22 取引
暗闇に堕ちたのは、唐突だった。
アキレウスと二人、走り続けている最中。
突然意識が暗転して、ユカリが意識を取り戻した時には、もうそこにいた。
――クロノスが繋がれた、あの空間に。
「……今度は何の用?」
『哀れな娘よ、助けを求めるか』
「助けてくれるの!?」
『条件が一つ』
いくらおいしくとも、信じられないような話だ。それでも彼女は、ヘラの怒りから逃げられるなら、どんな嘘のような話でも飛びつきたかった。
冥い空間に目を凝らす。じゃらりと、重い鎖のような音がした。
『プロメテウスを救い出してみせよ』
「……プロメテウス?」
誰だそれは。どこにいるんだ。
そんなユカリの心の声を、クロノスは予想通りあっさりと無視した。
神とはそもそもが気まぐれで傲慢な存在。それを知っているユカリは、声に出して訊く事も諦めた。
先程の疑問符に答えてくれないのならば、それ以上の答えはないはずだ。
『どうした? 受けぬのか?』
「プロメテウスが誰か、教えて。情報が少なすぎる」
『受けぬのならば、それもまたそなたの道。戻るがよい』
念のためにと問いかけても、やはり言葉は一方的だ。それに文句を言う暇もなく、彼女の意識は遠のいていく。
問答無用でアキレウスの所に戻されると直感して、思わず叫んだ。
「受ける! 受けるから、助けて!!」
一瞬遠のいた意識が、また暗黒の世界に戻ってきた。
じゃらり、じゃらり、じゃらり。
金属のこすれる音だけが、不気味に響く。
『盟約は果たそう。条件を満たせば、ヘラの呪縛から、そなたを解き放つ』
「――約束よ」
そうして彼女は、闇の道に一歩踏み出したのだった。無自覚に。
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目を開ければ、心配そうなアキレウスの顔。その手が肩に添えられているのに気づいて、ユカリは反射的に身じろぎをしてしまった。
「悪い」
つい、と頭をかくアキレウスは、どこからどう見ても女性そのもの。
けれど、ユカリが彼を「男」と認識している限り、彼女はそれを完全に受け入れることはできない。
「いきなり倒れるから、どうしたのかと思ったぞ」
その話しぶりから察するに、どうやらユカリは走っている最中に倒れたらしい。とっさにアキレウスが受け止めてくれたのだとしたら悪いことをしたと、心の中だけでひっそりと思う。
『クロノス様に会った。プロメテウスって人を助ければ、ヘラ様から助けてくれるって』
「――プロメテウス?」
地面に綴りが怪しい文字を書くユカリの手元を、アキレウスが覗きこむ。そして怪訝な表情になった。
一体どうしたのかと顔を上げたユカリに、彼は衝撃的な事実を告げる。
「助けるも何も、プロメテウスはとっくに自由になってるはずなんだが……」
思わず自分の耳を疑ったユカリを、誰が責められるだろうか。
助けるはずの相手が自由ならば、約束も果たせないことになる。
元々不可能な取引だったのかと、にわかに目の前が真っ暗になるのがわかった。
どうしよう、どうすれば。
本当にプロメテウスは助けるべき状況にいるのだろうか。
それとも、ユカリの聞き間違いだったとでも言うのだろうか。
ふと気がつけば、ユカリはぐったりと力の抜けた身体を、アキレウスに支えられていた。振り払おうとしても、その力が出てこない。
「プロメテウスのことは心配するな。大丈夫だ、俺がツテを頼ってみるから、お前もできる限り探してみろ」
力強いアキレウスの言葉。彼女にできたのは、ただうなずくことだけだった。
いつの間にか10万PV…(( ;゜Д゜))))ありがとうございます。
今回は区切りの都合上、ちょっと短めですがここまで。