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第10話 届いた特級要請

翌朝の冒険者ギルド《白梟の止まり木》は、普段の快活な賑わいとは明らかに異なる、重苦しい緊張感に包まれていた。


「おい……あれ本気かよ」

「誰が受けるんだ、あんな依頼……」


酒場の扉をくぐったエルシアの耳に、冒険者たちの押し殺したような囁き声が届いた。

依頼掲示板の前には、すでに何重もの人垣ができている。歴戦のベテランから血気盛んな若手まで、誰もが眉をひそめ、掲示板の中央に貼り出された一枚の羊皮紙を見上げていた。


エルシアは人垣の隙間から、掲示板の最上段へと視線を向けた。


羊皮紙の縁を飾る、金色の意匠。

ギルドマスター直筆の特級案件を示すその紙面には、見上げる者を圧倒する大文字が刻まれていた。


『緊急討伐指定:東の旧街道封鎖・巨大型魔物「剛岩のゴーレム」』


「剛岩の……ゴーレム……」

エルシアは小さく息を呑んだ。


昨夜、酒場の奥でドノヴァンがアルトに告げていたあの名だ。

街道の封鎖。それは、ラディスと王都や東方諸都市を繋ぐ生命線が、完全に断たれたことを意味していた。

交易馬車の往来が止まれば、街の食糧や物資の流通は瞬く間に麻痺する。一刻を争う緊急事態だった。


だが、提示された破格の報奨金――金貨五十枚という大金を前にしても、誰一人として依頼票に手を伸ばそうとはしなかった。


「無理だ……並のパーティじゃ返り討ちに遭うのが目に見えてる」

大剣を背負ったリックが、苦々しい顔で首を振った。


「全身が超高密度の花崗岩と魔力装甲で覆われてるんだろ? 俺の大剣を全力で叩き込んだって、刃こぼれして終わりだ。魔法だって、外殻の魔力脈に拡散されてまともに通らねえ」


その隣で、腕を組んだヴァルスが重々しく頷いた。

「それだけじゃねえ。あいつの体長は五メートルを超える。あの質量で振り下ろされる岩石の腕は、直撃すれば家屋ごと叩き潰す威力だ。俺のタワーシールドでも、二発受け止めたら盾ごと腕の骨を粉砕される」


歴戦の盾役であるヴァルスですら、完全な防御を否定した。

並み居る冒険者たちが息を詰め、沈黙が広がる。


そして、彼らをさらに絶望させている決定的な理由が、羊皮紙の最下部に刻まれた鮮烈な朱文字だった。


【※本依頼は危険度高につき、ソロ受領不可。最低二名以上のパーティ限定】


「よりによって、ソロ不可とはな……」

誰かが溜息混じりに呟いた。


「あの硬い外殻を断ち切れるとしたら、この街じゃあの一人しかいねえだろ。……Sランクのアルトさんだ」

「だが、あいつはソロ専門だぞ。仲間を信じず、誰とも組まねえ欠陥剣士だ。そんな奴が、誰かとパーティを組んでこの依頼を受けるわけがねえ」


「ああ……あいつに頼るのは最初から論外だ。誰とも息を合わせられないんだからな。街道の再開は諦めて、王都の騎士団の到着を待つしかないさ」


口々に交わされる、アルトへの諦めと誤解。

孤高を貫く彼の剣を、誰もが「一人でしか戦えない異端」と決めつけていた。


(違う……!)


エルシアはきゅっと短杖を握りしめ、心の中で強く否定した。


アルトさんは誰とも組めないんじゃない。

彼の研ぎ澄まされた速度と間合いに、誰もついてこれなかっただけだ。

そして、あの過酷な計算をすべて一人で背負ってきたからこそ、誰も巻き込まないために一人で戦っていたのだ。


エルシアは人垣をかき分け、掲示板の前に進み出た。

純白の軽装神聖衣の裾を揺らし、依頼票の細部に記されたゴーレムの魔力特性を食い入るように見つめる。


(全身を覆う強固な魔力装甲……。でも、あれだけの巨体を動かすためには、必ず体内に魔力を巡らせる『核』があるはず)


二ヶ月間の武者修行で培った、エルシアの観察眼が高速で回転を始めた。


(外から強引に叩いても、硬質岩石に弾かれるだけ。……でも、歩行の瞬間、あるいは腕を大きく振り下ろす瞬間、重い質量を支える関節に必ず極小の『魔力の軋み』が生まれる)


その瞬間を、後衛から正確に見極めることができたら。

関節の魔力循環の歪みを先回りで調律し、わずかでも光を通すことができれば――外殻の魔力装甲は、一瞬だけ機能を失い、防御の結界に穴が開く。


そして。

その一瞬の隙に、迷いなく最短の神速の一刀を叩き込める剣士が――この世界に、たった一人だけいる。


(アルトさん……!)


