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第60話 保護という名の檻


王都の朝は、上品な顔で人を殺す。


昨夜の音楽はもう消えているのに、床の上にはまだ熱が残っている。


そして熱が残っているうちに――紙が届く。


それが、この街の作法だ。


宿の廊下を歩く足音が、きっちり揃っていた。


軍靴じゃない。


でも、同じ匂いがする。


「王宮府、護衛付添の者です」


扉の外から、礼儀正しい声が響く。


礼儀正しいのに、断れない声。


私は深く息を吸ってから、扉を開けた。


そこにいたのは、王宮府の“付添官”。


肩に銀の飾り。


後ろには衛兵が二人。


そして――白い女が、当然のように立っていた。


セレスティナ。


「クラリス様」


付添官は頭を下げたまま言った。


「王太子殿下より、“保護”の申し出です」


「今般、王都における風聞と治安状況を鑑み――」


「公爵家一行の移動と滞在を、王宮府が補助いたします」


補助。


保護。


配慮。


王都の首輪の言葉。


私は微笑まなかった。


「補助の内容は?」


付添官は、すでに暗唱できる文章を口にする。


「移動経路の事前提示」


「同行者名簿の提出」


「会合の事前申請」


「王宮府による護衛の付与」


「そして――」


一拍。


「随行者の再確認です」


来た。


ここで、レナートを外しにくる。


外せなくても、鎖を短くしてくる。


扉の陰で、レナートの気配が動いた。


あえて前に出ない。


今ここで前に出たら、“医者の感情”が材料にされる。


だから、出ない。


この判断だけでも、彼がもう戦い方を覚え始めているのが分かる。


セレスティナは、そこで小さく咳払いをした。


あまりにも自然で、付添官が止められない程度の動き。


そして、薄い笑みのまま言う。


「……皆様が安全であれば、それでいいのです」


「私はただ、怖いだけで……」


涙はまだ落とさない。


落とせば燃える。


燃えれば、この場で決着がつきすぎる。


彼女は学んでいる。


昨日、一度“効かなかった”から。


セレスティナは視線だけを、扉の奥へ滑らせた。


レナートの存在を探る目。


そして、わざとらしく優しい声で続けた。


「それに」


「……あの子が、また危ない目に遭ったら――」


“あの子”。


名前を呼ばない。


軽く扱う。


相手が大事にしているものに、土足で触るやり方だ。


私は、内心で舌打ちした。


(ここで弱点を渡す気ね)


