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恋ぞつもりて  作者: 貫雪(つらゆき)
からくれなゐに
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龍田姫の女たち

  千早ちはやぶる神代かみよもきかず龍田川たつたがは

  からくれなゐに水くくるとは           在原業平ありわらのなりひら



 ……怒涛のように色々な事が起こっていたという神代の昔でさえ、聞いたことがない

   龍田川の水が(散り落ちた紅葉で)紅色のしぼり染めのようになっているとは……




 ある邸に、大臣から深い御寵愛を受けていらっしゃる女君がいた。その女君はもともとはある内親王の上臈の女房(高級な侍女)だったのだが、大臣が大変その方をお気に召して、とうとうご自分の妻にしてしまわれたのだった。


 女君は内親王の女房だったのだからそう悪くは無い家の子女だった方だが、やはり世間は邸の外に出て人に使われた女君の事はどうしても軽々しく見てしまっていた。礼儀作法や教養のある娘とは言え、邸の奥に大切に隠されて育てられた姫君よりは劣るように思われてしまうのだ。だから大臣がその方を北の方(正妻)に据えた時には皆が驚いた。大臣ほどの地位の方なので格式ある家々から姫を差し上げたいと言う声は絶えず聞こえていたし、女君程度の身分であれば普通に通う妻の一人でも十分な身の幸せであるはずなのだ。


「何もそのような方を北の方にしなくても、よろしいではありませんか。殿は帝からの御信頼も厚く、この家の権勢も大変高いのです。帝もいずれは殿に御自分の内親王を御降嫁させようとまで考えて下さっていたというではありませんか。そんな名誉をお断りしてまで、何故内親王に使われている人のほうを北の方になさろうと言うのですか?」


 大臣の身の回りの人たちは皆そう言って大臣の御心を変えようとした。しかし大臣は頑なに、


「いや、私の北の方はあの方だけと決めてある。世間では我が妻を世によくいる自分の身分を顧みずに、我が身の出世欲に溺れて高貴な者に近づく浅はかな女と同じだと思っているようだが、我が妻はそのような女ではない。心ざま優れ、思慮深く、人々への心配りの行き届く、大変優れた妻なのだ。我が妻はきっとこの我が邸を盛り立ててくれる。そして誰もが妻を我が北の方として相応しいと納得するはずだ」


 そう言って女君を自分の邸の奥に据えてしまった。


 初めは邸の者も女君に良い感情を持ってはいなかったが、徐々に女君の人柄が知れて来ると、邸の人々の見る目も変わってきた。

 女君は心優しく、常に身の周りの人々を気づかった。自分の乳母めのとである幼い時から使っている命婦みょうぶと言う人を邸の「女房の長」に据え、彼女を通して使用人の人となりやそれぞれが抱える事情をきちんと把握していた。


 使用人の親が病んでいると知ればその人の手当のろく(報酬)は多めに与え、幼い娘や妹がいると知れば、勤めていた頃に使っていた美しい道具や、書き写してしまった物語などを分け与えた。

 そしてちょっとした事にもお褒めの言葉をかけ、時には直接御自分の御言葉で御声を聞かせた。本当は女君の立場では滅多な事では御簾の外の人に御声を聞かせたりしては、はしたないと言われてしまうのだが、


「私はもともと女房上がりですもの。親切にして下さった人には、どうしても自分の言葉で声をかけたくなるの。きっと癖になってしまっているのね。殿の御評判にかかわるといけないから、皆さん、どうか私の悪い癖を叱って頂戴。そしてこのことは内緒にしていてね」


 そんな言葉をおっしゃる時の女君の愛らしさは、さすがは大臣の地位に上られた方がどうしても北の方にと望まれたのも頷けるほどの魅力にあふれている。美しく、可愛らしく、まるで大輪の花が咲きこぼれたような笑顔をなさる。それを見たり鈴の音のような可憐なお声を聞いたりした者は、とてもこの方に御注意申し上げたり出来なくなる。女君は邸に入られてわずかの間に、すっかり使用人たちに信頼されるようになっていた。


 その女君にはとても得意としていることがある。この君は幼い頃から御装束に並々ならぬ関心を寄せられておいでで、御自分でよく縫物をなさる方だった。お勤めしていた折にも中宮(帝の后)の御匣殿みくしげどの別当べっとうと親しくなり、さまざまな美しい御装束に詳しくなられていた。


 そんな方なので御装束の仕立てには大変なお気使いを見せ、織物なども田舎の物で済ませることなく本当に艶やかでなめらかな絹糸などを用意させ、信頼のおける機織り女に細やかに指示を与えながら織らせたりする。

 そして軟らかくあるべき布はとても柔らかく、しなやかで深い艶が現れるまで丹念にきぬたを打たせる。張りのあるべき物はしっかりと生地を仕上げ、折目も正しく、縫い目も少しも曲がることなく真っ直ぐに美しく仕立てられている。


