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悪役令嬢ですが、泣き落としには法と魔法で対処します  作者: ちわいぬ
第2章 王都折り返し編

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第78話 涙は“正義の燃料”

王太子執務室を出た瞬間、空気が変わった。


あの部屋の中は、制度の匂いがする。


紙と印と、責任の所在。


だから勝てた。


でも廊下は違う。


ここは“感情”の通り道だ。


噂が歩き、視線が刺さり、涙が正義になる。




父が先に歩く。


背中が、静かに怒っているのが分かる。


怒鳴らない怒りほど、強い。




ルーカスは、私の半歩後ろで、いつも通りの顔をしている。


何も感じていないのではない。


感じた上で、切り分けているのだ。




そしてレナート。


礼装のまま、歩幅も姿勢も崩れていない。


ただ、その視線だけが――廊下の曲がり角を一度、確認した。


控室の方角だ。


ロウのいる場所。




(ああ、もう分かりやすい)




(あなた、勝負の軸がどこにあるか、隠す気がない)




私は、わざと何も言わなかった。


今は、言葉が余計な火種になる。




曲がり角を二つ。


王宮の内側から、神殿への回廊に近づくほど、香の匂いが濃くなる。


そして――聞こえた。


すすり泣き。




私は足を止めなかった。


止まると“それ”に飲まれるからだ。




「……始まったな」




父が、低く言う。




ルーカスが、淡々と補足する。




「殿下が“制度で負けた”時に、必ず使う手です」




「制度の外で勝つ」




すすり泣きは、すぐに“声”になる。


声は“話”になり、話は“噂”になる。


そして最後は、“当然”になる。




回廊の先。


人が集まり始めていた。


神殿の侍女。


見物の貴族。


そして――セレスティナ。




白い衣装の裾が、床に柔らかく広がっている。


涙は、宝石みたいに見えるように計算されていた。


ただ、計算しているのは彼女だけじゃない。




レオンハルトが、少し離れた位置に立っている。


手は優しく差し伸べている。


顔は“苦悩する守護者”のように作られている。




(……はいはい)




(来た来た。お得意の“僕は守りたいのに、彼女が傷ついている”)




セレスティナの声が、届いた。




「……わ、たしが……いけないんです」




「わたしが、もっと……しっかりしていれば」




「皆様を……不安にさせることも……」




人が息を呑む。


その瞬間に、噂の骨格が出来上がる。




“彼女は被害者だ”


“彼女は善良だ”


“彼女は泣いている”




泣いている以上、正しい。


泣いている以上、守られる。


泣いている以上、敵が必要になる。




敵――私だ。




私はその場に入らず、視線だけで状況を測る。


父も、ルーカスも、同じことをしている。




そして――レナートが、ほんの少しだけ足を止めた。


セレスティナを見たのではない。


レオンハルトを見た。




その視線は、剣より静かで、剣より刺さる。


まるで、




“お前が泣かせたのか”と言っているようだった。




レオンハルトが、気づいた。


気づいた瞬間、空気がまた変わる。




彼の顔が、ほんの少しだけ歪む。


男の嫉妬。


権力者の嫉妬。


いちばん面倒な種類のそれが、確かに滲んだ。




そして、彼は“政治の顔”に戻る。


一歩、前へ。




「皆の者」




「セレスティナは、王家と神殿が守る」




“守る”という言葉は甘い。


だが次に続くのは、いつも刃だ。




「――だが」




「王都の秩序を乱し、混乱を招く者を、放置するわけにはいかない」




人々の視線が、一斉にこちらへ向く。


矢の雨みたいな視線だ。




私は、微笑まない。


怯えない。


ただ、礼式の姿勢を崩さない。




(来る)




(ここからが、本番)




レオンハルトは、あくまで“公務”の声で続けた。




「クラリス・フォン・アルヴェーン」




「君には――“任務”を与える」




任務。


その言葉を使った瞬間、私は理解した。


これは“追放”の焼き直しだ。




ただし、今回は制度で包む。


紙で包む。


そして戻れない形にする。




ルーカスが、私の隣で小さく息を吐いた。


父の指が、僅かに動く。




怒りではない。


戦いに切り替わった合図だ。




レオンハルトが言う。




「君は王都を離れ、国境方面の混乱――」




「“神殿への不信”が広がっている地域の調査に向かえ」




(うわ。最悪)




(神殿の評判回復のための“人身御供”じゃない)




彼は続けた。




「これは王家の意向だ」




「拒否は――」




言いかけた言葉を、彼は止めた。


さっきの負けが、ここで効いている。




“拒否は許さない”と言えば、また制度に戻される。


だから、彼は別の言い方を選ぶ。




最も卑怯で、最も効く言い方を。




「……君の名誉のためでもある」




名誉。


便利な言葉だ。


相手の口を塞ぎ、逃げ道を奪う、金色の鎖。




私は一歩も動かず、言葉を整えた。


今、ここで感情を出したら負ける。




だから――事実だけで刺す。




「殿下」




私は礼式で頭を下げる。




「その“任務”は、王の裁可を経たものですか」




空気が止まった。


噂が止まった。


涙の流れすら、一瞬止まった。




レオンハルトの目が、細くなる。


そして彼は笑う。




美しい笑顔。


だが、目だけが笑っていない。




「……確認しておこう」




確認。


つまり、今この場では“決定ではない”。


つまり――記録が残らない。




(そう)




(あなたは今日も、記録から逃げる)




私は、内心でだけ笑った。


勝てる勝負じゃない。




でも、逃げ道は塞げる。




そして、袖の中。


境界紙が、熱を返す。




『次:任務(擬似追放)

目的:王家の外で縛る/神殿の燃料を得る

対策:裁可/同行者/記録』




私は、目を伏せたまま息を吐く。


次の戦場は、紙の外だ。


涙の外だ。




“生活”の場所――国境だ。




そして私は、ゆっくり顔を上げる。


レオンハルトの目を見て、言った。




「承知しました、殿下」




「ただし――条件があります」




火種が、燃えた。


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