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第68話 何もしない勝ち方


朝の王都は、薄くうるさい。


夜の黒が引いたぶん、代わりに噂が増える。


人は起きると同時に、誰かの話をしたがる。


宿の廊下を歩く足音。


階下の食堂から上がってくる笑い声。


パンの匂い。


湯気。


それだけで、少しだけ――まともな世界に見えるのが腹立たしい。


私は窓辺で外を見ていた。


今日の私は“動かない”。


昨日ルーカスに言われた通りに。


舞台に上がらない。


燃える場所に薪を置かない。


(……何もしないって、難しいのよ)


扉が軽く叩かれた。


返事をする前に、ルーカスが入ってくる。


許可を取るのは形式で、彼は形式を最短で済ませる。


「第一弾は流れました」


声は相変わらず淡々。


淡々としているのに、胸が少しだけ軽くなる。


効いている。


たぶん。


「噂じゃなくて、確認?」


私は聞いた。


ルーカスは頷く。


「確認です」


「“見た”“聞いた”の形ではなく、“確かめた”の形で回る」


「回る先が限られるぶん、強い」


私は頷いた。


王都の噂は、量で殴る。


確認は、質で刺す。


「相手は?」


「動きます」


ルーカスは迷わず言った。


「王太子は、政治で殴る」


「聖女は、舞台で泣く」


「二人は噛み合っているようで、噛み合っていない」


「だから、隙が出ます」


私は息を吐いた。


噛み合っていない。


利用し合っている二人の“雑さ”。


そこを拾う。


拾って、紙にする。


「で、私は?」


ルーカスは机に小さな紙片を置いた。


封蝋はない。


署名もない。


ただ、折り目がきれいだ。


「あなたは、これを持っているだけでいい」


「持っていて、見せない」


「見せるのは、必要なときだけ」


私は紙片を指先で押さえた。


中身は見ない。


見たくなるけど、見ない。


この手の紙は、“持っている”ことが一番効く。



廊下の空気が、最初から違った。


宿の主の声が低い。


警戒の声だ。


丁寧すぎる敬語が混ざる。


あれは、相手を持ち上げている声ではない。


“怒らせたくない”声だ。


(来たな)


ルーカスが一歩前に出た。


私の肩越しに、廊下の奥を見ている。


その目が、ほんの一瞬だけ細くなる。


ああ、確信した。


「……公的ではない」


ルーカスが、私にだけ聞こえる声で言った。


「どうしてそう言えるの?」


私も小さく返す。


「止められた痕があるからです」


止められた痕。


その言葉の意味が、すぐに分かった。


足音がひとつではない。


護衛の足音が、少ない。


それに――


“整い過ぎていない”。


王族が公式に動くときの、あの揃った重さがない。


つまり。


誰かが止めた。


止められて、なお来た。


(王に見られているのに?)


(いや……見られているからこそ、か)


王都で王太子が動けば、必ず王の耳に入る。


王が“見ている”のは、城の窓からではない。


報告の速さで、見ている。


そして、王太子はそれを知っている。


止めた側の声が、廊下に漏れた。


言葉は聞き取れない。


でも、温度だけは分かる。


「殿下」と呼ぶ声。


「お待ちください」と言う声。


「今は」と言う声。


――そして、それを蹴散らすような短い返事。


知らん。


そんな空気。


次に聞こえたのは、決着の声だった。


低く、乾いた声。


命令の形で、でも命令ではない形で。


「なら、削れ」


「随員も、儀礼も、名も」


「“王太子”で来るな」


一拍。


誰かが息を呑む。


「公的な記録は残せません」


それは進言だった。


止めるための最後の釘。


――つまり、王の目を意識した言葉。


返事は早かった。


「構わない」


そして足音が近づく。


近づいて、止まる。


扉の前で、一度だけ空気が整う。


整うけれど、整い切らない。


“公式の整い”ではない。


私は椅子から立ち上がった。


深い礼はしない。


名前も称号も、口にしない。


呼べば、この場が“公式”になってしまう。


(ここは、舞台じゃない)


(舞台にするのは、相手の仕事だ)


(私は、舞台を作らない)



白が入ってきた。


白い布。


白い飾り。


白い香り。


“正しさ”をまとった白。


セレスティナ。


聖女は、宿の部屋に入るだけで、空気を変える。


変えるのが仕事なのだと、顔が言っている。


その後ろに、もう一人――


白ではない。


白を着るべき立場なのに、わざと削っている。


随員も儀礼も、削って削って、男一人分にしたみたいな来方。


(……公式じゃない)


(だからこそ、厄介)


