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第8話 連座撤回、そして“泣きウサギ”は檻に入る


神殿の空気は、まだ揺れていた。


ついさっきまで。

この場は“正統の勝利”で終わるはずだったのに。


追放は保留。

聖女は調査対象。

祝福は条文で切られた。


——勝った空気が、音を立てて崩れている。


高位司祭が裁定席から告げる。


「本件は、国王へ報告する」


その言葉は、この場の“終わり”を意味していた。

神殿内で握り潰せない。

外へ出る。記録になる。


救済神派の司祭が顔を引きつらせた。


「高位司祭殿! ここは神殿です。国王の口出しなど——」


「神殿が国の秩序を揺らしたのなら、国が介入する」


高位司祭の声は低く、硬い。


「“祝福”は免罪符ではない」


ざわっ、と場が動く。


——“祝福は免罪符ではない”。


それは、誰もが薄々感じていて、誰も言えなかった言葉。


私は白猫の微笑を保ったまま、一歩前に出た。


「恐れながら、もう一つだけ」


高位司祭が私を見る。


「申せ」


私は袖の中で境界紙を閉じる。

ここからは、紙よりも人の言葉だ。


「神殿が公爵家へ送った“処分通告”」


場内の空気が、ぴくりと反応した。

連座。除名。領民を人質にする文言。


私は、柔らかい声のまま言う。


「撤回してください」


救済神派の司祭が噛みつく。


「追放は保留だ! 撤回など——」


「撤回すべきです」


ルーカスが淡々と遮った。


「通告は、“聖女の正しさ”を前提にした脅迫です。

その前提が崩れた以上、通告の正当性は失われています」


灰の司祭が、祈り香の中で乾いた声を落とす。


「領民を盾にする条文は、境界派では“卑怯”と呼ぶ。

救済派では、何と呼ぶ?」


場内の視線が、裁定席へ集中した。


高位司祭が沈黙し、次に短く言った。


「……通告文は提出されたのか」


救済神派の司祭が焦ったように言う。


「評議会の内部文書です!」


「内部文書であろうと、すでに早馬で届けたなら“外部”だ」


高位司祭の声が冷たくなる。


「提出せよ」


救済神派の司祭の喉が鳴った。

逃げられない。


——勝ちの瞬間って、だいたいこういう音がする。


やがて、通告文が裁定席に提出された。

封蝋の跡。署名。押印。


高位司祭はそれを読んで、眉をひそめた。


「……連座“検討”ではなく、連座“を検討する”と明記。

処分を迫る文章だな」


救済神派の司祭が言い訳を探す。


「それは、念のための——」


「念のために、領民を殺す準備をするのか」


高位司祭の声が、鋼みたいになる。


場内が静まり返った。


セレスティアが、小さく震えた。

白い衣が揺れ、潤んだ目が大きくなる。


——泣く準備。


でももう、その準備は“武器”にならない。


高位司祭が宣言した。


「通告文は撤回する。

公爵家および領民への連座措置は——本件の審査が完了するまで凍結」


凍結。


それは、撤回に近い。

少なくとも今日この瞬間、父と領民は救われた。


私は息を吐きそうになって、飲み込んだ。

息を吐くのは、まだ早い。


救済神派の司祭が、今度はセレスティアを庇うように叫んだ。


「ですが! 聖女はまだ裁かれていない!

