雨の降る夜-5-
『…父さん…どうして病院を辞めたの?』
閉じられた扉の前で俺は立ち尽くしていた。不思議なことに扉の向こうはとても冷たく恐ろしい、そう感じて中に入るのを躊躇った。しかし、返事がない。数回父を呼ぶものの、何かをガリガリと書きなぐる音だけ聞こえてくる。
俺はドアノブに手を掛けてゆっくり回す。鍵は…たまたま掛かっていなかった。無意識にごくりと唾を飲み込み、そっと中を覗こうとした。
――――その時だ。暗い部屋を見た瞬間、横からぬっと白衣を身に纏った父が扉の向こうで立ち塞がった。
『――――っ…と、うさ…。』
あまりにいきなりだったので息を飲んで目を見開いた。久しぶりの父の顔を見て更に驚愕する。
昔の面影が感じられないほど痩せこけ、顔は蒼白、目の下には大きなクマ、死んだ魚のようなどろんとした目をして俺を見下していた。
『………何をしている。』
父の声ではあったが酷くしゃがれていて低い。まるで別人になってしまった父の姿に、俺は口を開けたまま茫然として動けない。
『…用がないなら閉めるぞ。』
その言葉にハッとして渇いた喉から声を絞り出す。
『――――まっ…て、父さん…。どうして、病院を…。』
『他にやらなければならないことが出来たからだ。今に分かる。それまでこの部屋にもう近づくな、いいな。』
俺の話を最後まで聞かずに、父はそう言って扉を閉めた。今度は鍵までしっかりと掛けられる。
ガチャリという音と共に、俺と父の間に分厚い壁が立ちはだかった気がした。到底俺の力では動かないほどの…硬い壁が。
それからまた俺の周りが変わっていった。
長年家に勤めていたメイドが次々に出ていってしまったのだ。理由はなんとなく想像出来る。父はもう仕事をしていないし、母親の影を重ねて特に歳の近い女には厳しくなった。たまに食事や資料を取るため部屋を出てくる父しか見なくなったが、それでもその怒鳴り声は屋敷中に響き渡るくらい大きなものだった。あの細くなった体の何処から出るのかと思わせるほど。
しかし辞めていったメイドたち、その誰もが別れも告げず知らないうちに出ていった。それほど父と顔を合わせるのが嫌だったのか…それとも別の理由があったのだろうか。今となっては誰にも聞けない。
前は十人ほどいた使用人の数も半分以下になった。あんな仕打ちにあえば誰だって辞めたくなる気持ちも分かる。それに生活費だって父の親が俺たちの身を案じてお金を入れていてくれるからなんとか成り立っているのだ。これからどうなるか分からない所よりも、別の職を探す方がずっといいに決まってる。