第7話 泣き落としを、条文で殺す
神殿の空気が、ひび割れた。
追放の裁定が落ちた直後。
勝利の余韻に浸るはずだった場に、灰の司祭が立っている。
「境界派。第三者証人として出頭した」
その一言で、司祭たちの顔色が変わった。
救済神派の高位司祭が、声を荒げる。
「異端が神殿裁判に口を挟むな!」
灰の司祭は、祈り香の中で淡々と返した。
「異端かどうかを決めるのが裁判だろう。
そして今日は、“祝福”ではなく“契約”の案件だ」
場内がざわつく。
「契約」という言葉は、貴族の耳に刺さる。
神殿が嫌っても、国はそれで回っているから。
ルーカスが一歩前へ出た。
「監査局としても契約審査を求めます。
本件は寄付金の流れと、祝福行使ログが関わる」
救済神派の司祭が唇を噛む。
“追放で終わらせたかった”顔だ。
高位司祭が裁定席から告げた。
「契約審査の要請を受理するか否か、ここで協議する」
「協議など不要!」
救済神派が即座に噛みつく。
「聖女の涙が証である以上——」
「証ではない」
灰の司祭が遮った。
その声は大きくない。
なのに、不思議と通る。
「涙は感情だ。契約は言葉だ。
感情を証にするなら、世界は泣いた者のものになる」
(それ、まさに今までのこの国)
私は白猫の微笑を崩さず、一歩前に出た。
「恐れながら。裁定を受け入れた上で——契約審査を求めます」
救済神派の司祭が、私を睨む。
「追放される身で、まだ口を開くのか」
「追放されるからです」
私は柔らかく言った。
「追放は、国の加護圏からの排除。
ならば、その根拠が“契約に則るか”は確認されるべきです」
高位司祭たちが目配せをする。
裁定席の空気が揺れる。
——ここが勝負どころ。
私は袖の中で境界紙を開いた。
紙が熱を持ち、文字が整う。
見えないはずの条文が、私の頭に“読み上げ”として落ちてくる。
(よし。刺す)
「まず確認します」
私は視線をセレスティアへ向ける。
彼女は白い衣のまま、潤んだ瞳で小さく震えている。
守ってあげたくなる外見。泣きウサギの完成形。
「聖女セレスティア様」
呼びかけると、彼女は小さく頷いた。
「はい……」
声がかすれ、語尾が消える。
同情を誘う仕掛け。
私は微笑んだ。
「あなたは“救済神派”の祝福契約に基づき、祈りを行使した。
——そうですね?」
「ええ……皆様のために……」
「では、条文を確認いたします」
救済神派の司祭が怒鳴る。
「条文など!」
「条文です」
私が言い切ると、空気が一瞬静まった。
不思議なことに。
私の声が通った。
境界紙が袖の中で、すっと冷えた。
熱ではなく、刃の冷たさ。
私は“読み上げる”。
「祝福契約(救済神派)第九条」
場内の誰かが息を呑んだ。
「救済の名を借りて断罪の場を誘導し、他者の社会的地位を剥奪してはならない」
ざわっ、と波が起きる。
救済神派の司祭が叫ぶ。
「そんな条文は存在しない!」
灰の司祭が淡々と返す。
「存在する。君たちは“読み上げない”だけだ」
ルーカスが続ける。
「監査局として提出可能です。
祝福契約は神殿が独占する文書ですが、過去の国庫寄贈分の写しが存在します」
高位司祭たちが沈黙する。
“存在しない”と言い切れなくなった。
私は続けた。
「次に、行使ログです」
救済神派が顔色を変える。
ログ。
記録。
言い逃れできない単語。
私は袖の中で境界紙を少しだけ開き、視線を落とさないまま読み上げる。
「時刻:第一滴。
場所:公開断罪の場。
対象:王太子および貴族群衆。
結果:共感増幅(空気誘導)」
セレスティアの肩が、ぴくりと動いた。
私は微笑む。
「つまり——あなたは“祈り”を、断罪の場で“誘導”として使った」
セレスティアが、涙を落とした。
ぽとり。
床に落ちる。
そして——
何も起きない。
増幅がない。
黄金の糸が伸びない。
場内がざわめく。
“あれ?”という空気が確かに広がる。
セレスティアが唇を震わせた。
「ち、違います……私は……私は、怖かっただけで……」
来た。
“怖い”は嘘じゃない、作戦。
