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恋ぞつもりて  作者: 貫雪(つらゆき)
恋ぞつもりて
1/12

恋文

  筑波嶺つくばねの峰より落つる男女川みなのがは

    こひぞつもりてふちとなりぬる      陽成院ようぜいいん



 ……筑波の山頂から流れ落ちる男女川みなのがわの浅かった流れが

  徐々に水かさを増し深い淵となるように、恋心もつもり深くなっていた……





「恋の道で君に後れを取るとは。俺もまだまだだな」


 そう言って友人は難しい顔をして見せる。私は驚きが先立って戸惑うばかりだ。


「本当は後からこっそり、別のふみを贈っていたんじゃないか?」


 私と恋文の返事を競っていたつもりの友人は疑わしそうに聞くが、


「私にそんな器用なまねが出来ないことは君の方がよく知っているだろう?」


 と、言い返さずにはいられない。


「はは、まったくだ。これはただの悔し紛れだ。俺も精進が足りないなあ」


 友人はそう笑うが、こんなことに私を巻き込んだのは、友人のほうなのだ。




 事の起こりは数日前。友人が私に「恋文を書け」と言って来たことが始まりだった。


「なんだよ、出し抜けに。私が誰に恋文を書く必要があるんだ」


「それが聞いて驚け。相手は恐れ多くもみかどの末の内親王ひめみこ様だ。今、殿上人でんじょうびとの子息達は誰もがこの方に恋文を贈ろうとしている」


「内親王様にお文を? 確かに恐れ多い話だな。内親王様ともなれば、母君の御身分が高ければ未婚を通されるのも普通だし。確か御長女は斎院さいいん斎宮さいぐう(未婚の皇女が勤める巫女)を務められていらっしゃったんじゃないか?」


「そうさ。それに他のお二人の妹君達は、御一人は容姿や才智に大変優れていて、帝の弟である東宮とうぐうの妃となられた。もう御一人も御容姿に優れていて帝の片腕のような大臣のもとに御降嫁ごこうかされている。普通じゃ、そんな内親王様に殿上人の子息は文なんか贈れやしないさ」


「それなのに私に恋文を書けと? 人をからかわないでくれ」


 私は友人のふざけた話に付き合う気にはなれず、打ち切ろうとしたが、


「いや、ふざけてなんかいない。本当にみんな、内親王様にお文を贈ろうとしている。なぜなら帝がこの内親王様の御降嫁ごこうかを検討しておられるという話が広まっているんだ」

 

 帝の末の内親王様は幼くして母君を亡くされていた。そして当時その母君の後ろ盾となっておられた大臣だった方も、今はもう亡くなっている。つまりこの末の内親王様は大変高い身分ではあるが、頼りになさっているのは父君である帝ただお一人と言う境遇だ。


 友人の話によると、帝は内親王様のその境遇をうれいておられるそうだ。帝が今上の地位に居られる今は良いが、先々御退位なさった時には内親王様のお立場は少々心もとない。皇女と言う地位は本来とても尊いものなので姉上の斎宮様のように未婚でいらっしゃることも少なくは無いのだが、帝は後ろ盾のない末姫様の先々を大変心配しておられた。そこで内親王様の御降嫁を考えているというのだ。

 内親王様はまだご成人なされたばかりで大変にお若い。あまりお歳が離れすぎるのもお気の毒だろうという事で、殿上人の子息の中から先々出世の見込める者を選んでおいでだという。だから有力者の子息たちは内親王様に文を贈ろうと躍起になっているらしい。


「成程。それなら大臣おとどの長男で舞なども帝に認められていて、口説き上手の好き者として名を知られている君は、なんとしてでも文を贈りたいだろうね。昔から『北の方(正妻)にする女人ひとは最上の人を』と望んでいたんだし」


 そう言って私は友人の言葉を聞き流そうとした。


「何を人ごとのように言っているんだ? 君だって東宮様の後ろ盾でいらっしゃる、今をときめく内大臣殿のお気に入りの学者の息子で、祖父殿は大臣だったじゃないか。君にだって十分に資格がある」


