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悪役令嬢ですが、泣き落としには法と魔法で対処します  作者: ちわいぬ
第2章 王都折り返し編

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第83話 次の紙、次の檻

控室の扉の外。


空気が一段、重くなった。


足音は多くない。


むしろ少ない。


少ないのに――“格”がある。


周囲の呼吸が揃う感じ。


廊下の端から端まで、言葉が消える感じ。


ロウは椅子の背から、ほんの少しだけ身体を起こした。


耳を澄ませる。



(来たな)



扉は開かない。


開けない。


開けられない。


さっき作られた“責任”が、逆に鍵になっている。


だから代わりに、廊下で会話が始まる。



「……随分と手際が良いな」



王太子――レオンハルトの声だ。


笑っているのに、温度がない。



「誰の差し金だ」


「君か? ルーカス」



ルーカスは、礼儀正しく。


しかし距離を一切詰めない声で返す。



「恐れながら、殿下」


「差し金ではございません」


「“手続き”でございます」



レオンハルトが鼻で笑う気配がした。


紙が擦れる音。


彼はきっと、手の中で何かを折っている。



「手続きね」


「それは便利な盾だ」


「……だが盾は、槍を止めるためにある」


「槍を出せばいい」



クラリスの声が、落ち着いて響いた。


ここが公式の場だということを、彼女が先に思い出させるように。



「殿下」


「公式の場では、“槍”は記録に残ります」


「お忍びで来られたはずですのに」



一瞬、静かになる。


レオンハルトの苛立ちが、音にならずに滲む。



「……なるほど」


「だからここまで“記録”を嫌うのか」


「君は、紙で戦うつもりなんだな。クラリス」



クラリスは、淡々と返す。



「はい」


「私は“紙でしか”戦えません」


「殿下は、権力で戦えます」


「――だから公平です」



レオンハルトが、低く笑った。


笑い声が乾いている。



「公平?」


「いいや。君は一つ、勘違いしている」


「この城で“公平”を決めるのは、紙じゃない」


「俺だ」



その言葉で、廊下の空気が一段冷えた。


衛兵の鎧が、僅かに鳴る。


誰かが息を飲む。


ルーカスが、そこで一歩だけ踏み出した気配。


声音は変えない。


でも、言葉の角度が変わる。



「殿下」


「恐れながら、“王命”であればその通りです」


「しかし現時点の指示は、殿下個人のものです」


「王命と個人命令は、同じではございません」



レオンハルトの舌打ちが、はっきり聞こえた。



「……ああ、聞いたことがあるよ」


「“王の影にいる書類男”」


「顔も知らなかったが、声は覚えた」



ルーカスは、崩さない。



「光栄でございます」



クラリスが、心の中で舌を出していそうな間を置いて言う。



「殿下は、今日は何をお望みですか」


「控室の平民に、何かご用が?」



レオンハルトの返答は、早い。


待っていたかのように。



「用があるのは平民じゃない」


「――ベルデンベルクだ」



その名前で、ロウの背中が一瞬だけ硬くなった。



(先生……)



でも扉は開かない。


控室からは、何もできない。


だからロウは、ただ聞く。


レオンハルトは続ける。



「医療監督」


「それは“役目”だ」


「役目を背負う者は、王家に従う」


「従えないなら――その役目を降りろ」



廊下の空気が、ぴんと張る。


“降りろ”の一言は、命令だ。


威圧だ。


政治の殴り方だ。



クラリスが、言う。



「それは、脅しですか」


「それとも取引ですか」



レオンハルトは、笑う。



「両方だ」


「政治は便利だろう?」



そして、紙が広げられる音。


監察官の声が、事務的に読み上げる。



「――通達案」


「王太子殿下の名において、医療監督レナート・フォン・ベルデンベルクに対し」


「王宮内の監督下での医療活動を命じる」


「王都外の施療所での診療活動は、一時停止とする」



ロウの喉が、ひゅっと鳴った。



(……奪う気だ)


(先生から、診療所を)


(先生から、日常を)


(“医者”でいる場所を)



