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第9話 次に来るのは、噂だ


神殿を出た瞬間、空気が変わった。


祈り香は薄れ、代わりに人の声が濃くなる。

見えない糸が、別の場所から伸びてくる。


噂だ。


「……街が早いですね」


ルーカスが小声で言った。


黒髪の監査官はいつも通り整っていて、表情も変えない。

でも歩幅がわずかに速い。

今日の裁定が“外へ出た”ことを、彼は肌で理解している。


「噂は、祈りより速いもの」


私が答えると、ルーカスが頷いた。


「対策が必要です。公爵家へ戻り——」


「戻る前に、止める」


低い声が割り込んだ。


振り返ると、路地の影に灰色の外套がいた。

深いフード。鼻から下を隠す布。見えるのは目元だけ。


目元からみるに、若い。

なのに目の下に薄い影がある。徹夜の痕。

猫背気味で弱そうに見えるのに、視線だけが冷たい。


灰の司祭。


「あなた、ここに?」


私が言うと、灰の司祭は肩をすくめた。


「契約は終わっていない。終わったのは裁判だけだ」


ルーカスが口を開きかけた。


「神殿から尾行が——」


「いる」


灰の司祭が即答した。


「二人。君の背後、石畳の割れ目から四枚目。

もう一人は屋根の縁。——目を合わせるな。彼らの仕事は“見た”を作ることだ」


ルーカスの口が、そこで止まった。


私はその沈黙の方に驚いた。

ルーカスは、止まる必要がある時は止まる男だ。


「……わかった」


彼は短く答えた。

同意の速さが、妙に生々しい。


「で、次は何が来るの?」


私が訊くと、灰の司祭は迷いなく言った。


「噂だ」


「もう来てる」


「これは“第一波”。本命は今夜。

神殿は君を裁けなかった。だから次は——裁判じゃなく生活を殺す」


ルーカスが眉を寄せた。


「生活を?」


灰の司祭は、淡々と指を折った。


「商会。施療院。葬儀。学校。

“公爵領は穢れている”と言う。

誰が言うか? 神殿は直接は言わない。言えば証拠になる」


私は息を吐く。


(現代の炎上と同じ。本人が言わない。周辺が言う)


灰の司祭は続ける。


「言うのは“かわいそうな人”だ」


「……かわいそうな人?」


「被害者役だ。泣ける役者。

君が檻に入れたウサギは、別の檻から鳴く」


セレスティアの顔が浮かぶ。

清浄区画。外部接触禁止。——なのに、噂は出る。


(つまり、本人じゃなく“代わり”が泣く)


灰の司祭は私の顔を見て、目だけで少し笑った気配を見せた。


「例えば、孤児院の子。例えば、貧民街の母親。

“公爵令嬢が聖女をいじめたせいで寄付が止まった”

そう言って泣かせる。泣き声で世論を取り戻す」


ルーカスが低く言った。


「寄付金……」


「君たちが握った“金の流れ”が、武器になる前に

向こうは“金が止まった理由”を物語にする」


灰の司祭は、冷たい声で断言した。


「物語は、条文より強い」


私の背中が少しだけ冷えた。


(うん。だからこそ、私は条文で物語を殺す)


「止められる?」


私が聞くと、灰の司祭は即答しない。

代わりに、路地の先を見た。


「止めるには順番がある」


「順番?」


灰の司祭は私を見た。


「今動けば、君の記録が“慈善”に変換される。

監査局の動きが、“聖女を責めるいじめ”として切り取られる」


「……どうして、それが」


ルーカスが言いかけて、また止めた。

止まるのが二度目だ。


灰の司祭は淡々と言う。


「神殿はそういう言葉を持っている」


私は小さく笑った。


(やっぱり、性格悪い。最高)


「じゃあ、どうするの」


灰の司祭は指を一本立てた。


「先に、君が“負けた”ことを確定させる」


「え?」


「追放保留のままは中途半端だ。

“裁かれた魔女”の物語が完成しない。

完成しない物語には、涙を乗せにくい」


(……なるほど)


