第95話 取扱い一式
命令書は、整えられていく。
文言が揃い、形式が整い、封蝋の準備が進む。
それでもなお――中身は、危うい。
ルーカスが読み上げる。
静かな声。
逃げ場を塞ぐ速度。
「――第一項」
「聖女セレスティナは、本件において王太子の指揮監督下に置かれる」
当然だ。
王家の名で神殿に介入する以上、責任は王家に帰る。
「第二項」
「神殿側との連絡、調整、交渉は、聖女セレスティナが担当する」
私は、眉一つ動かさない。
“役割”としては成立している。
だが、“取扱い”としては――まだ甘い。
「第三項」
「本件遂行に際し、聖女セレスティナの安全確保は、随行者および現地神殿の協力をもって行う」
ここで、灰の司祭が小さく息を吐いた。
読書で酷使された目が、ほんの一瞬だけ細まる。
「……曖昧ですね」
殿下が顔を上げる。
「何がだ」
灰の司祭は、淡々と答えた。
「“随行者”が誰か、明記されていません」
「“協力”の範囲も、責任の所在も、定義がない」
「事故が起きた場合、全員が“自分ではない”と言える構造です」
ルーカスが続ける。
「王家、神殿、随行者」
「全員が“関与した”が、“責任を負わない”」
「非常に、政治的に優れた――そして現場にとって最悪の書き方です」
殿下は舌打ちを飲み込んだ。
「……細かいな」
「命令書は細かくあるべきです」
私は静かに言った。
「でなければ、守るべき者が守られません」
殿下の視線が、こちらに向く。
「守るべき者?」
私は一拍置いた。
「控室にいる平民――ロウのことです」
空気が、再び張りつめる。
ルーカスが淡々と続けた。
「第四項」
「本件に関連する参考人として、平民ロウを同行させる」
“参考人”。
便利で、曖昧で、責任を押し付けやすい言葉。
殿下が頷く。
「それでいい」
「平民だ。過剰な扱いは不要だろう」
その瞬間だった。
レナートが、礼式のまま口を開いた。
「殿下」
声は低く、丁寧で、完全に抑制されている。
だが、その場の全員が察した。
――ここが、地雷だと。
「“参考人”として同行させるのであれば」
「その身柄の管理者、移動中の保全責任、医療判断の最終権限を明記してください」
殿下が眉をひそめる。
「なぜ、そこまで」
レナートは一切目を伏せない。
「理由は単純です」
「彼は未成年の平民であり、既に一度、事件によって負傷しています」
「曖昧な取扱いは、再発を招く」
灰の司祭が、面白そうに口角を上げた。
「殿下」
「“参考人”という言葉は便利ですが」
「守る意思がない場合、最も早く死にます」
殿下の手が、机を叩く。
「……なら、どう書けと言う」
私は、そこで一歩踏み出した。
礼式は崩さない。
だが、言葉は鋭くする。
「こうです」
「ロウは、公爵家の管理下に置かれます」
「王家は最終責任を負い、医療判断および健康管理は、レナート・フォン・ベルデンベルクが監督する」
殿下が目を細めた。
「……ずいぶん、守るな」
私は微笑んだ。
「守らなければ、壊れます」
「壊れれば、この命令書ごと無効になります」
ルーカスが、最後の一文を読み上げる。
「――以上をもって、本命令を発出する」
沈黙。
殿下は、しばらく黙って紙を見つめていた。
自分で張った網に、自分が絡め取られていることに、薄々気づきながら。
「……いい」
「出せ」
封蝋が押される。
重い音。
命令書は完成した。
穴だらけのまま。
だが――その穴を、こちらはすべて把握している。
控室で待つロウは、まだ知らない。
自分の名前が、何度も書き直され、守られ、縛られたことを。
そして、この紙に“乗る”ことで、
次の一手が開くことを。
物語は、静かに次の段へ進んだ。




