新しい友永家へ
「はい、受理いたしました。おめでとうございます」
カウンタに掛ける区役所の女性職員さんに柔和な笑顔で言われ、お兄ちゃん、いや、蛍くんと那津は、胸を撫で下ろした。保証人は保さんとかなめ伯母ちゃんにお願いした。
月曜日の午後。人でごった返す住吉区役所のロビーをあとにし、外に出たふたりは爽やかな風に吹かれた。
那津が30歳になる年の春、蛍くんと那津は入籍をした。ふたりはきょうだいではあったが、義理で血は繋がっていない。法律上、夫婦になるのはなんら問題はないのだ。
「スイにも一緒におって欲しかったな」
「せやな。でも、動物は役所に入られへんからな。たとえスイでも」
「うん。スイが人間に化けるとかできる猫又やったらねぇ」
「そんなんできる猫又おるん?」
「分からん。あずまくんもタコちゃんもできひん」
「願望かい」
そんな軽口を叩きながら、ふたりはのんびりと歩く。住吉区役所の最寄り駅は、JR阪和線の我孫子町駅か、南海高野線の沢ノ町駅。ふたりの住まいは阪和線沿いの長居駅でもあるので、1駅分電車に揺られ、あとは歩いて区役所に赴いたのだ。
こうした他愛のない時間も、今やますます大切に思える。横に大切な人がいて、目が合えば自然に笑顔が溢れるのだ。
出口さんには、保さんに報告した週の金曜日に知らせた。蛍くんと那津が実は思い合っていたことも。出口さんは大いに驚きはしたものの。
「……あ、でも、そう言われたら、納得できるかも。友永くんが那津さんを見る目が、いつでもめっちゃ優しかった。松比良くんとはちゃうような。大事なきょうだいやからと思ってたんやけど、そういうことやったんやね」
そして、保さんはその場で出口さんに告白をした。出口さんは顔を真っ赤にして大慌てしながら。
「と、ととと友だちからってことで、あ、ででででも今もあたしと松比良くんは友だちやった、どどどうしよ〜」
その様子が可愛らしくて、那津は思わず笑みをこぼしてしまったものだが。
そして今、ふたりはお付き合いを始め、それは順調に続いている。深川さんのこともあって、特に出口さんは慎重になっていたが、それはこれから考えたいと。
問題の先送りみたいになってしまうが、深川さんのことに関しては、きっと時間が解決するだろう。元木さんと姫路さんには打ち明けて、相談をしているそうだ。
蛍くん方のご祖父母には、結婚を決めたあとの月曜日のお昼過ぎに時間をもらい、堺市の自宅にお邪魔した。和室の応接間で、年季の入ったブラウンの座卓を挟んだ。
蛍くんから話を聞いたお祖父さまは渋い顔をし、お祖母さまは「あら、まぁ」と表情を輝かせた。
「おめでたいやん、ねぇ、お父さん」
「うむぅ……」
お祖父さまはそう唸るが、やがて、腹を決めたように背筋を伸ばして。
「那津さん、蛍のこと、よろしゅうたのんます。もう、わしらなんかより、那津さんのほうが、きっと蛍のことを理解しとる。蛍がうしろ指差される覚悟で守りきった関係や。きっと、蛍にとってはなによりも大事やったんや。せやから那津さん、たのんます」
お祖父さまは神妙にそう言って、深々と頭を下げた。那津は慌ててしまって。
「お祖父さま、やめてください。あの、わたしこそ、なんて言ったらええんか、あの、難しいですけど」
那津はゆっくりと落ち着きを取り戻した。
「あの、わたし、蛍さんと支え合って、ふたりと、ペットのスイとで幸せになります。せやから、これからもどうぞよろしくお願いします」
那津は身体を座布団から後ろにずらし、畳に頭を擦り付ける勢いで三つ指をついた。今度はご祖父母が慌てる番だった。
「那津さん、顔あげたって」
「そうよぅ、わたしらは、蛍がええならそれでええんよ。那津さんがええ子やってことも、ちゃんと知ってるから」
