『与えるものは、必ず奪う』
願いは、形を持たない。
だからこそ、人はそれを望む。
明確に。
正確に。
自分の都合のいい形で。
だが、それを“そのまま”与えるものがいるとしたら——
それは救いではない。
これは、願いが叶う前の話。
そして、代償がまだ見えていない段階の、静かな予告。
夜は、静かだった。
風も弱い。
木々も揺れない。
焚き火の音だけが、規則的に鳴る。
ぱち、と。
小さく、繰り返す。
その音が、やけに遠く感じる。
全員が火を囲んでいた。
距離は近い。
でも、空気は少し張っている。
三日目の夜。
別れる前の、最後の夜。
カズラが口を開く。
「で」
短く。
視線をクチナシに向ける。
「そっちは何を追ってるの」
知ってはいる。
でも、確認する。
クチナシは少しだけ視線を落とす。
火を見る。
そして、言う。
「……フォルネウスを探してる」
その瞬間。
空気が、わずかに沈む。
音が、遅れる。
レヴィアタンの指が、止まる。
焚き火にかざしていた手。
その動きが、ぴたりと止まる。
「……フォルネウス」
小さく、繰り返す。
一拍。
「懐かしい名だわ」
その言い方。
距離がある。
でも、遠くない。
ネリネが目を細める。
「知ってるの?」
カズラも視線を向ける。
レヴィアタンは少しだけ首を傾げる。
思い出すように。
でも、感情は乗せない。
「昔、同じ場所にいたことがあるわ」
一拍。
「仲が良かったかと問われれば……そうね」
わずかに間を置く。
「退屈はしなかったわね」
それだけ。
それ以上は言わない。
でも。
それだけで分かる。
“同じ場所”。
それが意味するもの。
ただの知り合いではない。
同じ層にいた存在。
同じ“位置”にいた者。
ネリネは、何も言えない。
アスモデウスは、笑わない。
ナベリウスは低く唸る。
「……上だな」
一拍。
「格が違ぇ」
レヴィアタンは否定しない。
肯定もしない。
ただ、火を見る。
クチナシは静かに聞く。
視線を逸らさない。
レヴィアタンは、ゆっくりと視線を向ける。
クチナシへ。
じっと見る。
深く。
沈むように。
「そちは、その名を追うなら気をつけなさい」
静かに言う。
一拍。
「あれは与えるわ」
クチナシは眉をわずかに動かす。
「……与える」
「ええ」
頷く。
「望む形で」
一拍。
「望んだものを、正確に」
ナベリウスが口を挟む。
「じゃあ、いいやつじゃねぇか」
即答。
レヴィアタンは、ほんのわずかに笑う。
否定も肯定もしない笑み。
「そうね」
一拍。
「そう思う者もいるでしょうね」
言い切らない。
逃がす。
その言い方が、逆に重い。
クチナシが小さく聞く。
「……そのあと」
レヴィアタンの目が、少しだけ細くなる。
「与えられた者は、必ず何かを失う」
一拍。
「等価ではないの」
ネリネが眉を寄せる。
「意味分かんない」
「分からなくていいわ」
即答。
一拍。
「その時に分かるものだから」
その言葉は、逃げではない。
事実として言っている。
だから重い。
アスモデウスが静かに言う。
「……知ってるんだね」
レヴィアタンは、少しだけ視線をずらす。
火へ戻す。
「見たことがあるだけよ」
一拍。
「何度か」
その回数。
その時間。
想像がつかない。
ネリネの背中に、冷たいものが走る。
クチナシは、何も言わない。
ただ、聞いている。
受け止める。
レヴィアタンは、最後に言う。
「そちは、何を望むのかしら」
一拍。
「それを、よく考えておきなさい」
クチナシは少しだけ考える。
でも、答えは出さない。
今、言葉にできるものではない。
だから、短く言う。
「……考える」
それで十分だった。
レヴィアタンはそれ以上聞かない。
答えを求めない。
ただ、見ている。
そのまま。
火が小さくなる。
会話は途切れる。
でも、沈黙は重いまま続く。
ネリネがぽつりと呟く。
「……与える、ね」
一拍。
「一番面倒なやつじゃない」
アスモデウスが笑う。
「だね」
「いらない」
「そう思ってても来るのが厄介なんだよ」
軽口。
でも、完全に軽くない。
ナベリウスが鼻を鳴らす。
「匂いが似てる理由が分かった」
一拍。
「終わらせねぇやつの匂いだ」
ヘルハウンドが低く言う。
「……面倒だな」
短い評価。
クチナシは火を見る。
揺れる炎。
与えるもの。
失うもの。
等価ではない。
その言葉が、残る。
袋の中の白い花に、触れる。
残っているもの。
それを、失うのか。
それとも。
別の何かを失うのか。
まだ分からない。
でも。
確実に、繋がった。
フォルネウスという存在が。
遠い目標ではなく。
“触れるもの”として。
レヴィアタンが、最後に小さく言う。
「退屈はしなかった、と言ったでしょう」
一拍。
「それがどういう意味か」
火が揺れる。
「いずれ分かるわ」
その言葉は、予告だった。
静かな。
でも、確実な。
未来への。
誰も、それ以上聞かなかった。
聞いてはいけない気がした。
ただ、火が燃える。
夜が深くなる。
そして。
別れの時間が、近づいていた。
フォルネウスは、“奪う”存在ではない。
与える存在だ。
それも、望んだ通りに、正確に。
だからこそ厄介になる。
人は、自分が何を望んでいるかを完全には理解していない。
それでも望む。
そして、与えられる。
その瞬間、初めて気づく。
それ以外を失ったことに。
等価ではない。
釣り合いもしない。
ただ、成立してしまう。
それがフォルネウスの本質だ。
この夜は、その説明にすぎない。
まだ誰も奪われていない。
まだ誰も、取り返しのつかない選択をしていない。
だから静かだ。
だから余裕がある。
だが——次は違う。
クチナシが何を望むのか。
ネリネが何を残すのか。
アスモデウスが何を隠し続けるのか。
そのすべてが、“与えられる側”に回った瞬間、物語は一段階進む。
そしてその時、ようやく分かる。
レヴィアタンの言った
「退屈はしなかった」
その意味が。
それは——
見ていられるほど綺麗に壊れる、ということだ。




