第91話 却下理由
返答は早かった。
早すぎる、と言っていい。
王宮の廊下で待っていた文官が、戻ってきたときの顔が――
もう「面倒が増えた」顔だったから。
控室の扉が開く。
文官は一礼し、紙を差し出した。
「……王太子殿下より、返答です」
ルーカスが受け取り、淡々と目を走らせる。
私はロウの方を見る。
ロウは椅子の背に体重を預けたまま、片足を浮かせている。
行儀は悪い。
でも、視線だけは入口の人間と紙に張り付いている。
――スイッチが入りかけてる。
レナートが立ったまま、動かない。
触れないのに、逃がさない。
ルーカスが紙を読み終え、ふっと息を吐いた。
「却下だそうです」
文官が硬い声で付け足す。
「確認書の内容が、王太子殿下の権限を逸脱している、と」
私は口角を上げそうになって、抑えた。
来た。
却下理由が、出た。
ルーカスが紙を机に置く。
「ありがとうございます。
これで十分です」
文官が眉を寄せる。
「……十分?」
ルーカスは丁寧に、しかし噛み砕いて言った。
「“殿下の権限では処理できない”と文書で認めた、という意味です」
文官の顔色が変わった。
私も、内心で頷いた。
――つまり、こう。
命令を出したのは殿下。
なのに、実行に必要な条件確認は「権限外」。
なら、殿下の命令は“履行不能”だ。
ルーカスが続ける。
「確認書の却下理由が“権限外”なら、
命令の実行責任は、権限を持つ者へ自動的に遡ります」
「つまり」
私は静かに言葉を繋ぐ。
「王太子殿下が“命令を出した”という事実だけが残り、
実務の責任は王家全体――もっと上へ移る」
文官が喉を鳴らした。
この人、今、ようやく気づいた。
“書類で殴る”ってこういうことだ、と。
ルーカスは視線を上げた。
「……王宮の規定上、
殿下の権限を逸脱する案件は、誰が判断するんです?」
文官が苦しそうに答える。
「……宰相府。
もしくは国王陛下の裁可です」
「ありがとうございます」
ルーカスが一礼する。
礼が綺麗すぎて、逆に怖い。
私は机の上の紙を揃え直す。
「却下理由が出た以上、
次は“権限者”に回すしかないわね」
文官が小さく息を吸った。
「……ですが、その場合、殿下が――」
「困るでしょうね」
私は淡々と返した。
「でも、殿下が“困る”かどうかは、
王宮の規定とは関係がないわ」
ロウが、思わず吹き出しかけて、口を押さえた。
「……っ、やべ」
レナートの視線が一瞬だけロウに落ちる。
ロウは「ごめん」とでも言うように肩をすくめた。
文官は震える指で、もう一枚の紙を出した。
「……それと、追加の指示です。
殿下より」
ルーカスが受け取り、読む。
空気が、わずかに冷えた。
「“ロウを参考人として、
明日から神殿側の事情聴取に同席させる”」
ロウの眉がぴくりと動く。
反応は薄い。
でも、目の奥が一段暗くなる。
私は息を吐いた。
来た。
狙いはそこだ。
――ロウを“舞台”に引きずり出す。
泣き落としの舞台に。
レナートが、礼式のまま前に出た。
声は低い。
丁寧。
それでいて、凍っている。
「恐れながら」
文官が固まる。
レナートは続けた。
「その指示は、“誰の権限”で出されたのですか」
文官が詰まる。
「……殿下、です」
レナートが頷いた。
「なら、同じです」
一拍。
「殿下の権限内で処理できない案件である、と、
先ほど文書で認めたばかりでしょう」
ルーカスが、静かに補足する。
「矛盾ですね」
私は机の紙を一枚取り、さらりと書き始める。
「――じゃあ、書きましょうか」
文官が顔を上げる。
私はペンを止めずに言った。
「“却下理由”と“追加指示”の整合性確認。
提出先は宰相府でいい?」
文官の顔が真っ青になった。
「……っ、待ってください、それは――」
「待てないわ」
私は微笑む。
微笑みだけが、礼儀正しい。
「王宮の規定に従うだけよ」
ロウが、ぽそっと言った。
「……なあ、これ、殿下ってさ」
「言わなくていい」
私はロウを止める。
言わせたら、余計な火種になる。
でもロウは、止めたのに、目だけで言う。
――“自分で首絞めてる”って。
レナートが礼式のまま、文官に告げた。
「私が同行する」
文官が反射で返す。
「医療監督として、ですか」
「そうだ」
「……しかし、神殿側が拒否したら」
レナートは微動だにせず言った。
「拒否の理由を、文書で出させろ」
ルーカスが頷く。
「口頭は不可です」
文官は、もう泣きそうだった。
私は最後に、紙の端を揃える。
却下理由が出た。
矛盾する追加指示が来た。
――つまり。
王太子は、焦っている。
そして焦った王太子は、必ず“雑”になる。
雑になった命令は、記録に刺さる。
私は静かに息を吐き、次の火種を見据えた。
神殿。
泣き落としの舞台。
そこで、今度は――
涙を“燃料切れ”にする。