調査対象であっても、清らかさは——」


「清らかさは、条文で測れない」


灰の司祭が淡々と言う。


「だが契約違反は測れる。

そして今日、測った」


ルーカスが一枚の封筒を取り出した。


「監査局より提出。

祝福行使ログの保全写しと、寄付金の流れに関する一次資料です」


封筒が裁定席へ渡る。


それを見た瞬間、救済神派の司祭の顔が青くなった。


(寄付金——そっちも刺さる)


高位司祭が資料に目を通し、低く言った。


「……寄付金の一部が、神殿外へ流れている」


救済神派の司祭が声を荒げる。


「それは正当な支出で——!」


「正当なら、なぜ帳簿が途切れる」


高位司祭の目が鋭くなる。


「調査を開始する。

祝福行使ログだけではない。——金の流れもだ」


場内がざわついた。


神殿にとって、“祝福の疑い”よりも、“金の疑い”の方が怖い。

信仰は言い訳できても、金は言い訳できない。


セレスティアが、息を呑んだ。


そして——


泣いた。


ぽろぽろと。


けれど、誰もすぐには動かない。

守りに行かない。


空気が、足元を見ている。


「……セレスティア」


高位司祭が呼んだ。


「本日より、祝福行使は停止。

神殿内の“清浄区画”へ移り、調査が終わるまで外部接触は禁止する」


清浄区画。


言い方は綺麗でも、実態は——隔離だ。


セレスティアの顔が、ひきつった。


「そ、そんな……私は……私は聖女で……」


「だからこそだ」


高位司祭は淡々と告げる。


「聖女の名は、疑いが出た時点で守らねばならぬ。

守るとは、自由を与えることではない。

——証明させることだ」


セレスティアが、唇を震わせた。


泣きウサギの仮面の下で、蛇が舌を出す気配がした。


(ざまあ)


私は口に出さない。

白猫は、笑って見送る。


救済神派の司祭が、最後の抵抗を試みる。


「では、公爵令嬢クラリスの扱いは!

境界神派の契約紙を所持する者を野放しにするのですか!」


高位司祭が私を見る。


「公爵令嬢クラリス。

貴女には“追放保留”のまま、監査局の監督下に置く。

神殿への出入りは禁止。だが除名はしない」


——除名はしない。


これが一番大きい。


私は深く礼をした。


「承知いたしました。

公爵家と領民への通告撤回、感謝いたします」


高位司祭が頷く。


「感謝は不要だ。これは手続きだ」


灰の司祭が、私の方を一瞬見た。

目だけで笑う。


(手続き。いい言葉だよね)


神殿の扉が開き、衛士が入ってくる。


「聖女セレスティア、清浄区画へ」


セレスティアが、周囲を見回した。


泣けば助けが来るはずだった。

いつもなら、王太子が来た。貴族が来た。皆が守った。


でも今日は——誰も来ない。


王太子レオンハルトは、壇の端で黙っていた。

顔が硬い。

自分が“空気誘導の対象”だったことに、ようやく気づき始めている顔。


セレスティアが、最後に私を見た。


その目は潤んでいない。

乾いて、細く、冷たい。


私は微笑み返す。


白猫の顔で。


(次は“泣き”じゃなくて、もっと汚い手で来るね)


(いいよ。条文、増やそう)


衛士に連れられて、セレスティアが去る。

白い衣が扉の向こうへ消えた。


その瞬間。


神殿内の空気が、ふっと軽くなる。


「終わりました」


ルーカスが小声で言った。


「終わってない」


私も小声で返す。


「でも、今日は勝った」


ルーカスが、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「……はい」


灰の司祭が背後で言う。


「約束通り、君は一度負けた。追放も落ちた。

そして条文で刺した」


私は礼をした。


「ありがとうございます。——対価は、後で」


「契約は逃げない」


灰の司祭は淡々と答える。


神殿の外へ出ると、空がやけに広い。

王都の風が冷たいのに、胸の奥が軽い。


私は薄金の瞳を細め、遠くを見た。


父と領民は守れた。

除名は止めた。

泣きウサギは檻に入った。


——スカッとするには十分だ。


でも、終わりじゃない。


境界紙が袖の中で、最後に一文を浮かべた。


『次:王太子の立場が揺れる

聖女派閥の反撃:別の“被害者”を作る可能性』


私は笑いそうになって、飲み込む。


(いいよ)


(次は、誰が泣く番?)


白猫の微笑のまま、私は歩き出した。

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