案の定、セレスティナはレオンハルトに向けた言葉を、この場に落とす。


「殿下は、きっと心配しておられます」


「“弱点”を守るために、皆様が無理をなさらないようにって」


弱点。


今、はっきり言った。


空気が一段冷える。


付添官は、言質を取った顔をした。


「……では、名簿提出を」


「特に、ベルデンベルク卿」


「王宮府として、随行の必要性の根拠を求めます」


「医師であるなら、診療記録の提出を」


「随行対象者と治療必要性――」


私は一歩前へ出た。


ここは私の番だ。


泣き落としの舞台ではなく、机の上の戦場に引きずり下ろす。


「いいでしょう」


私は穏やかに言った。


「名簿は出します」


付添官が目を細める。


「では――」


「ただし」


私は言葉を切った。


「あなたの言う“診療記録”とは、何を指します?」


付添官が詰まる。


私は畳みかける。


「怪我の治療記録?」


「投薬記録?」


「経過観察?」


「それとも、再発防止の指導?」


「王宮府は、医療の定義をどこまで理解していますか?」


付添官は不機嫌そうに言う。


「……常識の範囲で――」


「常識は、条文ではありません」


ルーカスが静かに割り込んだ。


「提出を求めるなら、根拠条文を提示してください」


「医療情報は機微情報です」


「取り扱い規定と保管責任者」


「閲覧権限の範囲も」


「口頭ではなく、書面で」


付添官の頬が引きつった。


王都の“保護”は、たいてい口頭で押し切る。


書面にすると、責任が残るからだ。


セレスティナが、そこで甘い声を挟む。


「……そんなに難しいことを言わなくても」


「皆様のためなのに」


私は彼女へ視線を向けた。


「“皆様のため”なら、なおさら書面です」


「善意は、証拠がないと暴力になる」


セレスティナの瞳が、きゅっと細くなる。


でも泣かない。


泣くのはまだ先。


彼女は燃料を温存する。


その時。


扉の奥から、低い声が落ちた。


レナートだ。


「俺が説明する」


付添官が勝ち誇ったように顔を上げる。


「では、必要性を――」


レナートは淡々と言った。


「ロウは、俺の補助だ」


「同時に、俺の患者だ」


付添官が眉をひそめる。


「患者……? 今も治療が必要なのですか」


レナートはまぶたを半分だけ下ろした。


眠たげな顔のまま、言葉だけが鋭い。


「必要だ」


「怪我の治療だけが医療じゃない」


「再発防止も、生活指導も、保護も、全部治療だ」


「俺が手を引いた瞬間に、また折られるなら」


「それは“未治癒”だ」


付添官は、言い返せない。


ここで否定すれば、“民のための医療”を否定することになる。


王都の役人は、民のためという看板を汚せない。


セレスティナが、初めてわずかに表情を崩した。


(患者、という言葉で守るのね)


(私の涙より、紙より、強い盾で)


私はその反応を見逃さなかった。


――壊れた。


彼女の“効くはず”の前提が、また一つ崩れた。


付添官は咳払いをして、無理に話を進めた。


「……承りました」


「では、保護の手続きは進めます」


「殿下のご意向ですので」


私は首を傾ける。


「殿下のご意向?」


「王命ですか?」


付添官が答える。


「王命ではありません」


その一言で、私は勝った。


王命ではない。


なら、拒否の余地がある。


王が見ている今、王太子は王命にできない。


越えれば、線を越える。


王が切る。


私は静かに頷いた。


「では“協力”という形にしましょう」


「手続きは書面で」


「範囲は限定」


「閲覧権限も限定」


「守秘義務の署名も」


「そして――」


私は机の上の黒封蝋の封筒を、付添官の視線に入るように置いた。


双頭の鷲。


黒。


王へ通す、正式な色。


「こちらも形式です」


「王都は形式を愛するでしょう?」


付添官の喉が動く。


ここで無理に踏み込めば、こちらが“王へ通した”事実が重くなる。


役人は、責任を背負いたくない。


付添官は、最も嫌な形で退いた。


「……書面は後ほど」


「本日は確認まで」


それが王都の敗北の仕方だ。



扉が閉まったあと。


空気がようやく緩んだ。


ロウは椅子にもたれて、首を傾げた。


「……患者って」


「俺、いま歩けるけど」


レナートは見もしないで言う。


「うるさい、患者だ」


ロウがむっとする。


「は? 俺、補助だし」


「補助だから患者だ」


「意味わかんねー」


「分かる必要はない」


その会話だけで、私には十分だった。


ああ、これでいい。


この“定義”が、二人を繋ぐ鎖になる。


切られない鎖に。


私は窓の外を見た。


王都は今日も笑っている。


笑いながら、首輪を作っている。


でも私たちは、机の上でそれを断つ。


泣き落としの火を、条文で消す。


そして次は――


レオンハルトがさらに苛立って、もっと嫌な手で来る。


“保護”が通らないなら、“罪”を作りに来る。


私は、ルーカスと公爵へ視線を送った。


「次は、噂の拡散です」


「セレスティナが燃料を撒く」


「殿下は“正義”を作る」


公爵が頷く。


「なら、先に形を作る」


「王が切れる形を」


レナートが窓際で、短く息を吐いた。


「……医者じゃいられないな」


私は静かに答える。


「ええ」


「でも、医者だからこそ刺さります」


「“民のため”の言葉で」


「彼らの手を縛れる」


ロウが小さく笑う。


「……じゃあ、先生」


「その“民のため”ってやつで」


「ぶっ潰してくれよ」


レナートは一拍置いて、低く言った。


「当然だ」


舞台はまた燃え始める。


けれど、机の上には――冷たい勝ち筋が積み上がっていく。



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