監察官は続ける。



「命令に従わぬ場合、医療監督職の再審議を行う」


「また、当該施療所に関する監査を実施する」



監査。


その言葉が、刃になる。


診療所は庶民の信頼で立っている。


監査は、疑いを生む。


疑いは、信頼を削る。



クラリスが、静かに息を吸った。


怒りを表に出さない。


出せば“感情の舞台”にされる。


だから、彼女は紙に戻る。



「殿下」


「それは王命ではありません」


「王の御署名は?」


「王の御璽は?」



レオンハルトの声が、少しだけ低くなる。



「ない」


「だから“案”だ」


「……だが、案が通れば命令になる」



クラリスは、一歩も引かない。



「案は案です」


「命令ではありません」


「“命令ではないもの”で人を縛るのは、ただの恫喝です」



レオンハルトの苛立ちが、くっきり形を持つ。



「恫喝で動くなら、政治は楽なんだがな」



そして、少しだけ間。


彼は狙いを変える。


政治の槍先を、別に向ける。



「では、控室の平民はどうだ」



ロウの心臓が、嫌な音を立てた。



(来るな)


(俺に来るな)



レオンハルトは、淡々と言う。



「“王家監督下の待機”」


「つまり、王家の所有物だ」


「所有物には規則が必要だろう?」



監察官が、もう一枚の紙を取り出す音がする。



「――付帯条項案」


「参考人ロウは、王宮の監督下での事情聴取に応じる」


「聴取期間中、外部との接触を制限する」


「医療監督レナート・フォン・ベルデンベルクによる単独接触は禁止とする」



ロウは、目を閉じた。



(……檻だ)


(先生から切り離す檻)



クラリスの声が、鋼になる。



「殿下」


「その付帯条項は、合理性がありません」


「単独接触を禁止する理由は?」



レオンハルトは、平然と答える。



「偏りを防ぐためだ」


「医者は感情で動く」


「――患者に執着するからな」



その瞬間。


廊下の空気が、僅かに揺れた。


誰かが一歩踏み出そうとして、止められた気配。


ロウは、椅子の肘掛けを掴みそうになって、耐えた。



(先生を、侮辱すんな)


(患者って言うな)


(俺を、道具にすんな)



ルーカスが、静かに言う。



「殿下」


「その言い方は不適切です」


「医療とは、執着ではなく責務です」


「そして責務は、切り離して脅迫材料にするものではありません」



レオンハルトが、笑う。



「君は、口が回るな」


「……だが君たちは忘れている」


「ここは王宮だ」


「決めるのは俺だ」



クラリスが、すっと言った。



「いいえ」


「決めるのは“王”です」



その一言が、廊下を切った。


レオンハルトの息が止まる。


クラリスは続ける。



「殿下が“案”を出すのは自由です」


「ですが、案を命令にするには、王の承認が必要です」


「そして――王は今、見ています」



沈黙。


長い沈黙。


この場にいない“王”が、突然そこに現れたような沈黙。



レオンハルトの声が、ほんの少しだけ冷えた。



「……王が?」



クラリスは、微笑まない。



「はい」


「殿下の“判断”が、王の“判断材料”になる」


「今の行動は、すべて」



レオンハルトが紙を握り潰す音がした。


さっきロウが感じた、あの“紙の匂い”が濃くなる。



「……面白い」


「なら、試してやろう」



彼は、監察官に言う。



「案は回せ」


「王の机に乗せろ」


「――ついでに、神殿にも」



クラリスの目が、細くなる気配。



(神殿に回す?)


(それは、セレスティナを呼ぶ合図だ)


(泣き落としの舞台を作る合図)



レオンハルトは最後に、控室の扉に向けるように言った。


声は大きくない。


でも、届くように。



「参考人ロウ」


「君は“次の檻”だ」


「檻の形は、紙で作る」



ロウは、口の中で小さく呟いた。



「……うるせえよ」



その声は外に出ない。


でも、ロウの中で燃えた。


燃えたのに、冷たい。


スイッチが、完全に入った。



(紙の檻なら、紙の継ぎ目がある)


(継ぎ目があるなら、破れる)


(破るのは――クラリスだ)


(俺は、見つける)



扉の外で、足音が去っていく。


重い足音。


苛立ちの足音。


代わりに、別の足音が近づく。


軽い。


布の擦れる音。


香が強い。


甘い声がした。


泣く前の声。


泣く準備が整った声。







「……ロウくん」


「心配なの」



ロウの背筋が、ぞわりとした。



(来た)



そして同時に。


廊下で、クラリスが静かに言う。



「……舞台が整った」


「次は、“涙”を切る」


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