「私は今は恋どころじゃない。父のような立派な博士になるために、学問漬けの毎日さ」


 我々公家の子息は、十三から十六歳までの間に大学寮に入ることを許されている。そこで学んでそのまま官人になるのが普通だが、出世を望みながらも家柄に恵まれない者などは寮試を受けて入寮することもできる。さらなる研鑽を求めるものは省試を受け、その中でも優秀であるとされると文章得業生もんじょうとくごうしょうという秀才として扱われる。

 さらに高みを望めば「文章」と「論理」共に深い理解を求められる論文問題を課せられ、それで認められれば学問の道としては最高の物を得られる。そして実績を積めば国の中枢を支える立場に職を得る事が出来るのだ。今の内大臣殿はそうやって高い位に上られた。私も友人には謙虚に「博士を目指す」と言っているが、心の内では祖父や内大臣殿の様にやがては大臣の地位に就きたいのだ。


 私は家柄には幸い恵まれている。だが我が家は常に大臣や学者を輩出しているので、幼いころから漢詩や儒教の教えを覚えるのが得意だった私に父母はおおいに期待を寄せている。そこで私も学に励んで省試を受け、文章得業生となった。まだ若い私の年齢では異例だと言う。

 若すぎるので位こそはまだおぼつかないが、学問の道では私は誰にも負けない自信がある。もちろんさらなる高みを目指している。


「それそれ。君のそういう堅物過ぎる所がいけない。その若さと美しさを持ちながら大学寮に籠りきり。毎日儒教や漢学のことしか頭にない。いくら博士を目指すと言っても、貴族と言うのは世間知らずではやって行けないぞ。君の父上だって学問ばかりではない。ちゃんと社交術にも長けているから、学識豊かな内大臣殿のお気に入りでいられるんだ」


「君の場合の社交術は、女人にょにん専門じゃないか」


「何を言う。気まぐれな女達を喜ばせるのは大変なんだぞ。細やかな気配りや優雅さ。時には何があっても押し通すだけの腹の据わりも必要だ。これは殿上の社交にも通じる事だ。女を口説くのはそのための訓練だよ。君の様な堅物は、もう少し世間という物を知った方が良い。どうだい、ここで俺と競ってみようじゃないか?」


「競う?」


「俺は人を通じて内親王様に文を届ける許可をもらってある。ついでに朴念仁ぼくねんじんの君の許可も取り付けた。俺と君、どちらが色良い返事をもらえるか競ってみようじゃないか」


 友人は私の皮肉にひるむどころか、こんなくだらない事を持ちかけてきた。


「……ばかばかしい! 内親王様の一生がかかっている大切な時期に、そんなくだらない賭け事のようなことをして、文を贈れと言うのか? 失礼にもほどがある」


「君はどうしようもない堅物だな。こんな機会めったにないからこそ、みんな無理を承知で文を贈ろうと必死になっているんだぞ。高貴な方だけに文を読んでもらえるかも分からなければ、内親王様のもとまで届くかも分からない。それでも都中の男は挑戦すると言うのに、君は俺がこうでも言わなければ何もしないじゃないか。いいから書いてみろよ。俺達が内親王様に近い方々から、どのくらい御信頼を得られるか誰もが競っているんだから」


 皆、不純な動機で文を贈るんだな。誰も本気で内親王様をお幸せにしようと思ってはいないのか。高貴なお立場だから多少は仕方がない事とはいえ、お可哀そうな。

 私はますますそんなくだらない競い合いのようなことに加わる気はなくなって、何度も「ばかばかしい」と断ったが、あまりに友人がしつこいので仕方なく文を書いた。友人が面白がっているのは明白だったので、わざと、


「ご成人なされた内親王様のこれからの人生が、お健やかでありますよう」


 と言うようなことを、固い言葉で書いて贈った。ただ、読まれるかどうかも分からないと思いながら、意地や見栄のために書かれた恋文を数多く贈られる内親王様の心中を想って、固いながらもひと筆ひと筆に精一杯の心をこめた。私のような者が内親王様の御心をお慰めする言葉を書く、ただ一度の機会だと思っていた。だから返事なんてまったく期待していなかった。






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