『遅れた一手』
戦いは、速さで決まる。
正しさよりも先に、
迷わず動けるかどうかで決まる。
ほんの一瞬。
考えたか、考えなかったか。
見たか、見なかったか。
それだけで、結果は変わる。
だから、本当は。
止まった理由なんて、
誰にも知られない方がいい。
森は、静かだった。
風もない。鳥も鳴かない。音が抜けている。
ナベリウスが足を止める。鼻先を上げた瞬間、顔が歪んだ。
「……やめとけ」
低い声。
「来てる。しかも近い」
一拍。
「引こうぜ。これは巻き込まれるやつだ」
ネリネが眉を寄せる。
「逃げるの?」
「逃げる」
即答。
「今なら外れる。深入りしたら終わりだ」
一歩下がる。完全に撤退の動き。
だが、ヘルハウンドは動かない。
「前に出ろ」
「……は?」
「壁を作れ」
「無理だろ!!」
ナベリウスが怒鳴る。
「俺っちは防御特化だぞ!? 前に出る役じゃねぇ!」
「分かってる」
「分かってて言うな!!」
その瞬間、空間が歪む。何もない場所から影が浮かび上がる。
「ほら来た……!」
ナベリウスが舌打ちする。逃げようとするが、ヘルハウンドが半歩前に出て進路を潰す。
「行け」
「……クソが」
一瞬だけ迷う。視界にクチナシとネリネ。舌打ち。
「……やるしかねぇんだろ」
背中の棺が鳴る。スコップを引き抜く。
「後で絶対文句言うからな」
地面に叩きつける。鈍い音とともに地面が隆起し、岩がせり上がる。
「来いよ……!」
影がぶつかる。重い衝撃。
「っ……重っ……!!」
スコップを軸に押し返す。地面と噛み合うように固定する。
「長くは持たねぇぞ!! さっさと終わらせろ!!」
クチナシが踏み込む。槍斧を振る。確実に当たるが手応えが一拍遅れる。遅れて断たれる。
ネリネが魔力を放つ。狙いは正確だが、着弾の瞬間にわずかにズレる。
「……鬱陶しい」
後方でヴァレフォルが後ずさる。ランタンを抱えたまま震えている。
「……こ、こわ……」
それでも光は消さない。揺れる灯りで輪郭を繋ぐ。
「そこ……ズレてる……!」
小さいが確かな声。クチナシの刃がそこを捉える。
ヘルハウンドが踏み込む。拳で空間ごと叩き、歪みを無理やり固定する。一瞬だけ動きが止まる。
その隙、アスモデウスが動く――はずだった。
止まる。
ほんの一瞬、視線が外れる。
その遅れのまま、影がネリネへ向かう。速い。間に合わない。
ネリネの足が先に出る。踏み込んで魔力を叩き込み、軌道を強引にずらす。影が逸れる。そのままクチナシが斬る。終わる。
静寂が戻る。
ナベリウスの岩壁が崩れ、その場にしゃがみ込む。
「はぁ……はぁ……やっぱ引いときゃよかっただろ……」
一拍。
「判断自体は間違ってねぇからな……」
ヴァレフォルが近づく。
「だ、大丈夫……?」
「大丈夫じゃねぇ……」
ネリネが振り返る。呼吸がまだ荒い。
「何やってんのよ!」
強い声。掠れている。
アスモデウスは一拍遅れて笑う。
「珍しいね。心配?」
軽く戻そうとする調子。
ネリネは間を置かない。
「腹立つから倒れないで」
言い切ってから、ほんのわずかに言葉が詰まる。だが言い直さない。
アスモデウスの目が細くなる。
「……優しいなあ」
「違う」
一拍。
言葉を選ぶ。
「邪魔だから言ってんの」
少しだけ強く言い直す。
アスモデウスはそれを見ている。笑い方がわずかに変わる。
「そっか」
軽く返すが、茶化さない。
ネリネが一歩だけ近づく。距離が詰まる。
「何見たの」
短い。
アスモデウスは視線を外す。
「……何も」
間がある。
ネリネは舌打ちする。
「分かりやすい」
一拍。
「隠すならちゃんとやりなさいよ」
アスモデウスは苦笑する。
「努力するよ」
少し遅い。
ネリネはそれを見ているが、追わない。視線だけが残る。
クチナシが近づく。
「……今の」
短い確認。
アスモデウスは肩をすくめる。
「ミス」
軽い。
ヘルハウンドが低く言う。
「違うな。止まった」
アスモデウスは視線を逸らす。
「そう見えた?」
ナベリウスがそのまま寝転がる。
「……次来たら絶対逃げるからな……今度は止めんなよ……」
誰も返さない。
それでも全員、前を見る。
ネリネはアスモデウスを見る。さっきの遅れを覚える。次は迷わないと決める。
そのまま、誰も何も言わずに歩き出した。
遅れたのは、一拍だけだった。
それでも。
誰かは踏み込み、
誰かは斬り、
誰かは守った。
だから、終わった。
それだけの話。
けれど。
止まった事実は消えない。
見えなかったことにはならない。
言わなくても、残る。
触れなくても、分かる。
その違和感だけが、静かに積もっていく。
そして次は、
迷わないと決める。
理由を知らないままでも。




