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悪役令嬢ですが、泣き落としには法と魔法で対処します  作者: ちわいぬ
第2章 王都折り返し編

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第94話 命令書という名の穴

王城の応接間。


暖炉の火は弱く、紙の匂いだけが濃い。


 


机上に広げられたのは、命令書の草案。


公爵様家に届いた穴だらけの命令書。


これから“公務の文書”として整えられ、王都の外へ飛ぶ。


神殿へ。


 


右手にルーカス。


筆記具と封蝋の手順を、無駄なく並べている。


左手にレナート。


礼式は崩さず、しかし背筋だけで「譲らない」と言っている。


 


そして――ロウは控室だ。


平民がこの場に立つことはできない。


それが、公式の形。


 


レオンハルト殿下は椅子に深く腰を沈め、草案を指先で弾いた。


「いいか。婚約者として命じる」


「神殿の揉め事を片づけてこい」


 


来た。


“婚約者として”。


宣言したつもりで、宣言していない男の便利な棍棒。


 


私は礼式のまま、淡々と返す。


「承知いたしました、殿下」


「ただし、命令書の根拠条項を明確にしてください」


 


殿下の眉が動く。


「……根拠だと?」


 


ルーカスが静かに補足する。


「神殿側は“文書の形式”で受領を拒否できます」


「根拠条項が曖昧であれば、命令は“効力を持たない紙”になります」


 


殿下の指が、机を叩いた。


苛立ちが、規則に負けていく音。


 


「……書け」


「セレスティナは同行だ」


 


聖女の名が出た瞬間、空気が一段冷えた。


泣きの道具が、机上に置かれたような感覚。


 


私は、そこで一拍置く。


そして、さらりと“ずらす”。


争点は戻さない。


ただ、釘だけ打つ。


 


「殿下」


「“婚約者としての命令”として書くのであれば、婚約の法的根拠が必要です」


「王の許可と記録が存在しない破棄は成立しません」


「よって、この命令は“王太子としての命令”として整えるのが妥当です」


 


殿下の口元が歪んだ。


 


――入れられない。


“婚約破棄したつもり”を、公式文書に載せれば自白になる。


王が見ている前提がある限り、それはできない。


 


「……勝手に決めるな」


殿下が吐き捨てる。


 


「勝手ではありません」


私は微笑む。


「公務は、文言です」


 


灰の司祭が、机の端に指を置いた。


目元の濃い隈が、薄く揺れる。


眠っていない目。


だが、その目だけが笑っている。


 


「殿下が望むのは“実行される命令”でしょう」


「なら、実行される形に直すのが最短です」


 


殿下は、視線をレナートへ向けた。


「……伯爵家の嫡男」


「医者が、なぜこの席にいる」


 


レナートは礼式のまま、微動だにしない。


丁寧に。


だが、逃げ道のない声で言う。


 


「殿下」


「恐れながら、控室で待機している平民――ロウについて、管轄を確認させてください」


 


殿下の視線が刺さる。


しかしレナートは崩れない。


 


「王家の監督下に置かれるのであれば、王家としての保全と保護の手続きを、公式にお示しください」


「神殿の管轄であるなら、神殿としての処遇と安全確保の責任を、同様に明確にしていただきたい」


 


一拍。


 


「――いずれの管轄でもないのであれば」


「私、レナート・フォン・ベルデンベルクが、医療関係者としての責務の範囲で、身柄の預かりを申し出ます」


 


殿下の指が、また机を叩いた。


「……得になるのか、それは」


 


ルーカスが、筆先を上げずに答える。


「得ではなく、責任の所在です」


「文書に保全責任者が記載されなければ、事故が起きた際の責任は、作成者――殿下に帰します」


 


殿下の顔色が変わった。


 


灰の司祭が、淡々と追撃する。


「命令書は“責任の地図”です」


「地図がなければ、迷子になるのは命令を出した側ですよ」


 


殿下は苛立ちを飲み込み、紙束を乱暴に掴んだ。


紙が擦れる音が、やけに大きく響く。


 


「……いい。書け」


「王太子命として出す」


「セレスティナは同行」


「神殿には、俺の名で“調停”を命じる」


 


私は礼式のまま頷いた。


ここからが本番だ。


 


この命令書は、穴だらけだ。


穴があるなら、火が入る。


火が入るなら、“文言”で消せる。


 


そして何より――


ロウは、控室で待っている。


この紙一枚で、人生が動く立場で。


 


私は静かに言った。


「では、殿下」


「その命令書の文言を――こちらで整えます」


 


次の瞬間。


レオンハルトの手が、机の上の紙を乱暴に掴んだ理由は、


私が続けてこう言ったからだ。


 


「なお、同行者の“取扱い”も、明文化しましょう」


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