雨の降る夜-8-
俺は男に言われた通り、静かに店をあとにした。男は外に出ると背中にナイフを突き立てたまま俺に歩くよう指示する。
恐ろしかった。俺に向けられたナイフが―――いや、俺のことはどうでもいい。それよりも男に逆らって暴れられたら、店にいる人間に被害が及ぶ可能性があった。
誰かが傷つく…俺のせいで…。それだけは――――避けなければ!これ以上、俺の、俺なんかのせいで誰かを不幸にする訳にはいかない…。それが一番、恐ろしいんだ。
男に言われるまま暗い路地を進んでいくと、町の外れまで来た。この辺りはあまり来たことがない…でも人気もないので誰かを巻き込む心配は無さそうだ。
「よし、止まれ…。よく大人しくついてきたもんだな、少しくらい泣いてもいいものをよお…?」
男はナイフの先を舐めながら俺を見下して言った。
「…用件はなんでしょうか?人が待っているのであまり長くここにいると騒ぎになってしまうと思うのですが?あなたもそれは避けたいでしょう?」
冷静を装って敬語で話し掛ける。俺がいなくなったと分かればじいちゃんが警察に届けるだろう。そうすればこの男だって直ぐに捕まる。それは本人が一番分かっているはず…。
俺の言葉を聞いた男は無言で俺を睨むと、ナイフを振り上げ切っ先を向けて降り下ろした。
―――――ザンッ!!
「…俺に指図してんじゃねえよ…ぶっ殺すぞ!?」
…ナイフは、俺の直ぐ横を通り、後ろの壁に突き刺さる。身体は動けず、俺は眼球だけを動かしてそれを見た。鈍く暗闇で光るモノに、一瞬の遅れて背中や胸の奥からゾワゾワと恐怖が支配していく。
目の前の男が、とても大きく恐ろしいものに変わっていく。俺の呼吸はだんだん荒くなり、冷や汗がこめかみから流れる。
「…ひひっ…。そうそう、そういう顔をしてもらわねえとよ、やる気が出ねえだろ?」
やる気…殺る気?こいつ―――初めから…。
「…殺す気、ですか?僕を―――――。」
男はニヤリと笑みを見せると、ナイフを壁から抜き取り指でなぞる。
「殺す?…そうさなあ、それもアリかも知れねえ。…だが、俺が殺したいのはテメェの親父だ。」
ドクンッと心臓が跳ねる。俺が理由を聞く前に、男は憎しみを込めた眼差しを向けて語り出す。
「俺の…俺のかみさんはお前のとこで働いていたんだよ。知ってるだろ?アヤリって名前の使用人だ。」
アヤリ…知ってるもなにも、彼女は俺の母と仲が良かったメイドの一人だ。母に代わって俺の身の回りの世話もよく焼いてくれた。――――だが、彼女は…。
「アヤリは…出ていったはずじゃ?」
母が亡くなってから厳しくなり始めた父に耐えきれず仕事を辞めて出ていった…そう聞かされた。
「出てった…――――だとう!?」
男は突然興奮し出して俺の胸ぐらを掴む。予想外な行動に反応出来ず、俺はうっと声を上げて苦しさのあまり一瞬息が止まる。
「出ていったってもんじゃねえ!!消えたんだよ!!俺の前から何の音沙汰も無く!!あいつが何も言わずに居なくなるわけねえんだ―――!!それなのに、まるで他人事のように出てっただと!?ふざけんなっ!!」
「っ!?そ、んな!?」
そんなの嘘だ!!と叫びたかったが、呼吸するだけで苦しいので余裕がない。
それに…目の前の男の表情が、嘘をついているとは思えなかった。