楽がひっそりと流れていて、4人ほどの中年男性の客がホットコーヒーらしきものを飲んでいた。


 店内にいる客は、わたしたちも含めて男6人。喫茶店のマスターも入れると全部で男7人。マスターの年齢はおそらく50歳代。

 女性のウェイトレスはいない。

 素敵なコーヒーの香りとともに、なにやら加齢臭のようなものも感じ取れた。


 わたしたちはホットコーヒーを注文した。

 しばらくすると、真っ黒に染めた髪の毛をオールバックにしたマスターが、二人分のホットコーヒーを運んできた。


 店内はむさくるしいが、コーヒーの味は絶品だった。うまい。深い苦みがなんともいえない。わたしはそれだけで少し幸せな気分になった。


 平均年齢が高い店内で、元ラグビー部員が自己紹介をしはじめた。

「ぼくは、一条いちじょう 高虎たかとらと申します。33歳です。仕事はさっきも言ったように損害保険の営業をやってます。……えーと、趣味は、車と読書かな」

――ラグビーもだろう。わたしは心の中でつぶやいた。

新田にった すなおです。このあいだ36になりました。不動産会社に勤めてます」一応失礼の無いよう、わたしも自己紹介をした。


 元ラグビー部員……いや、一条は、少し身を乗り出してきた。

「すなお、ってどんな字なんですか?」

「え? あぁ。日直の、チョクですよ」そう言ってわたしはコーヒーを一口飲んだ。

「へぇ、すなおさんですか。すてきな名前ですね。ぼくよりも3つおにいちゃんだ」


 なんだこれは? なぜ30オーバーの男同士でこんな自己紹介を? しかも、お互いに名刺を出し合うわけでもなく、まるでお見合いのようなスタイルで。


 いったいこれはなんの調査なのだろう。もしやこの男は、保険の勧誘が目的なのだろうか。

 そうか。きっとそれだ。

 ということは、いまわたしは営業をかけられているのか? しかし営業をかけるなら普通はまず名刺を差し出すはずだ。


 読めない。この男の思考が読めない。

 いろんなことがわたしの頭の中を駆け巡り、どんどんがんじがらめになっていった。


 まずい。完全にこの男のペースに呑まれている。さすが外回りの営業マンは一味違う。


 軽く焦りを感じはじめたとき、わたしの携帯電話から、<HYエイチワイ>という沖縄のバンドの曲が流れだした。

 メールではなく電話の着信だ。


 一条に断りを入れて携帯電話の画面を見ると、狼さんからだった。


――まさに天の助けだ! わたしは心の中で叫んだ。



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