紅葉
帝の皇子が亡くなられてから、父や母の態度が変わった。わたくしへの愛情に変わりがある訳ではないが、極端に優しくなりすぎている。それまでは、
「あなたは特別なのだから、普通の童のようでいてはなりませんよ」
と言って、私が庭を眺めるどころか、邸の中を立ち歩くのも眉をひそめていたのに、
「今日は空も晴れて良いお天気です。外の空気を楽しんでみてはどうでしょう?」
などと、父が庭に誘ったりする。わたくしに気をまわしているのは分かっているが、もうわたくしが高貴な身の上になれないことをはっきりと示されているようで、素直に受け入れにくい。
けれどわたくしも心晴れる事も無いので、ぼんやりしたまま父に従ってしまう。父はさらにわたくしの気を紛らわそうと、
「山里の別荘に紅葉でも眺めに行くのはどうだろう? これまでそなたを遠くに連れて行った事が無かったのだから」
と言って、私を車に乗せる。それまでは車どころかわたくしを邸の奥から一歩も動かす事も快く思っていなかった父が、私を車に乗せたがる日が来ようとは。
「……そのように、気軽に外に出たりしては、はしたないのではありませんか?」
「いや。女と言うものは、恥じらいを知り奥に引っ込んでいるのも奥ゆかしいが、時には人に逆らわず、なよやかに人になびくと言うのも愛らしいものです」
結局は人生などこんなものなのか。わたくしは父や母になびいて目標を決めたわけではない。確かに生まれた時から決められてはいたが、それに納得して努力を続けてきたのは自分の意志だ。何よりわたくし自身が美しくありたいと思ったし、それによって人々が喜んでくれるのが嬉しかった。
父はこれまでわたくしに「品位」と「気高い美しさ」を求めてきた。私もそうありたいと思っていた。その父が今は「なよやかさ」と「愛らしさ」を求めている。ただ人の妻となるしか無くなったわたくしに……。仕方なく車に乗り、紅葉狩りへと出かけた。
食事のために車を止め、ひと心地つくとそこは小川のすぐ近くだった。視線を落とすと簾越しにも小川に紅葉の落ち葉が流されていくのが見える。
わたくしの我がままに「なんでも一流を求めるとは末頼もしい事だ」と言っていた父が
「ほら、このように流れに身を任せる紅葉も、姫のように美しい。女の心は軟らかいのが一番だよ」
というようになってしまった。帝は皇子を亡くしてから御心弱りされたらしく、近々帝位を降りられるそうだ。朝廷の事は分からないが、帝に近しかった父にはこの御世代わりは辛いものがあるのかもしれない。
「でも、落ち葉が絡み合って、しがらみの様に流れを滞らせていますわ」
私はそう言って小川の隅に引っかかってたまって行く紅葉を指差した。紅葉も本当は流されてしまいたくなど無いのかもしれない。
「ああ、それも美しいな。いずれ流される紅葉でも、一時姫の目の前に留まっているのであろう」
父はそう言ったが、わたくしはその紅葉が気に入らなかった。流されまいとする姿。それはたいてい見苦しい。流れを妨げ、散りを積もらせ、淀ませる。そこに清らかさや潔さは無い。ただ醜く濁って行くだけである。
「流される運命なら、潔く流されてしまえばいいのに……」
まるで自分の姿を見るようで、不快だった。
目標を失ったわたくしは、初めこそ父にあちこち連れられたりしてぼんやりと暮らしたけれど、しばらくして立ち直る事が出来た。その頃わたくしに乳母や周りの人々は、
「ああ、こんなことなら姫様にはもっとおおらかに、のびのびとした時間を過ごしていただけばよかった。これほどの気品をたたえながら、ただ人の妻になられてしまわれるなんて」
と、同情の目を向けていた。わたくしにはそれが気に入らなかった。帝の皇子が亡くなられるまでわたくしは、
「なんて美しくお幸せで、何もかもに恵まれたお姫様なのでしょう!」
と人々に羨まれていたと言うのに。この人々の変わりようはどうしたことだろう。わたくしはあれから少しも変わらずに、美しく、気品も失ってはいないはずなのに。
わたくしは乳母に聞いた。
「ねえ。わたくしは以前と何か変わってしまったの?」
「いいえ。そのような事はございません。姫様は美しく、愛らしく、内親王様にも引けを取らない気品を備えていらっしゃいます」
「では、どうして皆は私を憐れむの? 私は中宮になれなければ、人に同情される人間になってしまったの?」
すると乳母や侍従はハッとした顔をして、
「……そうですわ。姫様は何も変わってなどいない。けれど世間は姫様を気の毒な姫と呼ぶでしょう。でも、そんな声に負けてはいけませんね。本当なら私達が姫様を励ますべきなのに、逆に励まされてしまいました」
「本当ですわ。姫様は素晴らしい方です。たとえ帝の女御様になれなくても、この世の一の人になれなくても、姫様の素晴らしさに変わりはありませんわ!」
と、目の輝きを取り戻した。
「それならいいわ。わたくしがこれまで努力してきたことは、間違ってはいないのね? わたくしは何処までも美しい女を目指すわ。この家の誇りであり続けるわ」
そう言うと侍従は、
「姫様は御姿だけでなく、御心までもが凛々しくていらっしゃいます」と涙ぐむ。
「この世の女の一の人は中宮にしかなれないのかしら? それ以上人々の尊敬を集めるすべは、他にないのかしら?」
わたくしは侍従にそう聞いた。目標が必要なわたくしには切実な問いかけだった。
「そう……ですわね。御位は何よりも確かですし、人々も重んじます。正直、少しくらい御本人にそぐわないところがあったとしても、人はその位に応じた見方をするという事もございましょう」
「では、中宮の位に勝る事は出来ないの?」
「勝るのは難しいでしょうが……。並び立つことはできるかもしれません。考え方の問題ではありますが」
「並び立つ? それは人々も認めてくれてのこと?」
「もちろんそうです。誰の目にも間違いなく、中宮の地位にいる方よりも優れていれば、人々は位とは関係なくその方自身を認めるものでございます。後宮でも中宮様よりまめやかに帝の御寵愛を受ける方はおいでですし、私がお仕えしていた内親王様は大変に歌にお詳しくて、失礼にあたるので誰も口になどはしませんでしたが、その頃の后の宮様や中宮様よりも御歌に関しては内親王様が一の人であったと誰もが思っていたはずです」
「そう。それならわたくしは、そう言う女を目指しましょう。わたくしは誰よりも美しい女になります。帝の女御様方にさえ、本心では羨ましがられるような存在になるわ。美しい物は見ていて気持ちが良い。だから私はこの世の誰よりも身も心も美しい人を目指しましょう」
「姫様。その御心こそが美しゅうございます」
「わたくしの縁談なども、中途な者など耳に入れないでおくれ。わたくしは今以上に自分を磨きましょう。夫となる人もそれに相応しい、てごたえのある人でなくてはなりません」
そうよ。わたくしの人生、こんなに早くつまずいていいはずがない。これまで磨いた事も、私にかけられた期待も、無に帰して良い筈が無いのだわ。わたくしの美しさには、それだけの価値があるはず。それをわたくしは人々に証明してみせる。
そして再び、この家の希望となり、誇りとなって見せるのだ!




