11 不可思議な邂逅
暗い冥い、闇。
自分が本当に存在しているのか、それすらもわからなくなる錯覚に陥る。
一寸先も見えないほどの闇の中、どうしてこうなったんだろうとユカリは一人首をひねった。
彼女は確かに、与えられた自室のベッドで、眠ったはずだ。
しかし、夢にしては、感覚の全てが奇妙に現実味を持ちすぎている。
ここは一体どこなのだろうか。
『娘よ。名もなき娘』
思い当たる場所もなくユカリが困っていると、突然空間を震わせる低い声がした。
轟くようなそれに驚いて、思わず数歩後ずさってしまう。本当に後ずされたかどうかも怪しかったのだが。
「だ……誰?」
『哀れな娘。我が娘』
「いや、こんな不可思議な父親を持った覚えはないんだけど」
会話にもならない言葉のやりとりのあと、ようやく自分がしゃべれていることに気づく。
何故かと首を傾げる暇もなく、またあの低い声が響いた。
『哀れな娘よ。お前はもう、二度と元の世界には戻れまい。その魂がある限り』
「は――? ちょっと待ってよ、それってどういう意味?」
『名もなき我が娘よ。なんと哀れなことか』
低い声は楽しんでいるようだ。くつくつと笑い声が聞こえ、声はどこまでも嫌味たらしい。
それに苛立ちが募るのを感じながら、見えない床を気持ちだけ足で蹴りつけた。
かつん、と硬質な音がして、思いがけず響いたその大きさに、ユカリはびくりと身体を震わせる。
そんな臆病な自分を隠すように、彼女は一段と大きく声を張り上げる。
「どうでもいいから、早く帰して。どうせあなたがここに連れてきたんでしょう? 声も出るようになったし、アテナ様のところに戻らなきゃ」
『声? ――ああ、お前は我が娘に声を奪われていたな。案ずるな、出るようになったのは一時しのぎだ。地上に戻れば、再び元通りに出なくなるだろうて』
「な――」
何を、言っているのか。
現にこうして声が出ているというのに、「ここ」を出ればまたしゃべれなくなる?
冗談じゃない。
ユカリは、自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。
「あなたは誰!? どうして私をここに連れてきたの!?」
『お前の絶望に沈む顔を見たかったからだ、我が愛娘』
「私はあなたの娘なんかじゃない!!」
噛みつくように反論すると、また低い笑い声が聞こえた。
聞けば聞くほど苛つくその声に怒鳴ろうとしたその時、ようやく笑いをおさめた声が、不気味に響く。
『我が名はクロノス。どうあがこうと、お前は運命からは逃れられぬ』
闇は、その言葉と同時に終わった。
********
「ユカリ……おい、ユカリ!」
(……アキレウス?)
聞き慣れた声に重い瞼を押し上げると、心配そうなアキレウスの顔が飛びこんできた。
瞬間的に身を強ばらせたユカリを見て、アキレウスが苦笑しながら一歩離れる。
それに安心しながら、心のどこかが苦しくなった自分に、ユカリは気づかれないように眉根を寄せた。
辺りを見回せば、既視感のある荒野。
ユカリは一瞬、時間が巻き戻ったのかと驚いた。即座にそんな馬鹿げた考えは切り捨てたが。
「――――」
ありがとう、と言ったはずだった。
しかし、出てきたのはひゅうひゅうという風が抜ける音だけ。
あの場所でしゃべれたということは、もしかしたら治ったのかもしれない。
そんな微かな希望にすがって声を出したつもりでも、やはりクロノスの言う通り、ユカリの声はひとかけらも出てくれなかった。
『ありがとう、アキレウス』
仕方がないので木の枝を取り上げて枯れ果てた地面に書くと、いいってことよと頭を叩く――振りをされた。
ユカリはこういう風に、自分からは絶対に触れない、彼のその優しさが好きだった。
彼女から彼に触れたことも、またないのだけれど。
「帰るぞ。……ったく、何だってこんな辺鄙なところまで来たんだよ」
『ここはどこ?』
「お前が倒れてた場所に近い。よくここまで来れたな」
最初に倒れていた場所。アキレウスとユカリが、出会った場所。
ここから彼の家までは、かなりの距離があったはずだ。
『クロノスって人に会った。知ってる?』
クロノス、の綴りが怪しかったが、どうやらアキレウスには充分伝わったようだった
。その表情がさっと固くなる。
「……クロノスだと?」
『知ってるのね?』
「知ってるも何も……お前、タルタロスに行ったのか?」
『タルタロス?』
お互い訊き返すような状態になってしまったけれど、ユカリも、そしておそらくアキレウスも、状況がいまいちよくわかっていない。
二人揃ってしばらく見つめあった後、らちがあかないと思ったのか、アキレウスが小さく息を吐いて説明を始めた。
「タルタロスは、地底の奥深くにある場所だ。ゼウスが自分の父神を幽閉している」
『幽閉……じゃあ、私が会ったのって――』
「そう。タルタロスの罪神、ゼウスの父。クロノスだ」