言い争い
それは同じ邸に勤める下男たちも同じだった。出来る事ならこの邸の下女と上手い事「良い仲」になりたいと望んでいる。その中のまだ年若い男が、先日邸に入ったばかりのあの少女に目をつけた。若く器量の良い少女の気を惹こうと雨上がりの空気がしっとりした時などは、
「おや、今日は髪の艶が良いね。女の髪の艶が良いのは、何とも言えない色っぽさがあって、いいもんだなあ」
と、少女の髪を褒めたり、寒い中染め物のために冷たい水に手を晒し、頬がほんのりと紅くなっていると、
「ああ、白い肌にそうやって赤みが差すと、実に綺麗だな。普段邸の中で布ばかりいじっているせいか、他の邸の女よりもずっと色が白い。まるで輝くようで、どこかの姫君みたいだ」
などと持ち上げる。
しかし女たちは下男たちのそういう下心をよく知っている。その辺の事は新入りの少女も他の女たちから聞いている。だから髪を褒められても、
「あら、ありがとう。でもこの髪の艶はすぐに無くなるわ。もうじき髪洗いが出来る日だから」
と、男に視線も合せない。それに髪を洗うにはそれなりの吉日が選ばれるのだが、本当にもうすぐその髪洗いの日が近づいていた。
「洗った後に油を塗ればいいじゃないか」
「駄目駄目。もし髪油が布に着きでもしたら、大事な御装束が上手く染まらなくなってしまうわ。あたいは切りそろえたバサバサの髪で結構。髪をしっとりさせるのは、今度の里下がりまでお預けよ」
と、男の言葉など相手にしない。肌を褒めても、
「でも、これからは布を陽に晒すから肌も焼けるわよ」
「いや、赤らんだ肌もこれまたいいんだよ」
「そりゃ、あんたたちみたいに一日中外にいて真っ黒になる訳じゃないからね。ほら、どいてどいて。こっちは肌なんかに気を使っている暇は無いの」
と、まったく相手にしなかった。
なぜなら彼女たちは邸を出れば他の男達が自分達をちやほやしてくれるのだ。彼女たちには身分こそは似たり寄ったりでも、女達に人気のある舎人や武士と言った者達が、この邸の評判を聞きつけて色々声をかけて来る。彼らは高貴な方の近くで護衛をしたり、中には弓矢などに長けたりと、身分は低くても華やかな存在だ。
この少女もどうせなら人気のある男達に口説かれる方が良いと思っている。そう言う者達は稼ぎがいい訳でもないのにあちこちの女に言い寄っているから、信用出来るとは言えないが、人に自慢できる歌の一つも贈ってくれたり、ちょっとした美味しい果物などをくれたりと、そう悪くない気分にさせてくれる。
ところが同じ邸の若い下男たちはそうはいかない。高貴な方の御装束を手掛ける自分達と違って一日中邸の庭を這いずり回り、雑草なんかを引っこ抜いている姿は少女にはどうにも野暮ったく見えてしまう。だから男が少女に声をかけても、
「何よ。そんな汚れた姿で近づかないで。こっちは高貴なお方の大切な御装束を扱ってるんだから。汚れが移ったら困るじゃないの」
とにべもない。
「何を言う。それは染め物に使う水を張った桶だろう? 重そうだから運んでやろうとしただけじゃないか」
「その桶の水が汚れるって言ってるの! 下男の癖に余計なことしないで!」
いくら口説きたい女と言えど、あまり小馬鹿にした態度を取られれば男としては黙っていられなくなる。売り言葉に買い言葉。口調もつい、荒くなる。
「何を! お前だってただの下女じゃないか!」
「ただの下女じゃないわ! 『龍田姫』様のお手伝いをしてるのよ!」
「自分だけのご主人様だと勘違いしているのか? 『龍田姫』様は俺達にとってもご主人様だ!」
「あんた達は庭を這いずり回ってばかりで、御装束の切れっぱしさえも扱わないじゃないの! あたい達の紅色のくくり染めは特別なんだ。唐渡りの素晴らしい紅を何度も何度もくぐらせて染めてるんだから。『龍田姫』様が可愛がって下さっているのは、あたい達の方よ!」
「お前らのどこが可愛いもんか! 何がくくり染めだ。旨い物を食わせてくれて、腹が膨れる飯炊き女達の方がよっぽど可愛くて役に立つぞ!」
「なによっ。だったらあたいにまとわりつくのはやめてよ! こっちはあんたみたいな小者、相手にする気なんてないんだからっ!」
有名な女主人の威光をすっかり笠に着た少女は、年若い下男に言いたいことを言ってはねのけた。まだまだ若い少女の事である。不慣れな邸勤めの緊張をそうやってごまかしていたのかもしれないが、相手の男もまだ若かったために、本気でムキになってしまった。
「誰がお前なんかにまとわりつくか! お前のような子供、よその男も本音はお前をからかって楽しんでいるだけさ。新入りのお前がする仕事なんてたかが知れている。この邸に勤めたい女はごまんといるんだ。調子に乗っているともっと仕事のできる女が入ってきて、お前なんかすぐに追い出されちまうさ!」
男がそう言い返すと、少女はハッとした表情で黙りこんだ。男も一瞬言い過ぎたとは思ったが、
「あんたなんかに、あたいらの仕事が分かってたまるもんですか!」
少女はそう言いながら男に向かって持っていた桶の水をザブンとかけると、ついでとばかりに桶まで投げつけながら走り去って行った。男はずぶぬれになりながらも、水に濡れたその身よりも、一瞬ひるんだ少女の表情が目に焼き付いて心の方が冷たくなった。
全身ぐっしょり濡れて侍所(使用人たちの待機所)に戻った男は、他の仲間に、
「どうしたんだ? その姿は」
と問われるままに一部始終を説明し、
「なんだ。あの新入りは。まだまだほんの子供のくせに、馬鹿みたいに気だけは強い」
と愚痴を言った。仲間の一人は、
「それは頼もしい娘じゃないか。お前がここに来たばかりの頃など仕事は半人前の上に、叱られる度にメソメソして、まったく根性が無かった。その娘の方が気が強いだけよっぽどましだ」
と、面白がって笑っている。