私は椅子から立ち上がり、礼だけ取った。


深くはしない。


名も称号も言わない。


口にした瞬間、ここが“公式の場”になってしまうから。


ルーカスも同じだけ礼をする。


淡々と、余計な言葉は添えない。


レナートは、窓辺の影に立ったまま、視線すら合わせない。


――医師としての同行。


それ以上の立場を、この場に持ち込まない沈黙。


ロウは椅子に座ったままだった。


慌てる素振りもない。


そして誰も、咎めない。


ここで彼は“数に入っていない”。


それが逆に、異様な圧になる。


レオンハルトの目が細くなった。


私ではない。


部屋の奥――レナートを探して、見つけて、苛立つ。


(見つけたのね)


(比べてる)


セレスティナが一歩、前に出る。


泣きはしない。


まだ泣かない。


泣くのは、効く距離に入ってから。


彼女は微笑んで言った。


「クラリス様」


「昨日は……お怪我の子のことで、お忙しかったのですね」


私は笑わない。


笑うと燃える。


だから、ただ頷く。


「ええ」


セレスティナの視線が、部屋の奥へ流れた。


レナートの方へ。


彼女は一瞬、唇を開きかける。


距離を詰めたい。


“効く距離”に入りたい。


でも――


レナートは見ない。


見ないことで、拒否をする。


それは聖女にとって、いちばん腹の立つ拒否だ。


セレスティナは、微笑みを崩さずに言った。


「……レナート様も、ご一緒なのですね」


レナートは答えない。


答えない代わりに、窓の外を見ている。


王太子の方も、聖女の方も――視界に入れない。


王太子の喉が小さく鳴った。


苛立ち。


それを抑えた苛立ち。


「伯爵家の嫡男が、随分と庶民の宿がお好きだな」


レオンハルトが言う。


笑っているようで、刺している。


ルーカスが口を開く。


淡々と。


「王都の宿は便利です」


「人が集まる」


「情報も集まる」


王太子が視線をルーカスへ向けた。


初めて見る顔、というふうに。


――覚えていない顔。


覚える価値がないと思っていた顔。


ルーカスは、にこりともしない。


ただ、言葉を並べる。


「王都では、噂より“確認”の方が早い」


「それだけです」


王太子の眉がぴくりと動いた。


セレスティナが、話を戻すように言う。


「クラリス様」


「私、心配で……」


来る。


泣く。


この距離なら泣ける。


泣けば、正義が生まれる。


私は息を吸う。


吸って、吐く。


そして――何もしない。


ただ、紙片を指先で押さえた。


「心配なら」


私は静かに言った。


「神殿で、治療の手配をどうぞ」


セレスティナが一瞬、固まった。


(善意を返した)


(泣く理由が減る)


泣けば、“善意を拒否した側”になる。


セレスティナの唇が震える。


泣きたい。


でも泣けない。


王太子が一歩、前に出た。


「クラリス」


「そなたは――」


その瞬間。


レナートが、初めて視線を上げた。


王太子の声が、一拍だけ止まった。


言葉が喉で止まる。


(……出た)


(顔の力)


レナートは、何も言わない。


言わないのに、相手の言葉が止まる。


それが、王太子には許せない。


王太子は喉を鳴らし、無理やり言葉を続けた。


「……そなたは、王都を混乱させている」


私は頷いた。


否定しない。


否定は舞台を作る。


舞台は燃える。


「混乱しているのは」


私は淡々と言う。


「混乱させたい人がいるからです」


王太子の目が細くなる。


セレスティナの指先が、袖の中で硬くなる。


ルーカスが静かに言った。


「今日の目的は何です?」


王太子が笑う。


笑いながら、怒っている。


「確認だ」


「伯爵家の嫡男が、この件に関わっているかどうか」


ルーカスは頷いた。


「確認なら、済みましたね」


王太子の顔が歪む。


セレスティナの微笑みが少しだけ崩れる。


私はその崩れを見て、何もしない。


何もしないまま、勝ちを積む。


「お帰りください」


私は最後に、丁寧に言った。


「宿の主に迷惑です」


沈黙が落ちる。


泣き落としの舞台が、できなかった沈黙。


王太子は、拳を握った。


そして、そのまま引くしかない。


――王太子と聖女は、部屋を出た。


扉が閉まる。


足音が遠ざかる。


王都の喧騒が、また薄く戻る。


ルーカスが、私を見た。


「よく耐えました」


私は紙片を机に置いた。


まだ、見ない。


見ないで勝つ。


それが今日の勝ち方。


「耐えたんじゃないわ」


私は小さく言った。


「何もしなかっただけ」


ルーカスが頷いた。


「それが一番、難しい」


私は息を吐いた。


王都の一日目。


勝ったのに、気が重い。


(でも)


(これで、舞台を一つ潰した)


次は、政治で殴ってくる。


次は、指揮系統で刺してくる。


そして、その次に――泣く。


物語は、燃える前に水を置けるかどうか。


私は、机の白紙を見た。


(やってやる)


(“完成”させて、燃料を奪う)


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