一輪の花
祭の日、都はすっかり華やいでいた。祭の主役は普段は斎院に籠られておいでの、斎宮様である。この日は誰もが内親王様の姉上であらせられる斎宮様に感謝をささげ、帝の御世を讃えていた。そしてその御世が少しでも長く続くようにと、帝の病のご回復を祈る。祭の華やかさは帝への人々の信頼へと繋がって行く。
そんな中、私は舞の奉納の場で帝に向かってかしこまっていた。帝は祭の華やぎに触れたのが良かったのか、ご体調も良くなられておられるらしい。少しお顔の色が青くていらっしゃるが、それでも威厳ある御姿で悠然と座っておられた。
一方私の方は舞を披露するために帝の御前にいると言うのに、緊張のあまり胸が苦しく、気が遠くなりそうになるのを懸命にこらえていた。どんなに緊張していても、それまでやってきたことに悔いはなかった。出来ることはすべてし尽くした。後は何より心をこめて舞うだけだ。私は帝に向かい、かしこまりながらも演舞の前に挨拶の言葉を述べ、続いてこう申し上げた。
「この舞が誰の目から見ても素晴らしく、帝の御心に届いた時には失礼ながら御褒美をいただきたく存じます」
私の言葉に周りの人々がさざめいた。普通、この場でこんなことを言う者などいないだろう。
だが私のぶしつけな言葉にもかかわらず、帝は私に問いかけられた。
「どのような褒美を望んでいる?」
私はまずはホッとした。私の言葉を帝は退けたりなさらずに聞いて下さっている。
そこで私は帝の問いに勇気を振り絞って答える。
「帝が最も御心をこめてお育てした、一番の若い美しい花を一輪頂戴したいと望んでおります」
一瞬、誰もが息をのんだのが分かった。そして私の言葉に人々が「おおう」と声を上げ、帝が目を丸められた。「美しい花」とは内親王様の事。内大臣殿の視線が私に厳しく突き刺さり、その向こうの御簾の奥に御姿の見えない内親王様の気配が感じられた。帝は何とおっしゃられるだろう?
「面白い。その舞、とくと見せてもらおう」
帝が薄く微笑んでそうおっしゃると、人々の好奇の視線の中、厳かに雅楽が演奏された。
私は舞った。堂々と、臆することなく。内親王様に初めての文を、ひと筆ひと筆想いを込めた時と同じように、手の動き、足の動きの一つ一つに想いを込めた。
腕を一つ振っては、
私は臆しない。どのような人に挑戦されても受けて立つ。
足を一歩踏み出しては、
学者である父を越え、権力者である内大臣殿をも越えて見せる。
体をゆるりと回すごとに、
たとえ今はまだ若くとも、東宮様をお支えし、何かあれば勇気を持って立ち向かう。
どのような批判にも、好奇の目にも、耐え抜く自信がある。この国の要になる。
そんな気概と覚悟を胸に、一心に舞い続ける。
私は内親王様に相応しい男になる事が出来る。この恋に溺れたりはしない。想いの深さを堂々と示し、認めていただくために舞っているのだ。
そして、この厳しい視線の中でさえ、あの愛おしい方の優しい眼差しが感じられる。私は幸せだ。あの方の前で、我が心のすべてと勇気を込めて舞を捧げている。今はただ、あの方のために……。
舞が終わるとその場はシンと静まりかえった。私は自分の舞が良かったのかどうかさえもわからない。ただ必死に舞っていただけだ。だが私は愛おしい人にこの舞を捧げる事が出来た。初めてあの方にお見せする我が姿は、今自分が出来る最上の舞を舞う姿であった。その事に私は心から満足していた。後は帝の御判断。私はただ御言葉を待つしかない。
私だけでなくその場にいた人々の誰もが帝の御言葉を待っている。しばらくの沈黙がとてもとても長く感じられる。
そして、ついに帝は口を開かれた。
「そなたは若くして学を身につけ、人柄も良いと聞いている。だが、それ以上に素晴らしい心と勇気にも恵まれているようだ」
帝はそうおっしゃった。そして、
「素晴らしく美しい舞であった。よろしい。私の最も愛する、若く美しい花を積み取ることを許そう」
帝はそう言って下さった。周りの人々の驚きの声と共に、私の心に喜びがいっぱいに広がった。私は……私は確かに今、帝に認められたのだ……!
世界が輝きに満ちているように感じる。きっと内親王様も暖かい御心で私を見つめて下さっている。遠く御簾の向こうに隔てられていても、私は確かにそのお気持ちを感じる事が出来た。
これからのほうが苦しいのかもしれない。若輩の私には試練の連続なのかもしれない。だが私は確かに今、何よりも望んだ愛と栄誉を勝ち取った。
祭に華やぐ都が、まるで私を祝福してくれているように感じられる。この素晴らしい都、愛する国、愛おしい世の中を、私は支え、守っていきたいと心から思う。
気がつくと私の隣で友人は微笑みながら視線を送ってきた。そして、
「恋の道と言うのは、想像以上に奥深いものだろう?」
と言った。