4・アラキ ケンシン ~その1~
狼という姓は、全国でも100人に満たないほどしか存在していないめずらしい名字らしく、どうやら千葉県がルーツになっているようだ。
おれの父、荒木 恭介と、父の同級生である狼 重則は親友だった。
身近に「狼」という人がいたから、これまであまりめずらしい名字だとは思っていなかった。
父とその親友である狼は、山へレジャーに行くのが共通の趣味だった。
還暦を迎えようかという男二人が山道を歩くのは、そうとうな体力を消耗することだろう。
おれも大学に行っていた頃に父と一緒に登山をしたことがあるが、頂上へ辿りつく頃には腿と脚のふくらはぎがパンパンだった。
狼は昔からよくウチの家に来ては父と酒を酌み交わしていた。
小学校のときからずっと一緒だったらしい。
二人共が好きだった一人の女の子を取り合っただとか、交互に告白して一緒に振られただとか、そんな話を酔いにまかせて嬉しそうに語っていた。
5年前のあの日、いつものように狼が父を誘って山へ出かけた。
どこへ登りにいくのか聞いていなかったが、二人だけで行けるようなところだと言っていたから、おれはとくに気にもかけていなかった。
その日の夜、午後10時になっても父は帰ってこなかった。いつもなら午後8時には帰ってきていたのにだ。
心配した母が狼の家に電話をかけたが、狼の娘が電話に出て、「まだお父さんは戻ってきていません」ということだった。
深夜の1時をまわり、母がいよいよ警察へ連絡しようかというところへ、狼がウチの玄関のチャイムを鳴らした。
帰ってきたのは狼一人だけだった。
憔悴しきった様子の狼は、「恭ちゃんが崖から落ちた……」と独り言のようにつぶやいていた。
父は山腹の崖下で発見され病院へ運ばれたが、脳挫傷で亡くなった。
父の告別式のとき、狼とその娘二人が参列していた。
狼には奥さんがいないようだった。
離婚したのか亡くなったのかは知らないが、どうやらいつからか男手ひとつで娘たちを育てていたようだ。
おれがガキのころはまだ奥さんもいたはずだ。
おれは狼に訊きたいことが山ほどあった。
あの日はどこの山へ行ったのか。
天候はどうだったのか。
なぜ父は崖から落ちたのか。
父が崖下に落ちたとき、あなたは何をしていたのか。
なぜすぐに119へ電話をかけなかったのか。
狼は、「気が動転していてよく覚えていない」とつぶやくばかりだった。
そのとき母が寄ってきて、「狼さんもショックを受けているんだから……責めるような言い方はしないで」とおれに言った。
バカがつくほどお人好しの両親をおれは尊敬しているから、そのときは母の言葉に従った。
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確か父は、おれが物心ついたときには怪しげな団体に入っていた。
狼に誘われて入ったと母に言っていた覚えがある。
<夕陽から眼球を守る会>という、慈善団体だかなんだかよくわからないヤツだ。
おれが高校受験でヒーヒー言っていたころに、一度だけ父に連れられてそこの本部へ行ったことがある。
淡路島まで連れていかれて、そこでも山を歩きまわった。
その島にある古民家をリノベーションした建物がその団体の本部だった。
おれは昔の記憶を頼りに、有休休暇までとって淡路島へ行き、その本部を探し当てた。
まるまる一週間はかかってしまったが、なんとかその団体の人間と話をすることができた。
もしまだ狼がその団体にいるのなら、ヤツにまた会えるかもしれない。
あの事故の件を境に、狼の一家はどこかへ引っ越してしまって、それ以来会っていない。
5年もの歳月が経ったいまでも、おれはどうしても事故の真相が知りたい。
もしかすると、事故じゃないんじゃないのか?
あのときの狼の様子は明らかにおかしかった。
真相を知るためなら、なんだってやってやるつもりだ!
そういえば、狼の娘たちはいま何をやっているんだろう。
おれより10近く歳が離れていたけど、もうとっくに成人してるんじゃないか。
名前は確か、二人とも四季の字が入っていたはずだ。
狼が父と酒を飲んでいる時にさんざん娘の自慢をしていた。そのときにそう言っていたと思う。
たしか……
春 春ナ 春■ 春菜
カホ 夏■ 夏■ ///(赤いインクのボールペンで塗りつぶされている)///
夏帆
―― 荒木 謙信の手帳より