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Αの女神とΩの娘  作者: 真咲 楓
本編
6/38

6 美女なのに美女じゃなくて変人だった

 アキレウスは本当に変人だった。

「俺のことは女だと思えばいい」などと言ったあげく、それでもやはり男は男だとつたないギリシャ語で主張するユカリに、「いいから思えやコラ」とすごんできた。



 負けるものかと精一杯虚勢を張ったユカリだったが、やはり怖いものは怖い。


(額に血管浮いてた。本当にこめかみに血管が浮き出てる人、初めて見た。本気で怖い)

 小動物のようにびくびくしながらそんなことを思い返すユカリは、しかし譲れない一線があった。


 女と思えと言うならば、後生だから女装してくれ。

 そう頼むと、本っ当に嫌そうにしながら、渋々女装をしてくれた。


 突然の頼みなのに、何故女物の服を持っていたのだろうか。

 しかもやけに似合うあたりが微妙に怖い。

 元々女性と間違えたぐらいだから美人だとは思っていが、女装をすると本物の女性にしか見えない。



 ……これで英雄か……。



 ユカリがしみじみしてしまったのも無理はないだろう。

 筋肉はしっかりついているのだろうが、優男に見えて英雄とは、やはり神話の世界はよくわからないものだ。


 ただ、いくら邪険にしても怒らないし、力一杯殴りかかっても何も言わない。

 さらには、何だかんだ言ってユカリの面倒を見てくれるから、俗に言う「いい人」なのだろう。


 アキレウスは何を言うでもなく、黙々と歩き続ける。土ばかりが目立ち、小石が足の裏に当たって痛かった地面から、いつの間にか草が多く茂った地面へと変わっている。


 それにしても、一体いつまで歩けばいいのだろうか。

 しゃべることができないユカリは、くいとアキレウスの腕を引いて、注意をこちらに向けた。



「ん? どうした?」



 振り向いたアキレウスに、ジェスチャーで書くものをくれと訴える。



『今 どこ 向かう?』

「ああ、とりあえず、俺の家だ。拠点がなきゃ、どうにもなんねえからな」



 もらった羊皮紙に懸命に書きこむと、アキレウスは嫌な顔一つせずに教えてくれた。その親切さに、ユカリは彼を信用してもいい気がしてきた。


 これは断じて刷り込みなどではない。絶対ない。

 助けてくれたからって、そこまで単純な人間ではない。


 呪文のように胸の中で唱えつつ、ひょいひょいと進んでいくアキレウスの足の速さに何度も殴りかかりながら、ユカリが連れてこられたのは簡素な一軒家。

 あたりには一軒も家がなく、ただ森を挟んだ遠くに街が見えるだけだった。



「入れよ。お前の住む部屋ぐらいはあるから」

『ありがとう』



 おそるおそる書いた羊皮紙を見せるユカリに、アキレウスはにいと笑ってうなずいた。ちなみに、頭をなでようとしたらしい手は、途中でぴたりと止まって下に下ろされている。



「お前、やっぱりアテナ達の教育がよかったんだな。挨拶はきちんと書けるのか」

『挨拶 大事 アテナ様 言う』

「だよなあ。うん、お前気に入った。――好きなだけここにいろよ」



 アテナのところに案内はしない。けれど、代わりにここに住んでいいと言ってくれる。


 この人にすがるしかないからと不承不承ついてきたユカリだが、アキレウスだけは男でも気を許してもいいような気がしてきた。

 ……女性の格好をしているからというのもあるとは思うのだが。


 張り詰めていた気を少しだけゆるめて、ユカリはこくりとうなずいた。アキレウスが押さえている扉から中に入る。

 もっと乱雑としているかと想像していた室内は以外にも綺麗に片づいていて、ますます男の家だという印象が薄れていく。

 むしろ小綺麗なあたり、一人暮らしの几帳面なOLのようだ。


 都内に住む姉の部屋を思い出して、思わずしんみりしてしまう。

 今頃姉はどうしているのだろうか。


 そんな考えがユカリの脳裏をよぎり、意識は完全に元いた世界にシフトする。



 夏は暑くて、あれほど嫌いだったコンクリートジャングル。

 けれどユカリは、休日にヒールのある靴を履いて、その上を闊歩するのが好きだった。

 かつん、かつんと音を鳴らして歩くと、少し大人になった気分になれたのだ。


 ませてるんだから、と姉に笑われたが、高校生のユカリにとって、「大人の女」は憧れだった。姉には絶対に言わなかったが、しっかりと自立して働いている彼女を、ユカリは尊敬していた。

