9 手負いの子猫
アポロンを紹介した当初、ユカリは酷く警戒していた。
というよりも、怯えていたという方が正しいのだろうか。
普段自分と生活している時とは全く違う硬質な雰囲気に、アキレウスは正直戸惑った。
男が嫌いだと言いながら、出会った当初からユカリはアキレウスを、本当の意味で拒絶したことはなかった。だから、それほど重傷だろうとは思わなかったのだ。
アポロンの好みは(不本意ながらも)熟知していたし、それがユカリに当てはまらないことも知っていた。
あれほどアテナを乞い焦がれているユカリと共に生活をして、元々人の良いアキレウスが、情が移らないはずがない。
直接案内をしてやることは叶わなくとも、せめて手助けをしてやりたいと思ったのは、彼にしてみれば当然の流れだった。
けれど、アポロンを家に上げた瞬間のユカリの表情。
見かけによらず聡い彼女は一瞬でそれを覆い隠したが、アキレウスは読み取ってしまった。
裏切られた。
翳った瞳の刹那の絶望が、その一言を雄弁に語っていたのだ。そこでようやく、アキレウスは己の認識が甘かったことに気づいた。
何故男が嫌いなのか、ユカリに尋ねたことはない。
その必要を感じなかったし、無闇に詮索することは好きではなかった。
そのささやかな気遣いが、裏目に出てしまったか。
内心顔をしかめたアキレウスだったが、ユカリがすぐに何もなかったような表情に戻ったので、自分もあえて普通に振る舞った。
予想通りにユカリはアポロンの守備範囲外だったし、ユカリも何食わぬ顔でアポロンに対応していた。
ユカリの態度はアポロンが尋ねてくる回数に応じて軟化していった。十歩以上近寄ろうとはしないが、彼が顔を出せば用意していた『いらっしゃいませ』の羊皮紙を見せる程度にはなっている。
それきり姿は現さないものの、木製のテーブルにはいつも飲み物と菓子類が整えられ、彼女なりに必死に歩み寄ろうとしているのがわかった。
それは彼女が男性恐怖症を克服しようとしているのか、それともアキレウスの親しい相手だからかはわからない。
けれど、ユカリのその行動を、アキレウスはとても好ましく思っていた。
アポロンもまた、そんなユカリにだんだんと興味を持ったのか、行儀悪く菓子をつまみながら「あの平凡顔はどうしている?」などと訊いてくるようになった。
素直でないその態度に苦笑しながら、「手を出すなよ」と冗談交じりに釘を刺すのが、アキレウスの習慣と化している。
アキレウスは親愛の情と信じて、ユカリを守り続けている。
「裏切られた」と感じるほど、彼女が自分を信頼していることに気づかずに。
そして、彼女が自分だけに見せる笑顔に、少しだけ優越感を感じていることにも気づかずに。