雨の降る夜-6-
…こんなにもこの屋敷は広かったのか。静かになってしまった空間に、まるで取り残されてしまった感覚に陥る。
優しく起こしてくれる母さんも、朝食を用意して待ってくれるメイドたちも、自分の退院後に笑顔で訪れる患者だった人たちも…。もう会うことはないんだ。会えないんだ…。
――――…そして、厳しくも優しかった父でさえ…。
それもこれも、全て俺のせいだ。俺の…。
学校へも行かず、部屋のベッドの上で横たわる。高い位置にあった太陽がどんどん傾き、空の色が水色から赤、そして真っ黒に染まるのを何も考えずぼうっと眺めていた。
ランプも点けないまま暗闇の中でふと思う。
…俺…生きていていいのかな…?
その時、パッと部屋の灯りが点いた。使用人の一人が夕飯の支度が出来た為に呼びに来たのだ。
「坊っちゃん…暗がりで何してるんですか?」
昔から母の家で仕えていた執事のじいちゃんが、寝ている俺の側までやって来てベッドに腰掛けた。俺は虚ろな視線を向けるが、起き上がろうとはせず、また窓の外に目を戻す。
「…何も…。何もないよ、俺には…。」
そう小さく呟くと、じいちゃんはそっと俺の頭を優しく撫でた。少しゴツゴツしてシワのある手が髪の毛に触れる。
「ありますよ。坊っちゃんの髪は奥様…いや、お嬢様と同じ綺麗なブロンドですね。でも目の色は旦那様と同じ深いブルーです。ちゃんとお二人からもらっているではありませんか…。」
「…え?」
じいちゃんの言葉を飲み込むまでに時間がかかった。
―――…俺には、まだある…?二人から貰った大切なものが…。―――――俺自身…?
じわじわと心の中が熱くなる。じんじん痛みを伴いながら、静かに小さく俺は泣いた。どうしようもないこの不安が消える訳でもない、分かっていても止められなかった。…もう渇れてしまったと思っていたのに。
じいちゃんは俺が泣き止むまで側に居てくれた。そのあと二人で冷めた夕食をとり、他の使用人が仕事を終えて帰るのを見送る。手を振ってくれる皆の優しさが嬉しくて…痛かった。
「坊っちゃん、夜も遅いですが…ちょっと私に付き合っていただけませんか?」
俺の気持ちを察して、じいちゃんは夜の町に俺を連れ出した。真夜中に外に出たことのなかった俺には、いつもの町のはずなのに別の世界に来たような感覚がした。
真っ暗なはずの夜の中、ランプの灯りがそこかしこにあり思った以上に明るく、人々も昼間より笑顔や笑い声が多い。ワイワイと賑わい活気が溢れ、至るところで音楽や歌も聞こえてくる。
「夜は家から出るなって言われてたけど、すごく賑やかだ。何で駄目だったのかな…?」
「確かに楽しいことは多いですが、その分危険なことも多くなるんですよ。だから子供のうちはあまり夜遊びはおすすめ出来ません。今日は特別です。あとは大人になってからのお楽しみです。いいですね?」
じいちゃんは人差し指を立てて内緒だと笑った。俺もつい笑みが溢れる。…笑ったのは何日振りだろう。
手を引かれて明るく賑やかな場所を歩いているが、確かに一歩路地に入ればそこは暗闇が支配しているようだ。何人か座ったり寝ている人がいたが、誰もが目の光を失っているような力のない表情をしていた。
その内の一人と目が合い、慌てて顔を逸らす。なんとなく恐ろしかった。じいちゃんの手を握る力が無意識に強くなった。