雨の降る夜-7-
「…うまい!!」
じいちゃんが連れてきてくれたのは小さな酒場だった。賑わう店内は暖かい雰囲気に溢れている。心地よいジャズ、明るい店員の声、ニコニコ笑顔で乾杯する客たち。そして、アルコールに混ざって漂う香しい匂い…。
「ここのチェリーパイは絶品なんですよ。どれ、私も。」
俺とじいちゃんは口一杯にチェリーパイを頬張り、お互いの顔を見て笑った。パイの欠片が口の周りにペタペタと貼り付いている。
俺がいるためじいちゃんは紅茶、俺はミルクでそれを流し込む。料理を食べて幸せを感じることなど忘れていた。最後の一口がとても愛おしい…けど食べてしまう!
満足そうに口の周りを舌で拭うと、じいちゃんがこっちを向いていることに気がついた。
「…良かった。坊っちゃんはやはり笑顔がお嬢様にそっくりだ。笑って下さい、例え辛いことがあっても…私はあなたの笑顔が好きなんです。」
じいちゃんは目尻のシワを深くして微笑む。俺は泣きそうになるのを抑えて鼻の奥がつんと痛んだ。
変わったものは多い、でも変わらない、変わってはいけないものも確かにある。じいちゃんはそれを伝えたかったのだ。
そのあとじいちゃんはトイレに行くために席を離れた。俺は食べ終わったチェリーパイの皿を見つめて思い出していた。父と母が誕生日にケーキを焼いてくれたこと、母は飾り付けが苦手でクリームが悲惨な形になっていたこと、味は変わらないからと俺と父でフォローしたこと…。
ふふっと思い出し笑いをしていると、一人の男がじいちゃんの席に座った。
「あっ、そこは…。」
声を出すと同時に俺は固まってしまった。目の前にいる男は四、五十代でボロボロの黒い服を身にまとい、生気のない瞳を俺に向けていた。俺は…この顔に見覚えがある。
暗い路地から俺を見ていた男…。
「…お前…アイリス家の腐れ医者のガキだな?」
男は静かに低い声で喋りながら俺を睨んだ。
俺は肯定も否定も出来ずショックで動けない。この小汚い男は…俺を誰だか分かっている。知っていたとして何故、ここで俺に話し掛ける意味がある?
「何でこんなところにいるのかは知らねぇが…今日の俺はついてる――――…大人しく外に出ろ、騒ぐんじゃねえぞ。」
助けを…呼んだとしてここにいるのは酔っ払いに店員の女、料理を作る男はカウンター向こうで背を向けている。じいちゃんはまだ戻って来ない。時間を稼げば、じいちゃんが気づいて誰かを呼んでくれるかも…。
キラリと鋭い光が見えた。男はコートの中から刃渡り二十センチ程のナイフをちらつかせ、再び低い声で言った。
「下手なことは考えるな…とっとと外に出ろ。」