胸の奥底で、熱い光が弾けた。


世界中の誰もが「倒せない」と怯み、「あいつには組める相手がいない」と見下していても。

エルシアには、はっきりと見えていた。


アルトの極限の剣速と、自分の戦況管理と調律治癒。

二人の力が噛み合えば、あの剛岩のゴーレムすら、一瞬で両断して打ち倒すことができる。


(私、この二ヶ月間、ずっとこの日のために走ってきたんだ……!)


甘えて守られるだけのお荷物ではなく。

アルトの思考負荷をすべて引き受け、あの人の背中を完璧に支えられる本物の相棒として。

いまこそ、あの人の隣に立つ時だ。


「エルシアちゃん?」


ふいに、背後から声をかけられた。

振り返ると、リックやカイル、マリーナたちが心配そうにこちらを見ていた。


「あの依頼票、見つめてどうしたんだい? あんな危険な化け物、うちのランクじゃ手が出せないよ。街道の封鎖は痛いけど、ギルドが王都の騎士団に応援を頼むのを待つしかないさ」


「そうよ、エルシア。無茶は禁物よ」

マリーナが優しく肩に手を置いた。


「今日は東の街道を避けて、西の丘陵地帯の薬草採取の護衛に行きましょう。エルシアちゃん、次の依頼はうちと一緒に行こう!」


「いや、うちのパーティが先だぞ!」

「エルシアちゃん、行こうぜ!」


仲間たちが口々に手を差し伸べてくる。

温かく、誇らしい仲間たちだ。彼らと過ごした二ヶ月間は、エルシアにとってかけがえのない宝物だった。


だが、エルシアが口を開きかけた、その時――。


ギィィ……。


ギルドの重厚なエントランスの扉が、静かに押し開かれた。


朝の清冽な光とともに、冷たい一陣の風が酒場へと吹き込んできた。

その瞬間、掲示板の前で騒がしく争っていた冒険者たちの声が、潮が引くようにピタリと止まった。


コツ、コツ、コツ――。


静寂の中を、一定のリズムを刻む硬質な足音が響き渡る。

一切の無駄のない歩幅。余計な音を立てず、空気そのものを切り裂いて進むような、研ぎ澄まされた足音。


黒革の軽装鎧。

腰に佩いた、飾り気のない白銀の長剣。

黒に近い灰色の髪を風になびかせ、アルト・ヴァレインが静かにギルドの中へと歩みを進めていた。


「おい……アルトだ……」

「昨日の夜も一人で変異種を狩ってきたらしいぞ……」


冒険者たちが息を殺し、自然と左右へと割れて道を開ける。

誰もが恐れ、誰もが近づけない、絶対的な孤高の覇気。


だが、アルトは周囲の視線など意にも介さず、前だけを見据えて歩いていた。


灰色の前髪の奥にある鋭い双眸が、掲示板の最上段――金縁の『剛岩のゴーレム討伐要請』を正確に捉える。

そして、その視線はそのまま、掲示板の真正面に立つ少女の姿へと向けられた。


純白の軽装神聖衣を纏い、短杖を抱えて立つ、金髪の少女。


二人の視線が、真正面からぶつかり合った。


二ヶ月の間、決して交わることのなかった琥珀色の瞳と、灰色の瞳。

言葉など一つもなかった。


だが、交錯した視線の奥で――二人の魂と身体感覚が、火花のように激しく共鳴した。


エルシアの瞳には、カイルたちとの実戦で痛感したアルトの超人的な神速と、彼が一人で背負い続けてきた過酷な計算負荷を、今度こそすべて引き受けてみせるという揺るぎない覚悟が宿っていた。

そしてアルトの瞳には、誰の介入も許さなかった己の完結した戦闘リズムを狂わせ、細胞レベルでその背後を待たせてしまった唯一無二の存在への、静かで絶対的な確信が宿っていた。


(……アルトさん)


エルシアの胸が、激しく高鳴る。


(……エルシア)


アルトの歩調が、わずかに緩むことなく、まっすぐに少女へと向かっていく。


二人が選ぶべき道は、最初から決まっていた。

百万人組んでくれる仲間がいたとしても、彼女が選ぶのは世界でたった一人。

そして、他者の介入を許さなかった孤高の剣士が、唯一その背中を預けられる者もまた――世界でたった一人しかいなかった。


孤高の剣士が、少女の前へと歩み寄る。

いま、止まっていた運命の歯車が、かつてない轟音を立てて再び回り始めようとしていた。


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