 いつかきっと、自分も姉のように自立するのだ。そう決めていたはずなのに、今の状況はどうだろうか。

 誰かに頼らなければ何もできない自分を、ユカリはこっそりと自嘲した。



「どうした?」



 ぼんやりしていたように写ったのだろうか、アキレウスがユカリの顔を覗きこんでくる。

 それに曖昧に笑い返して、何でもないとかぶりを振ったユカリに、アキレウスは小さく肩をすくめた。

 深くは追求しない、そういう意味だろう。



「こっちだ」



 お前の服も用意しねえとなあなどと呟いているアキレウスの後ろをついて歩きながら、ユカリはこっそり真っ白な大理石にそっと手を滑らせる。


 ……アテナの宮殿と、同じ素材。

 あそこよりもずっと質素だけれど、同じような柱。


 思い出すだけで涙がこみ上げてくるが、男の前で涙を見せるなど、ユカリにとっては言語道断だ。もう一度アテナに会えるまで、そして元の世界に戻れるまで、絶対に泣くまいと決心する。


 ぐいと袖でにじんだ涙をぬぐったところで、アキレウスの足が止まった。

 どうやら、彼女のものになる部屋についたらしい。


 素朴な木製の扉。

 取っ手は銅でできているのか、僅かに緑青が見える。

 アテナの宮殿では金属の類は全て白金だったため、ユカリの目には新鮮に写った。



「ここ、自由に使っていいぞ。たまに変な奴来るけど、まあ気にすんな」

『はい。ありがとう 優しい アキレウス』



 書きにくい手元で懸命に書いて見せると、アキレウスが小さく苦笑する。



「それにしても、お前の文法滅茶苦茶だな。アテナも短期間では教えきれなかったか」

『アテナ様 違い 私 悪い』

「ああほれ、そこの動詞の使い方。活用間違ってるっつーの。……教えてやるからこっち来い」



 アキレウスは呆れたようにため息をつくと、椅子を引いて顎でそこを示した。

 座れという意味だろうと察し、ユカリもおとなしく指示に従う。





 それが地獄のような特訓の始まりだとも知らずに。





「違う馬鹿! 何度言ったらわかるんだ! そこは三人称だから語尾はこうだろうが!!」


(ひいいいいいいい!!)


『ごめなさい』

「阿呆! また綴りが違うわ!!」

『ごめ ごめんんあさい?』

「違うわ阿呆!! その脳味噌は綿菓子か!? だから覚えられんのか!?」


(アキ、アキレウス、人格違う……!)



 そんなやりとりが続くこと数週間、ようやくアキレウスの愛の鞭(という名の暴言)も少なくなってきた。

 ユカリの右手にはペンだこがくっきりとでき、無駄にした羊皮紙は数知れず。

 お世辞にもよくできた生徒とは言えなかったが、アキレウスは見放すことなくユカリに文字を教え続けていた。


 ユカリ自身がトラウマになるほどに恐ろしかったというのは別の話として。



「おし。まあ、こんなもんだろ。わかんねえことがあったらまた言えよ」

『はい。ありがとう、アキレウス』



 さすがに今回は書けたらしく、アキレウスが満足そうにうなずいた。


 本気で怖い先生だが、ユカリがきちんと書けた時には褒めてくれる。

 しかも、いまだに彼女の要求通り、律儀に女装をしているものだから、女の人と暮らしているような錯覚に陥ることもしばしば。



 男だけれど、アキレウスは嫌いではない。



 アキレウスの家に厄介になり始めてから数ヶ月、ユカリはようやくそう思えるようになった。

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