私は頷いた。
「怖かったのですね。では、その恐怖は“誰に”向けられていたのですか」
セレスティアが言葉に詰まる。
私は畳みかけない。
余白を与える。
余白は、嘘を薄くする。
救済神派の司祭が割り込んだ。
「聖女は民のために——!」
「民のために、個人を排除してよい条文はありません」
灰の司祭が遮った。
高位司祭の一人が、低く言った。
「……契約違反の可能性がある」
救済神派が焦った。
「お待ちください! 聖女は正統の——」
その瞬間、空気が変わった。
冷たい。
背筋が粟立つような、恐怖の気配。
私は見た。
セレスティアの背後に、黒く細い糸が伸びる。
黄金ではない。夜みたいな糸。
(夜神派)
境界紙が警告を浮かべた。
『検知:夜神派祝福
発動条件:恐怖の拡散/異端認定
目的:場の支配の再獲得』
セレスティアが、震える声で言った。
「……私、怖いんです……異端が……魔女が……この場を汚して……」
恐怖を撒く。
群衆を“正統”に縛り直す。
黒い糸が、場へ伸びかける。
——来る。
私は息を吐いた。
(いいよ。そこまでやるなら、条文で潰す)
境界紙が、すっと新しい一文を浮かべる。
例外条項。境界神の刃。
『例外条項:
恐怖を用いた異端認定は、救済の範囲を逸脱する
当該行使は“支配”とみなし無効』
私は一歩前へ出た。
「恐れながら」
声は柔らかい。
でも、言葉は切る。
「いまの発言で、契約審査は終わりました」
場内が凍る。
セレスティアが目を見開く。
「え……?」
私は微笑む。
「恐怖を撒いて異端認定を成立させようとした。
それは救済ではなく支配です。
——条文により、当該祝福行使は無効」
黒い糸が、ぷつりと切れた。
空気が、戻る。
誰も“怖い”に飲まれない。
高位司祭たちが、言葉を失う。
ルーカスが淡々と告げた。
「監査局として、祝福行使ログの保全を続行します。
二重契約(救済神派/夜神派)の可能性を含め、正式調査を要請」
救済神派の司祭が、顔色を青くした。
「……そんな……そんな……」
灰の司祭が言う。
「泣きと恐怖。
二つの餌で人を動かすのは上手い。
だが今日の相手は、条文を読む」
高位司祭が、ようやく裁定席から言った。
「……契約違反の疑いが濃い。
聖女セレスティアの祝福行使について、審査と調査を行う」
場内がざわめく。
“聖女が調査対象”という現実が、初めてここに落ちた。
救済神派の司祭が叫ぶ。
「では、追放は! 追放の裁定はどうなる!」
高位司祭が答える。
「追放は——一旦、保留とする」
(よし)
私は心の中で息をした。
追放は“確定”させる予定だった。
でも、保留でも十分だ。
今は“除名”を止めるのが最優先。
父と領民を守るために。
「公爵令嬢クラリス」
高位司祭が私を見た。
「貴女は境界神派の契約紙を所持している。
それ自体が異端と見なされうる。弁明はあるか」
私は微笑んだ。
「弁明ではありません。説明です」
そして、数行だけ、淡々と告げた。
「この国では境界神派の巫女は“聖女”と呼ばれず、まとめて魔女と呼ばれます。
善悪ではなく区分です。
私はその区分の契約紙で、祝福の条文を確認しただけ。
——確認を罪にするなら、この国の契約は崩れます」
沈黙。
裁定席の空気が、重く揺れる。
ルーカスが続けた。
「国の契約秩序を守るためにも、本件は神殿内で握り潰すべきではありません。
国王への報告を要請します」
救済神派が噛みつこうとしたが、もう遅い。
高位司祭が、短く告げた。
「……よい。国王へ上げる」
セレスティアが、震えた。
泣きウサギの仮面が、崩れかけている。
私は白猫の微笑を崩さない。
(泣けば勝てる時代は終わり)
(次は——“処分通告”の取り消しまで持っていく)
境界紙が、最後に一文を浮かべた。
『次:公爵家への連座通告の撤回要求
条件:祝福契約違反の公式認定』
私は深く礼をした。
「ありがとうございます。
では——手続きに従いましょう」
そして、心の中で付け足す。
(契約で、勝つ)




