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悪役令嬢ですが、泣き落としには法と魔法で対処します  作者: ちわいぬ
第2章 王都折り返し編

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第93話 泣く前の静けさ

泣く前に、空気が変わる。


あれは、風の向きじゃない。


人の顔の向きだ。


 


王太子の私室――ではない。


公務のための応接間。


壁にかかる絵も、燭台の数も、すべて「公式」を装っているのに。


肝心の“記録”が、残らない。


 


だから、こちらも。


公式の顔をして、非公式の刃を研ぐ。


 


クラリスは、背筋を伸ばして座っていた。


笑ってはいない。


笑えば、相手は「余裕」と呼ぶ。


泣けば、相手は「正義」と呼ぶ。


なら、感情を出さないのが一番効く。


 


テーブルの上には、王家の紙。


穴だらけの命令書。


そして、さらに穴を増やせる余白。


 


ルーカスが、そこをじっと見ている。


瞳が紙面をなぞるたび、線が増えるように見えた。


彼は声を出さない。


出せば、ここでは「反論」になる。


反論は、燃料だ。


 


ルーカスは反論しない。


ただ、正しく“整理”する。


 


――静かだ。


静かすぎる。


だから、余計に。


「泣き」が来る。


誰もが分かっていた。


 


扉の前。


近衛が一度、視線で合図する。


「来る」


言葉がないのに、全員が同時に理解した。


 


レナートは立っている。


礼式の位置。


姿勢は完璧だ。


けれど、手袋の指先が――ほんのわずかに、動く。


握るでもなく、開くでもなく。


ただ、抑える。


 


彼は怒っている。


最初から、ずっと。


声には出さない。


言葉にすれば、ここでは負けるから。


 


そして。


この部屋にいない一人のことで、もっと怒っている。


 


ロウ。


 


控室に待機。


平民は、王太子の前に出ない。


それが「常識」だ。


そして、今日ばかりはその常識が役に立つ。


ロウがここにいれば、場は一瞬で崩れる。


崩れた瞬間、泣き落としの舞台が完成する。


 


だから、ロウは控室。


だから、レナートはここ。


 


――それでも。


レナートの視線は、扉ではなく。


控室の方向に、一度だけ流れた。


犬が散歩中に振り向くように。


ついてきているか、確認するみたいに。


 


クラリスは、その一瞬を見逃さなかった。


(うん。わかりやすい)


 


わかりやすいのに、本人は隠しているつもりだ。


そういう男ほど、厄介で――強い。


 


扉が開く。


 


先に入ってきたのは、聖女の側付き。


その後ろ。


白い衣が揺れる。


 


セレスティナ。


 


光みたいな髪。


祈りみたいな笑み。


そして。


泣くための、呼吸。


 


クラリスは心の中で数える。


一、二。


――三で来る。


 


セレスティナは、まず王太子を見た。


次に、クラリスを見る。


目が合った瞬間。


ほんの少し、口角が上がった。


 


(あ。これ、もう“泣く”前の顔だ)


 


泣く前に作る顔がある。


悲しいのに可愛い。


怖いのに守りたい。


そういう顔。


 


クラリスは、動かない。


同情もしない。


否定もしない。


ただ、待つ。


 


ルーカスも動かない。


紙を見ている。


まるで、涙が落ちる場所を予測しているみたいに。


 


レナートも動かない。


礼式のまま。


しかし――目だけが、氷みたいだった。


 


王太子レオンハルトが、遅れて入ってくる。


衣装は白を基調にしていた。


王家の色。


神殿の色。


“正義”の色。


 


彼は席につくなり、笑った。


 


「さて。話を戻そうか」


 


戻す?


(戻るのは、あなたの都合よね)


 


クラリスは頷くだけで返さない。


言葉を返せば、相手はそれを糸にする。


 


レオンハルトは、クラリスの沈黙を“降参”と解釈したかった。


だから、言う。


 


「君は――婚約者として、神殿の混乱を収める責務がある」


 


その言葉を合図に。


セレスティナが、息を吸う。


 


来る。


 


泣きが。


 


クラリスは、呼吸ひとつ。


 


(さあ。泣いてみて)


泣き落としは、燃料。


燃えたところを、条文で消す。


 


ルーカスはペンを取った。


まだ書かない。


ただ、構える。


 


レナートの指先が、もう一度動く。


ほんの少し。


 


そして。


クラリスは思う。


 


(この部屋で一番怖いのは)


(泣く聖女じゃない)


 


(泣かせる気満々の王太子でもない)


 


(礼式のまま一歩も動かずに)


(“守る”だけを優先してる医師だ)


 


――そして、もう一人。


控室で、何も知らないふりをしている少年。


 


ロウは、たぶん気づいている。


「次は泣く」


そう言った。


 


泣きが来る。


泣けば、舞台が整う。


 


その舞台を。


こちらは、壊す準備ができている。


 


セレスティナの睫毛が、震えた。


 


次の瞬間。


最初の雫が、落ちる。

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