 しかもご自分で染料を御調合して、納得のいく色合いまで丁寧に染め上げさせる。特に紅色くれないいろの「くくり染め」と言われる糸を細かく丁寧に布にくくりつけて白く染め抜く「絞り染め」は、手間暇かけて細やかに色の染めも幾度も繰り返して鮮やかに染められ、見る者の目を奪う。そんな風に細やかに仕立てられた装束はとても美しく華やかで、着心地も軽く、そのきぬを着て立ち歩いたりなどすると衣擦れの音も普通とは違って、まるで天女達が耳元でささやいているかのような音がするのだ。


 そんな素晴らしい衣をこの君独特の感性でさまざまな色と組み合わせて重ねていくものだから、その衣装のきらびやかさ、見事さと言ったら、牛車の出だし車からこぼれ出た衣装の裳裾だけでも人々の衆目を集めずにはいられないほどだ。

 まして大臣の御正月の御衣装など内裏だいりの内でもひときわ目について、殿上人はもちろん、帝の女御にょうご(妻)様達でさえ羨んでいるという。それが帝や中宮様から大臣への御寵愛に繋がり、帝の内親王御降嫁のお話をお断りしたにも関わらず、大臣はますます帝のお目にかかるようになられていた。


 こうなると世間の女君に対する評判も代わり、大臣の邸は装束に関しては他に右に出る所は無いと噂になった。もう誰も女君をさげすむ方などいない。そしてそこに雇われている人達はそんな女君の事が自慢でならなかった。御邸には機織り女や御針子を勤める多くの若い下女たちが雇われている。ご自分も御裁縫が御得意でいらっしゃる女君が、ご自身の目に叶うと思われて雇った者たちだ。彼女たちも評判の高い方に選ばれて雇われ、信頼されている事は何よりの誇りであった。


 しかも女君は気さくな人柄のため、良い仕事へのお褒めのお言葉は下女でさえもいただけた。それを知る皆が褒めていただこうと競い合うように仕事をこなすものだから、装束の出来栄えはますます良くなり、女君の評判も上がる一方である。秋になると龍田山を見事な錦の色に染め上げる、『龍田姫の化身』のような方だと都人は褒めそやしている。


 だから『龍田姫』の御装束作りを担っている女たちは、邸を出た時には必ず人々に『龍田姫』の自慢をする。先日この邸に雇われた、ようやく童を脱したばかりのどこか幼さが残る染め物と御針子をこなす少女もそんな一人だった。


「あたいね。こう見えてもあの評判の『龍田姫』様の邸で御装束の仕立てをお手伝いさせていただいているんだ。あたいは寸分違わず、お言いつけ通りの仕事が出来るんでね。『龍田姫』様はあたいらの仕事をそりゃあ褒めて下さっているそうなんだ」


 少女は休みをもらって邸の外に出ると、そんな話をせずにはいられない。


「ほう。あんたはそんな立派な方に褒めていただけるほどの身分なのかい?」


 なかにはそんな風にやっかみ半分に少女に問いかける者もいるが、そんな時こそ少女は気分よさそうに言い返す。


「ふふん。そこがあたいらの女主人の素敵なところなのさ。あたいなんか親の代からの無位無官の身の上で、本当ならあんな高貴な方に目の端にも気にかけてもらえる身分じゃないって言うのに、『龍田姫』様はそんなあたいらの仕事でさえも褒めて下さるんだ。だからあたいらもあの方のためならどんな難しい仕事でも精一杯こなしてしまう。あの方のためならどんなに身を粉にして働いたって構わない気になるんだ。だからあの邸の装束はあんなに素晴らしいんだ。まあ、こんなこと言わなくても、あの方や殿さまの御装束をちらりとでも見れば、みんな分かるってもんだけどね」


 半分は自分たちの自慢にもなってしまっているが、とにかく邸勤めの女たちは自分の女主人を褒め称えずにはいられない。だが、実は彼女たちも同じように無位無官の男達から見れば、かなり魅力的な存在なのだ。


 男達は彼女達を自分の「妻」にしたがった。何と言っても裁縫が上手い女は「妻」にすると重宝である。布というのはとても貴重で値が張る物。ちょっとした端切れでさえもそれなりの価値がある。そして衣は古くから身を守り清めるものであると信じられている。衣の価値と言うのはとても高いのだ。

 だから衣は出来るだけ長く着続けたい。裁縫が上手い女がいるとちょっとしたほころびなどはすぐに繕ってもらえるし、衣も長持ちする。

 しかも装束が評判の女主人に仕えているのだから、腕は折り紙つきと言っていい。そういう邸なら与えられる手当の禄も悪くは無い。


 それに、そんな仕事をしているせいか女達は見た目も悪くなかった。下女らしく髪は短く切りそろえられ、それをいつも束ねているとはいえ、身分相応の衣に工夫を凝らし、薄い僅かな染料でも汚れが目立ちにくい染め方をし、継ぎのあて方も丁寧でさっぱりと小奇麗にしている。

 重宝で稼ぎが良くて見栄えもいいのだ。これで男達が言い寄らないわけがなかった。





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