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Αの女神とΩの娘  作者: 真咲 楓
本編
5/38

5 接触

(ア、アテナ様ぁ……ニケ様ぁ……アフロディーテ様ぁ……!)



 どことも分からない荒野。本当に天界なのかと疑いたくなるような、土と草の寒々しい景色。

 辺りを見回しても宮殿はおろか家すらなくて、さらに不安を煽りたてられた。


 遠くに見えるのは街だろうか。家らしきものがぎゅうぎゅうと集まっていて、神々のいる場所ではありえないその光景に、少なくともここが神の住まう領域ではないことがわかった。

 ――となると、答えは一つ。

 英雄と呼ばれる人々、そして天に召されることを許された人々が住む領域だ。ここから神々の領域までは、かなりの距離があるはず。


 アテナと離ればなれにされてしまった。いくら心の中で必死に呼んでみても、あの凛として優しい声が応えてくれることはない。

 最後に目に焼きついたのは、ヘラの燃えるような瞳。

 とても綺麗な女神だったが、怒りに染まった双眸が恐ろしくて、よく見ることができなかった。


 どうして自分が目をつけられたのか、ユカリにはさっぱりわからない。特にヘラの気に障るようなことは……。

 していないと思いかけて、ふと一人の男神を思い出した。



 ――も し か し て。



 毎日のようにやってきてはアテナにフルボッコにされていた、あの男。

 きらきら光る金髪が印象的だった、あの男。


 もしや、あれがゼウス?

 あんなのに追いかけ回されただけで、嫉妬の対象になったのか?



 思い返せば、「いい加減にわきまえなさい、この好色親父!」「生みの親に向かってその態度はなん……ぎゃあああああ!!」とかいう会話を遠くで聞いたような気がしないでもなかった。

 あれが全能の神ゼウスかと疑いたくなるような言動だったが、「ユカリは何も気にしなくていいのよ」と甘やかすアテナに従っていたのが運の尽きだったのかもしれない。


 ヘラ様の怒り、半端ない。

 というか、呪いの程度半端ない。

 女神の嫉妬恐ろしい。

 そして、とばっちり食らった私ドンマイ。


 この状態では、男神が近くにいても悲鳴をあげることすらできない。

 ひたすら走って逃げても、遊んでいるだけだと思われるだろう。


 最悪だとげんなりとしつつ、それでもどこかにいるであろうアテナ達を探して、ユカリはとぼとぼと歩きだした。


 ごつごつとした岩場が、裸の足の裏に痛い。

 アテナと暮らしていたあの場所が、まるで夢のようだ。



(だーれーかー! 女の人限定でー!!)



 心の中で叫んでいると、目もくらむような美女が向こうからやってきた。

 やった! と喜んだのもつかの間、ユカリは微妙な違和感に眉根を寄せる。



(……うん?)



 女性にしては、妙に肩幅が広いような気がする。それに、歩き方もどことなく粗雑なような……。

 いや、でも、あんな綺麗な男の人はいない! はず!


 そんな思いを胸に、必死に足を進める。

 精神的にも肉体的にも、かなり限界がきていた。

 精神的な支えを求めて、最後の力を振り絞る。


 倒れそうになりそうな身体で、いや実際ほとんど倒れこむように、はっしと腕にすがりつく。そして、支えてくれた腕の力に、ぞわりと総毛立った。


 ……この力強さ、この筋肉質。

 どう考えても、女性じゃない。しかも気配からして、神じゃない。



 と い う こ と は 。



 ざざざざざざっと音を立てながら、全身から血の気が引いた。


 力の限りに殴りかかったのに、自慢の拳は男にかすりもしなかった。

 それどころか、「うおっ」なんてどこか間の抜けた声と共に、軽々と避けられてしまう。

 悔しさにぎりぎりと歯ぎしりをするユカリに、男が声をあげて笑った。



(何よ何よ何よ、何がおかしいのよ!!)



 目に力をこめて睨みつけると、男の笑い声がさらに大きくなる。



「お前、変な奴だな! さっきまで泣きそうだったのに、もう殴る元気があるのかよ」



 ひぃひぃと笑いながらそう言った男は、笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭いながらユカリを見る。



「しっかし、何だってまたこんなところにいるんだ? ここら辺には誰も住んでないはずだが……」

(……ここら辺って、ここはどこよ?)

