30 臆病者の自嘲
薄暗い空間の中、時折不気味な咆哮が響く。
先を行くプロメテウスは迷いない足取りで進んでいく。
足下にあるのは道だろうか、それともおぞましい何かだろうか。
足の裏から伝わる感触は、岩でも地面でも、草でもない。
目覚める前のユカリならば、恐怖に恐れおののいたことだろう。肝が据わった今でもなお、恐怖の名残は凝っていた。
炎が照らし出した壁は、漆黒の岩肌。そこからところどころ突きだしている白い尖ったものは――考えたくもない。
かぶりを振ったユカリは、プロメテウスの手から生まれた炎を見やった。
「……ねえ、ユカリ」
不意にプロメテウスが口を開く。
「君は本当に、クロノスに会いたいのかい?」
――それは、どういう意味だろう。
彼は一貫して、ユカリがクロノスに会うことに対して難色を示していた。その態度は、一体何を表しているのだろうか。
彼女のうなずきを、彼は後ろを見ることなしに感じ取ったようだった。
「何があったとしても? 見たくないものを、知りたくないことを、無理矢理暴かれたとしても?」
相も変わらず不吉なことばかり言う。けれどその陰には、微かにユカリの身を案じる気配が見え隠れしていて。
次のうなずきには、しばらく時間が必要だった。
道標はただ一つ、プロメテウスが掲げた手にある炎だけ。
ぼんやりと浮かぶ明かりの中で、交わす言葉は少なかった。
あの炎を神の世界から盗み、人間に与えた罪で、彼はあの罰を受けていたのだという。そして、それをヘラクレスに助けられたのだと。
その炎を扱うことに、彼は恐怖を感じないのだろうか。
あんなトラウマになりそうな罰を受けた大元なのに、どうしてそれをたやすく扱えるのだろう。
「ユカリ、君は今、こう思っている。私は炎が怖くないのかと」
唐突に放たれた言葉に、身体が強ばった。まさか読心術かと身構えた彼女に、プロメテウスは小さく笑う。
「恐れてはいないよ。炎以外にも、色々なものを盗んだからね。神だけが全てを独占する、そんなことはおかしいと思わないかい?」
全ての文明を神が独占し、人間は何一つ与えられることなく過ごしていく。そんな理不尽な時代が、ここにはあったのだ。
プロメテウスはきっと、それが許せなかったのだろう。神々ばかりが楽をする現実に、たった一人で刃向かったのだ。
その先に、どんなに過酷な罰が待っているかがわかっていても。
たった一人で全ての神々に立ち向かったプロメテウスと、英雄と賞賛されるにふさわしい勇気を持った、危険を承知でついてきてくれているアキレウス。そして、ヘラから逃げ続けているユカリ。
二人と自分の、なんと正反対なことだろう。
思わず自嘲がこぼれた。
「ユカリ?」
どうしたと、アキレウスがこちらを覗きこむ。それにゆるくかぶりを振って、力の限りに拳を握りしめた。
今度こそ、このクロノスとの対面が終わったら。一人でヘラのところに乗りこんで、ゼウスをしばき倒しつつ誤解を解こう。
「もうすぐ、クロノスの居場所に着く。ユカリ、覚悟はいいかい?」
不吉なことばかり言っていたプロメテウス。
取引が終わった今、クロノスはどうやってヘラの呪いから解放してくれるのだろうか。
今まで考えもしなかったことが頭をよぎって、すうと血の気が引いた。
クロノスは本当に、しゃべれるようにしてくれるのか。
思い返せばかの神は「ヘラの呪いから解き放つ」と言っただけで、具体的な方法は何一つ示してくれなかった。ユカリの早合点だと言われてしまえば、その通りだとしか返せない。
ぐるぐると、嫌な予感が頭を巡る。唇を噛みしめたユカリに、プロメテウスが短く告げた。
「着いた。……開けるよ」




