雨の降る夜-1-
「…なあ、知ってるか?またメイドが辞めてったって。」
廊下で使用人の話し声が聞こえて、つい足を止める。暗がりの部屋にはランプが一つ灯っているだけ、覗きでもしない限りここに人間がいることなど気がつかないだろう。
そっと聞き耳を立ててその場に立ち尽くす。
「あー…三ヶ月前に入ったメリナだろ?可愛かったのになあ…残念だ。これで何人目だっけ?」
「確か四人目。はあ…女がどんどんいなくなっていく。まったく、リヤルト様は何を考えていらっしゃるんだか。」
「さあな…しかし、変わられたよなあ。奥様…サリー様が亡くなられてから、まるで人が変わっちまった。」
俺は抱えていた本をぎゅっと握り締めた。彼らの話はまだ続く。
「あれだけ優しかったのに今は見る影もない。特に女に厳しくなったよな。」
「サリー様のことを思い出してるのか、サリーはこんなことしない!!って、いきなり怒鳴り付けるんだもんな…。おんなじ人間なんて居やしないのに。逆に哀れに思っちまうよ。」
「あんなリヤルト様を見て、サリー様はどう思うんだろうな…。」
…どうもこうもない、もうこの世にはいないのだから。俺は心の中で呟く。
「今日も部屋から出てこられないのか?これで約一ヶ月は閉じ籠ってるぞ?いくらなんでも…身体は大丈夫なのかねえ?」
「さあ、どうかな。でも俺たちが何を言っても出てくる気はなさそうだ。――――坊っちゃんが説得しても駄目だったんだからな。」
…。
「―――さあ、仕事に戻るか。」
「そうだな…。」
二人の使用人が去ったのを確認し、火を消したランプを掴んで部屋から出る。握り締めていた本に爪の跡がついてしまったのを見て、溜め息を吐く。
外はどしゃ降りでじめじめと湿気が籠っている。ヒタヒタと絨毯の上を歩き、誰とも会わずに自分の部屋にたどり着いた。
再びランプの灯りをつけ、机の上に本を置く。
゛人体の構造-図解付-゛
ギイッと椅子を引いて座り、暗い部屋の中でランプの光だけを頼りに文字の並びを沿うように読み進める。
本を読むのは好きだ。読んでいる間は何かに悩む必要もない。集中して学ぶ楽しさに没頭出来る。
『まるで人が変わっちまった。』
…先程の使用人の言葉が頭の中を過る。駄目だ――――…集中、しないと。
『サリー様はどう思うんだろうな。』
胸の奥が痛くなる。苦しい、辛い。
柔らかなブロンドの髪を靡かせるサリーの姿は瞼に焼きついている。優しい、柔らかな笑顔で何時も俺を受け入れてくれた。抱き締めれば愛おしそうにキスをくれた。そして大好きだと、何度も何度も…言ってくれたのに。
――――…彼女は、もういない。
「―――――…っ!」
熱くなった目頭から滴がボタボタと溢れ出す。本の上に落ちるそれを拭うものの、次から次へと紙を濡らすのであまり意味がない。
「っう…ああ、あぁ―――――…。」
声を必死に圧し殺しながら、俺は自分の腕の中で泣いた。喉が痛い、でも止められない。溢れるものは服を濡らして、生ぬるい温度で腕に伝わる。
泣きたくないのに…。止めたいのに…。
『あらあら、また泣いているの?大丈夫よ、心配することは何もないわ。いい子ね…。』
そう言って慰めてくれる人は――――もういないのだ。受け入れようとしても、唐突に思い出しては涙を流していた。あれから二ヶ月近く経つというのに…。
結局…俺も現実を憎んでいるのだ。
あの人のように…。