わざと負けて、相手の物語を完成させて——

その物語を、条文で折る。


第6話でやったことの、拡大版だ。


灰の司祭は二本目の指を立てた。


「次に、公爵が“慈善”をやれ。

だが神殿経由じゃない。公爵家直轄でやれ。記録を残せ」


ルーカスが瞬きをした。


「……慈善を、記録で?」


「慈善は記録がないと“噂”に負ける」


灰の司祭は冷たく言った。


「記録は、泣き声より遅い。

だから先に作る。先に配る。先に見せる」


(この人、現代のPR担当みたいなこと言ってる)


でも確かに。

噂は「先に見たもの」が勝つ。


灰の司祭は三本目の指を立てた。


「最後に、泣かせる駒を先に潰す」


「潰すって」


「殺すな。条文で封じろ」


灰の司祭の目が、私の袖口へ落ちる。


「境界紙の出番だ。

“寄付金が止まった”という物語が来た瞬間に、

“寄付金が流れていた”という記録を叩きつける」


ルーカスが低く言う。


「証拠はあります。……でも出す順番が」


「順番は、僕が言う」


灰の司祭はきっぱり言った。


「君は監査官として優秀だ。

ただ、神殿は“優秀”を殺せる。

だから君は、僕の言う順番で動け」


ルーカスは反論しなかった。


一拍置いて、短く言った。


「……了解」


私は、その“了解”が妙に気持ちよかった。

強い男が、強い頭に従う瞬間の音だ。


「対価は?」


私が聞くと、灰の司祭は首を振った。


「対価は金じゃない」


彼は淡々と言った。


「金は消える。立場は残る。——君は、残る方を払え」


「立場?」


「君の追放が“派遣”に変わるなら、君は外へ出る。

外へ出る者は、外の神々の“箱”に入る」


「箱」


灰の司祭の目が細くなる。


「境界派は君を欲しがる。

君が条文を読めるなら、君は武器だ」


私は息を吐いた。


(武器ね。女って、いつもそう扱われる)


現代でもそうだった。

家庭のための武器。介護のための武器。都合のいい労働力。


でも今は違う。


私は自分で、使い道を決める。


「私の使い道は、私が決める」


灰の司祭は、目だけで笑った気配がした。


「いい」


「それで?」


私が促すと、灰の司祭は言った。


「今夜、公爵家に戻れ。公爵に言え。

明日の朝、領民向けに“声明”を出せ」


「声明?」


ルーカスが即座に言う。


「文章は僕が作れます。記録として残し、配布する形式で——」


灰の司祭は頷いた。


「配布は“市場”でやれ。神殿前ではやるな。

神殿前は“感情の舞台”だ。市場は“生活の舞台”だ」


私は笑いそうになった。


(ほんとに、現代の炎上対策みたい)


でもそれが、今のこの世界の戦い方だ。


灰の司祭は、最後に言った。


「そして明後日、君はもう一度“追放”を口にする」


「え?」


「自分で言え。

“私は追放される”と。

物語を完成させて、向こうの涙の燃料を奪う」


「燃料を奪う?」


「涙は“正義の燃料”だ。

完成しない物語では燃えない。

燃えたところを、条文で消す」


灰の司祭は路地の影へ下がった。


「僕は消える。追ってくる目に、“君が僕に会った”を与えるな」


「あなた、いつもそうやって——」


言いかけた私の言葉を、灰の司祭は遮らない。

ただ、風の中へ溶けていく。


残ったのは潮の匂いと、冷たい理屈だけ。


ルーカスが小声で言った。


「……彼は、何者なんでしょう」


私は白猫の微笑のまま答えた。


「境界の司祭。——でも世間は“魔女”と呼ぶ。男でも関係なく」


ルーカスが短く息を吐いた。


「……便利な言葉ですね」


「ええ。嫌いな相手を、ひとまとめにするのに」


「それにしては——」


「頭が良すぎる?」


ルーカスが黙った。

それが肯定だった。


私は歩き出す。


明日の朝、公爵へ。

声明。市場。記録。


そして、明後日——私は自分で追放を口にする。


(泣く準備をしてる人たちに、先に物語を完成させる)


(それから、条文で燃やす)


袖の中で境界紙が熱を返した。


『次:声明文(公爵名義)

目的:噂の封殺/生活の防衛

準備:記録/配布/市場』


私は微笑んだ。


(さあ、次は“噂”だ)


(泣き声じゃなく、生活で勝つ)


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