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Αの女神とΩの娘  作者: 真咲 楓
本編
13/38

13 神殿へ

 ユカリが彼の家に厄介になり始めてから、しばらく経った。

 言いつけ通り一応はおとなしくしていたのだが、ユカリの性質上、じっと待っているだけというのは性に合わない。

 どうしたらアキレウスの目を盗んで外に出れるのか、彼の行動パターンを盗み見しながら考える日々がしばらく続いた。


 どうすれば、こっそり抜け出せるだろう。


 毎日考えに考えたが、アキレウスの行動に隙はなかった。というよりも、英雄に一般庶民が勝とうとすること自体が間違っていた。


 物音一つで目を覚ますって、普段からどれだけ気を張り詰めているんだ、アキレウス。

 そんなんじゃあ、そのうち神経すり減っちゃうぞ。


 突っ込みどころの多い彼に頭を抱えるユカリ。


 もちろん気配にも敏感で、ユカリが一人で庭で洗濯物を干しているだけで、「気をつけろ」と注意が飛んでくる。

 過保護すぎないかと思いもしたけれど、多分元々お節介なのだ、アキレウスという男は。

 ヘラが怖いのも本当なのだろうが、基本的に「いい人」だ。


 本当に心配してくれている彼をだますのは忍びないけれど、やはり情報がほしい。

 というわけで。


 夜中にこっそり抜け出すぐらいしか、ユカリには思いつかなかった。


 幸いにも、アキレウスの寝室と彼女の部屋は離れている。窓の外も、多少草が生えているとはいえ、土の部分だけ注意して踏めば、素人のユカリでも足音はたたないだろう。

 アキレウスに気づかれないことが最重要課題で、ユカリの作戦が成功するかどうかの要だ。


 何食わぬ顔をして、夕食を終えて。順番に湯浴みをして、居間で濡れた髪を布で乾かしながら、アキレウスからギリシャ語を習う。

 だが、この後のことを考えると気もそぞろになってしまって、いつもよりもはたかれる回数が多かった。


 側頭部が痛いです、アキレウス。

 羊皮紙って丸めると結構な武器になるんだね、初めて知ったよ。


 痛む頭をさすりながら、最後の蝋燭をそっと吹き消す。夜闇の中に大理石の壁や柱が映えて、黒と白のコントラストが目にまぶしいほどくっきりと浮かび上がった。



「お休み」



 軽く手をあげるアキレウスにユカリも頭を下げ返し、自分の部屋に入る。ここまではいつも通りだ。

 いつもと違うのは、ここからだ。


 アテナの宮殿を離れて幾月、ようやく履き慣れた靴を脱いで、そっと窓から外に出る。

 草の部分を踏まないように細心の注意を払いながら歩き続けて、家が小さく見えるようになったところで、ようやく一息つく。


 いくら音がするからとはいえ、荒野を裸足で歩くのは、慣れていないユカリには辛かった。

尖った石があったのか、柔らかな足の裏に血がにじんでじんじんと痛む。

 けれど、こんなところで挫けてはいられないと己を奮い立たせた。


 目指すは、街との間に見える神殿。

 そこに誰が祭られているのか。

 それすらも知らなかったが、ユカリが頼る先はそこしかない。


 神々との距離がちょっとあるここでは、神と連絡をとるのに神殿を使うと、アキレウスから聞いていた。

 神の方も結構気軽に出てくるというから、ひょっとしたら誰か味方になりそうな神と話ができるかもしれない。

 ユカリは、その数割にも満たない可能性に賭けていた。


 痛みをこらえながらハンカチで血を拭い、歯を食いしばりながらしっかりと靴の編み紐を結ぶ。見渡す限りの荒野の先は、薄暗い森だった。


 ここまで街と距離を置くなんて、アキレウス、ひょっとして人が嫌いなんだろうか……。

 いらぬ世話まで心配しつつ、ユカリは森へと足を踏み入れた。


 ざわざわと、風が森を揺らす。

 襲いかかる手のような影を落とすその葉音に混じって、野生動物と思しき遠吠えが聞こえる。

 彼女の現代人としての感覚が恐怖を訴えてきたが、ヘラのあの瞳の恐ろしさを思い出してなんとかこらえた。


 薄暗い森の中を歩いていると、家族でキャンプに行った夜を思い出す。

 あの頃のユカリはまだ小学生で、真っ暗闇の中をトイレに行くのが怖くてたまらず、母親を起こしてすがりついたものだ。

 翌朝姉にからかわれたが、その日の夜に姉自身も母と一緒にトイレに行ったことを、ユカリはちゃんと知っていた。


 あの頃よりも、ずっと野生にあふれて恐ろしい森。

 足がすくみそうになるけれど、神殿で神に助けてもらうという目的を胸に、ユカリは進み続ける。


 アキレウスに見つかるのを避けるために、明かりは何も持っていない。けれど、月を司るアルテミスが、夜道を綺麗に照らしてくれていた。

 ここに来て、初めて月の明るさを知った時は驚いたものだ。


 直接会えずとも、女神達の慈愛は、折に触れてユカリに届いている。


 どれぐらい歩いただろう。

 ただでさえなまっていたユカリの身体は疲れ切っていて、足も棒のようだ。

 動かない足を引きずるようにして薄暗い森の中を歩いていると、急に視界が開けて松明の明かりが見えた。


 ああ、神殿だ。

 知らず安堵の息がもれた。


 いくつもの松明に照らされた大理石の神殿は、赤い炎を反射して朝焼けのように輝いていた。

 荘厳な雰囲気に呑まれながら一礼して中に入ると、ちょうど夜勤だったらしい巫女が彼女の姿を認め、小さく顔をしかめる。



「何ですか、こんな夜更けに。急患ですか? それとも、森で怪我でもしましたか?」



 嫌そうに響いたその言葉に、ユカリは小さく首を傾げた。


 急患? 怪我?


 怪我なら確かにしている。

 だが、そこから何故急患という言葉が出てくるのかがわからない。

 そもそも、ここが誰の神殿かもわかっていないのだから、それを教えてもらわなければ話が始まらなかった。

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