男女川(みなのがわ)
それでも友人は私の分と共に、内親王様からのお返事を受け取る事が出来た。彼は意気揚々とわたしの前に現れて、
「どうだい。贈った文をその場で使用人に突き返された人も多いのに、俺達は無事にお返事をいただけたじゃないか。俺達は都の公達(公家の子息)の中でも、優れた方に入ると思っていいんじゃないか?」
と嬉々としている。まあ、ほとんどの男達はそれが知りたくて文を出したのだろうし、内親王様の傍周りの人たちも、それを承知で返事をしたり、しなかったりしているのだろう。返事がいただけたと言う事は、少なくとも多少は我が文も見てはいただけたらしい。内親王様の御心中までは分からないが、我が文が一時の心の慰めにでもなれたなら、それはそれでいい事だ。
私がそんな事を考えている間にも、友人は自分への返事の文をいそいそと開いていた。しかしその中身を見て、内親王様のお付きの女房(侍女)の良く知られた筆跡だと気づくと、
「ああ、やっぱりな。残念だ。だがこの筆跡は内親王様に一番信頼されている女房のものだ。俺の文は間違いなく内親王様が御覧になったのだろう。まあ、口説き上手の好き者としての面目は立ったな。どれ、君の方は……」
と、失礼にも私の返事の文を、覗き見しようとする。
「覗かないでくれよ。ゆっくり見られないじゃないか」
「いいじゃないか。俺だって気になる。そんな事を言うと……こうだ!」
友人は私から文をひったくってしまう。そして勝手に文を広げると、
「君には御言葉が別で添えられているな。なになに? 噂通りの真面目な人柄が好もしく思える? 良い返事じゃないか!」
「おい! 返せよ」
追いかける私を舞が得意な友人はやすやすとかわしてしまう。ようやくの思いで文を取り戻すと、結局友人と二人で読むことになってしまった。
こんな時の返事の言葉など、たいていありふれている。そして女房の遠周りな断りの歌で締めくくられる。だが、この文には丁寧な礼の言葉のほかに、私の筆跡から感じられる真心や、心遣いにお褒めの言葉をいただき、さらに人柄にまで触れていただいていた。添えられた歌にも感謝と気遣いが感じられる。普通の姫ならここまですれば、結婚相手候補として文通を望んでいると受取られる内容だろう。
姫君と言うものは、父親や男兄弟にさえ年頃を迎えれば顔を見せられなくなる。他人なら決して姿を見せることなど許されない。そんな姫君と文を交わしあえる仲となれば、当然その先には結婚がある。
だが、この文のお相手は恐れ多くも内親王様だ。果してどんなおつもりで御返事を下さったのか?
「しかも、この筆跡。これほどの文字を書く女房などめったにいるもんじゃあるまい。ひょっとしたら内親王様の御真筆なんじゃないか?」
友人にいたっては興奮気味になっている。返事をいただいたのは私なのだが。
「まさか。私のような者にそこまでして下さるもんか。もしそうだとしても、きっと内親王様の気まぐれさ」
「そうは言っても帝の内親王様からこんなお返事を頂いたんだ。ちゃんとした返事を書くんだぞ。癪に障るが今回は俺の負けを認める。皇女様を手に入れた暁には俺の出世も頼んだぞ」
友人はそうおどけて笑い、私も笑った。そんな事本気で考えてはいなかったが、何か、私の心に一滴の雫が、波を立てた気がした。
「なあ、内親王様はおいくつになられるんだ?」私が友人に聞くと、
「ああ……御母上が亡くなられて三年経つから、十三(数え年。現代なら十一、二歳)だろう。お若いな。御年が離れすぎてはお気の毒だと、若い公達から文を募るはずだ」
友人は表情をくもらせた。私も思わず言葉が漏れる。
「帝や内親王様のお気持ちが分かるな。姉上は斎院や大臣のお邸に入ってしまわれているし、実の父上とはいえ帝と御目にかかれる事もそうはないだろう。母上もいらっしゃらなければ、御相談できる後ろ盾になって下さるような方もいない。御身分は高くても、孤独でいらっしゃるのかも知れない」
「内親王と言っても、ごく若い姫君には違いないか。お前のそういう優しさに、内親王様も御返事を書かれる気になったのかもしれないなあ」
もしかしたら内親王様は自分達が考える以上に御寂しい思いをなさっているのかもしれない。御真意はともかく、こちらからは真心を込めた文を差し上げるべきだろう。
私は遠い、宮中の九重のかなたにいらっしゃる、孤独な姫君に想いを馳せた。
それをきっかけに私は内親王様と文を交わし合うようになった。友人は興味シンシンで私の文使いの真似事をした。ついでに宮中の女房ともかなり親しくなったらしい。彼は女房との色事を楽しみながらも文が本当に内親王様ご自身で書かれた物で、しかも今も文を交わして下さっているのは私しかいないことを突き止めてきた。
「おい……。これは、ひょっとするかもしれないぞ」
友人にそう言われると私の心の中に落ちた水は、いつの間にか早い流れを伴って音を立てるようになった。私はその音が聞こえないふりをした。
都から遠い常陸の国にある「筑波」の山は、昔から「付く場」と呼ばれ男女が山の神に祈りを捧げて契りを結びあう場所とされている。その山の峰は男山と女山に別れていて、それぞれの山頂から落ちた水がやがて一つとなって男女川の流れになるのだという。これはそんな恋の川の流れる音なのだろうか?
内親王様のお文を見るたびに、心の中がざわざわと落ち着かない。しかしお文の間が空くと心配で夜も眠れなくなる。
お文に書けないような、何か困ったことがあるんじゃないか?
本当はご成人してもうすぐ父帝のもとを離れなくてはならない事に、不安で押しつぶされそうになっておられるのではないか?
それを紛らわせるために私のような物に文を贈って下さっているのではないか?
そんな事を考えるたびに胸の奥のザアザアという音が激しくなる。水しぶきの音が耳について離れなくなってしまう。
いいや。所詮こんなことは高貴な方の気まぐれだろう。文に書かれているのも季節の便りや時候の挨拶だ。この水音も、流れが速いだけで決して深い心と言う訳じゃない。私はまだまだ多くを学ぶ身の上。友人にあおられて心惑わせてはならない。
私はそう考えて心を冷静に保とうとしていたのだが、そのうち内親王様からの文の内容が、季節の話題から学問にはげむ私を気づかい励ます物に変わってきた。そこには内親王様の人柄や、優しさがあふれていた。時には父帝に対する感謝や愛情、そして母君のいない内親王様には、宮中の奥深くで孤独を噛みしめる夜がある事も書かれていた。やはり内親王様は孤独な姫宮様でいらしたのだ。そんな内親王様には宮中の外に暮らす年の近い私との文のやり取りが、とても慰めになっていることを私は知ってしまった。
孤独な宮中の暮らし。帝以外に頼る人のいない心細さ。その帝に自分の身の振り方で心配をかけていることへの心苦しさ。気が付けば私はそんな内親王様の御心を、私のもたらす明るい話題でお慰めすることが出来るようになっていた。ささやかな文のやり取りだが、わずかながらも内親王様のお役に立つことが出来る。それは私に大きな喜びをもたらした。私は内親王様のお文に、自分の心の泉が満たされ始めていることに気がついた。
そして友人はそんな私の心を理解していた。いつしか友人も我が恋を真剣に応援してくれるようになった。