「迷子にしちゃあ、大きすぎるしな。身なりも見てくれもいいし、どっかから攫われたか? お前、どこから来たんだ? 送ってってやるよ」



 ほれ、言ってみろ。


 殴りかかった事など気にもとめず、男は「ん?」と小首を傾げる。

 あまりにあっけらかんとしたその態度に、ユカリは思わず毒気を抜かれてしまった。


 何なんだこいつは。

 馬鹿か、馬鹿なのか。

 こちらが殴りかかった(しかも力の限りに)というのに、気にもとめていない。しかも親切にしてくるとは。


 下心があるようには見えなかったが、思わず探りを入れるような目つきになってしまう。心の中で散々こけにしたところで、はたと気づいた。


 この男、神だったらどうしよう。


 血の気が一気に引いていく。

 ざざっと音までしそうだ。

 人間だとばかり思っていたけれど、ここがどこかわからない限り、神だという可能性も否定できないのだ。大切に囲われていたのが裏目に出て、服装だけでは判断できないのが悲しい。


 慌てて非礼を詫びようとして、声が出ないことをようやく思い出した。

 これでは、何を言おうとしても伝わらない。

 仕方がないので、棒きれを拾って、地面にへたくそな文字を書いた。



『ごめんなさい』



 アテナに教わった、ギリシャ語。

 派生がありすぎて覚えるのに苦労したのだが、アテナの優しく丁寧な指導の賜で、外国語が苦手な日本人であるユカリも、なんとか簡単な単語ならば書けるようになっていた。



「ん? ……お前、もしかして――」

『声 でる ない』

「……声が出ないのか。名前は書けるか? どこから来たんだ?」

『ユカリ。きた 場所 わかる ない』



 男の声がぐっと優しくなった。

 そうか、と呟いたその男に頭をなでられそうになったので、ユカリはばしりと振り払って威嚇しておく。

 一瞬間の抜けた顔になった男は、次いで吹き出した。



「お前、男が嫌いか。そうかそうか」

『はい』

「ユカリ、か。誰と一緒にいた?」

『アテナ様』

「あー……」



 簡潔な答えに、男が何とも言えない表情になる。

 上を見て、下を見て、右を見て、左を見て。





「あの、な。悪いことは言わねえから、アテナのところに帰るのは諦めろって」





 何故だと思わず睨むと、男は乱暴に頭をかきながら、非常に言いにくそうにこちらを見た。


 ユカリは何も悪いことをしていないと明言できる。

 むしろ、とばっちり受けた方だ。何が悲しくて、夫婦喧嘩のいざこざに、何の関係もない自分が巻きこまれなければいけないのか。



「アテナと一緒にいたって事は、あれだろ。噂のヘラに呪いかけられた奴だろ。俺達英雄にまでお達しが来てんだって、アテナのところには案内するなってさ」



 ――英雄? それならば、ユカリが遠慮する必要など、始めからなかったのだ。

 いやいやそれよりも、アテナのところに帰れない?

  どうしてそこまでする必要があるのだろうか。


 恐るべし、ヘラの執念。

 神の嫉妬怖い。

 関わりたくなかった。

 というか、思いっきり濡れ衣なんですけど!



『帰りたい』

「だーかーらー、それはできないんだって」

『帰りたい』

「無理だって。逆らったら俺が何されるかわかんねえもん」

『帰りたい』

「ああもう、お前もいい加減しつこ――」



 苛ついたように彼女を見た男は、ぎょっとしたようだった。それにも構わずに、無言でぼろぼろ泣きながら、同じ文字を書き続ける。


 アテナ様、アテナ様、助けてください。私はここです。お願いです、見つけてください。

 ここはどこですか、どこまで行けばお会いできますか、どうしたら見つけていただけますか。私はどうしたらいいのでしょうか。



「…………っ!!」



 アテナは全力でユカリを守ると約束してくれた。

 念じれば必ず叶うと信じて、同じ文字をひたすらなぞり続ける。

 何度も、何度も。


 その様子を見た男は、諦めたように大きく息を吐いた。



「……ああ、くそ!」



 ぐしゃぐしゃと頭をかき乱して、忌々しげに舌打ちをし、そうして彼女に手を差し出す。

 もちろん、即行はたき落とさせていただいた。



「俺はアキレウス。アキレウスだ。お前が落ち着けるところを見つけるまで、面倒見てやる。いいな?」

『男 嫌』

「あー、はいはい。わかったわかった。我慢しろ」



 ぐしゃりと頭をなでられたユカリが、その手を力の限り叩き落としたのは言うまでもない。

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