第86話 指示書到着――聖女の役割は“明文化”される
翌朝。
王太子宮からの使者は、夜明け前に公爵家へ来た。
やけに丁寧な箱。
やけに重い封蝋。
「殿下の指示書でございます」
執事長が、白い手袋のまま差し出す。
封蝋は王家。
――つまりこれは“公務”だ。
お父様が封を切る。
紙の擦れる音が、部屋の空気を冷やした。
私は机の向かいで背筋を伸ばす。
ルーカスはすでに、読む姿勢に入っている。
レナートは壁際。
手を組み、表情を薄くしたまま動かない。
控室にはロウがいる。
昨夜からずっと、待たせている。
(先に、鎖の形を見よう)
お父様が紙面を読み上げた。
「王太子命令」
「公爵令嬢クラリス・フォン・アルヴェーンは、王家婚約者として、神殿案件の調整に従事せよ」
「期間:王都滞在中」
「目的:神殿と王家の対立の鎮静、及び領民への不安拡散の防止」
ここまでは想定内。
ルーカスが小さく頷いた。
“目的”が書かれている。
これで、あとから「違う意図だった」と言えない。
問題は次だ。
お父様の指が、次の段落へ滑る。
「同行者――」
「聖女セレスティナは、王家随行として同行する」
私は一度、息を止めた。
“神殿代表”ではなく、“王家随行”。
つまり、聖女の涙は“神殿の権威”としてではなく、王家の手札として扱われる。
便利に使う気だ。
お父様が続けた。
「聖女セレスティナの役割は以下の通り」
「一、神殿側への意向伝達及び調整」
「二、必要に応じた“祈り”による沈静化」
「三、王家の権威の補助」
ルーカスが、紙を受け取った。
目線が早い。
そして、止まった。
「……ここですね」
彼は指で、条文の最後をなぞる。
「四、調整過程における聖女の言動は、王家の指揮監督下に置かれる」
「記録担当:王家書記官」
「記録は王家保管とし、必要に応じて公爵家にも写しを交付する」
私は、笑いそうになった。
――地味に詰んでいる。
セレスティナは、好き勝手に泣けない。
泣いたら“公務としての言動”になる。
そして、記録される。
(殿下、そこまで考えて書かせた?)
いや。
たぶん違う。
これはルーカスの型だ。
指揮監督、記録、写し。
“言質を残す”形式。
ルーカスが淡々と言う。
「殿下は、聖女様を“手札”として同行させるつもりです」
「ですが同時に、王家の責任の下に置いてしまった」
「泣き落としが公務として発動した場合――」
一拍。
「責任は王家です」
お父様が、低く頷いた。
「良い」
「これで、涙が暴走したときの逃げ道が消える」
壁際で、レナートの視線がわずかに動いた。
感情は表に出さない。
でも、彼は理解している。
誰かが泣けば、誰かが壊される世界だ。
それを“責任”の鎖で縛った。
ルーカスが、さらに一枚を引いた。
添付書類。
同行者規程――つまり“同行の条件”だ。
「武装護衛の同行を認める」
「ただし王都内における護衛指揮は王家が行う」
「公爵家は名簿を提出し、承認を得ること」
お父様が小さく息を吐いた。
「王家が指揮するなら、護衛は動かしづらいな」
「でも、名簿が通れば、存在は公的になる」
私は紙面の端を見た。
そこに、最後の一文。
「なお、公爵令嬢クラリスは、王家婚約者としての立場において、殿下の名誉を損なう言動を慎むこと」
――来た。
首輪。
黙れ、というやつ。
私は指先で紙の縁を押さえる。
落ち着け。
怒るところじゃない。
これは“型”だ。
型は、逆に使える。
ルーカスが、静かに言った。
「クラリス様」
「この一文があるなら、こちらも一文を足しましょう」
「“名誉を損なう言動”の定義を、こちらで記録に残す」
「殿下が勝手に定義できないように」
私は頷く。
「お願い」
そして、もう一つ。
私はお父様を見た。
「お父様」
「控室のロウを、どうするかも、書面に入っていません」
レナートの目が、ほんの少し鋭くなる。
けれど、声は出さない。
ここは私の役目だ。
お父様は頷いた。
「今日中に、王家へ照会を入れる」
「“参考人”として扱うなら、保全の責任を明記させる」
「曖昧なまま、連れては行かない」
ルーカスが即座に補足する。
「照会文は、私が書きます」
「王家保管の記録に必ず残る形式で」
私は紙を閉じた。
封蝋の重さを、指先で確かめる。
婚約は、利用される。
でも、利用されるなら――
利用の手続きごと、鎖にして返せばいい。
次に届くのは、王家からの返答。
そして、同行の出発命令。
その前に。
私は控室へ向かった。
待たせている子がいる。
この話の中心に、いつの間にか刺さってしまった――
ロウが。