「ありがとうございます」
那津はいったん上げた頭を、もう1度下げた。
もちろん、蛍くんが女性だと偽っていたことは、誠心誠意、謝った。
さて、問題は、那津方の親戚だった。祖父母、祖父母のきょうだい、その他諸々。まずは祖父母に打ちあけようと、蛍くんのご祖父母宅を辞したあと、時間を調整して、大阪市内の淀川区にある祖父母宅に向かった。
蛍女性説に関しては、那津方の親戚筋へのほうが罪が重いように、蛍くんは感じている。正直なところ、殴られても仕方がないと思うほどに。
ところが。
「ま、そんなこったろうと思っとったわ」
お祖父ちゃんは呆れたようにそう言った。お祖母ちゃんも「ねぇ」なんて頷いている。蛍くんと那津は思わず呆気にとられてしまった。
「え、お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも、気づいてた?」
「ちゅうか、嘘でもおかしないなって話。わたしらは、蛍くんがそんだけ那津が大事なんやって解釈したんやわ。やから、あのままいっしょにいてもらおうと思ったんよ」
蛍くんと那津は、顔を見合わして、すっかりと脱力してしまった。
「嘘やん……」
那津が思わずもらすと、お祖父ちゃんは「わはは」とおかしそうに笑った。お祖母ちゃんもにこにこしている。さすが、年の功といったところだろうか。
この場には、かなめ伯母ちゃん夫妻もいた。スイも猫又の力でやってきていて、あずまくんとタコちゃんとじゃれ合って遊んでいる。が、呆けた蛍くんと那津を見て。
「にゃあ、なあ」『蛍はぼくが助けへんかったら、言わないつもりだったのにゃ。那津も自分の気持ちに気づかなかったのにゃ』
するとあずまくんとタコちゃんは「にゃあ! にゃあ!」「にゃあご、にゃあ!」と大騒ぎだ。
『スイ、キューピットだにゃあ!』『スイくん凄いのにゃあ!』
蛍くんと那津は、ついつい苦笑してしまう。
「しっかし、かなめも1枚噛んどったとはねぇ。それはさすがにわたしらも分からんかったわ」
「ほんま、強かなやつやで」
お祖母ちゃんとお祖父ちゃんにそう言われたかなめ伯母ちゃんは「いやぁ」と照れる素ぶりを見せた。
「褒めてへんけど褒めたるわ。それが那津の幸せに繋がったんやから」
「お祖父ちゃん」
那津がぽつりと言うと、お祖父ちゃんはゆったりと頷いた。
「那津、わしらが願ってるんは、那津とスイの幸せや。蛍くんの存在がそのためになるんやったら、わしらはふたり、いや、3人を応援する。蛍くん」
「はい」
蛍くんは正座をし、姿勢を正した。
「万が一、いや、億が一やで、もし、蛍くんが那津とスイを不幸にするようなことがあったら、それだけはわしらは絶対に許さん。大事な大事な孫娘や、それだけは覚えといてくれな」
「はい、肝に命じます。絶対に、なっちゃんとスイと3人で幸せになります」
「うん」
お祖父ちゃんは満足げに頷き、その場には穏やかな雰囲気が漂ったのだった。
そんな経緯があって、蛍くんと那津は、無事結婚をすることができたのだ。本当に、身近な人々に感謝しかない。恵まれすぎていて、怖いほどだ。
結婚式は挙げる予定はない。だが保さんや出口さんたちを始めとしたご常連たちが、今週の金曜日にお祝いをしてくれるのだそうだ。ウェディングケーキ代わりのホールケーキも用意してくれるとのこと。なので、その日は那津たちも少しだが、ごちそうしてもらう予定だ。那津もはりきってお惣菜を作りたいと思っている。
「蛍くん、早く帰ろ。スイに会いたい」
「せやな」
お兄ちゃんが那津の手を取ってくれる。ごつっとした、だが暖かな体温がじんわりと伝わる。
那津の心は晴れ晴れとし、そしてぬくもる心に身を委ねたのだった。




