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第6話 神殿裁判、いったん負けます


神殿裁判の日。


朝の空は澄んでいるのに、王都の空気は重かった。

祈り香が街角にまで漂い、誰もが“正統”の側に立っている顔をしている。


(現代で言うなら、炎上裁判の公開日)


私は白猫の微笑を貼り付けたまま、神殿へ向かった。


石造りの大聖堂は、巨大な喉みたいだった。

中へ入った瞬間、音が吸われる。足音すら祈りに変換されるみたいに。


神殿の中央。

裁定の席に、高位司祭たちが並ぶ。


その一段下。

“救済神派”の紋を掲げる司祭が、当然のようにこちらを見下ろしていた。


セレスティアは白い衣を纏い、裁定席の近くに立っている。

潤んだ目。震える肩。胸元で組まれた手。


泣きウサギの外見は、今日も完璧だ。


でも——今日は、泣かせない。


私は袖の中の境界紙に触れた。


(勝つのは後。今日は負ける)


港町ラザルで、灰の司祭が言った言葉を思い出す。


「“追放”を確定させろ。神殿が勝ったと思った瞬間——条文で首を落とす」


悪趣味。

でも合理的。


ルーカスが、私の半歩後ろに立っている。

黒髪はいつも通り整っていて、顔色ひとつ変えない。


それだけで、背中が安定する。


高位司祭の一人が、厳粛に宣言した。


「公爵令嬢クラリス・フォン・アルヴェーン。

貴女は祝福行使を妨げ、聖女を辱め、民心を乱した。

これを“異端契約の行使”として裁く」


“異端契約”。


言い方が上手い。

境界神派の契約は、この国では“魔女”とまとめて呼ばれる。


私は一歩前に出て、礼をした。


「恐れながら申し上げます。

私は祝福そのものを否定したのではございません。

本日この場の行使が、契約に則っているか確認を——」


「黙りなさい」


救済神派の司祭が遮った。

声が大きい。よく響く。


「契約、契約と。

魔女はいつも条文を盾に民を惑わす。

聖女の涙が証である以上、これ以上の確認は不要」


(はいはい、来た来た)


“涙が証”。

現代でいえば“被害者の感情が証拠”。


私は口角を少し上げた。

白猫が“怒ってない”顔を作る角度。


「では、確認は不要という裁定なのですね」


司祭が眉をひそめる。


「そうだ」


私は頷いた。


「承知いたしました」


——負ける。


その空気を、受け入れる。


場内がざわめいた。

“あっさり引いた”ことが意外なのだ。


高位司祭たちが目配せをする。

そして、裁定が進む。


「公爵令嬢クラリス。

貴女の行いは、神殿秩序に対する挑戦であり、民心を乱すもの。

有罪とする」


有罪。


言葉が落ちる。

それだけで、誰かの正しさが完成する。


セレスティアが、胸元で手を握りしめた。

潤んだ目が、今にも涙を落とそうとする。


(泣いてもいいよ。今日は効かない)


私は静かに言った。


「裁定を受け入れます」


ざわめきが大きくなる。


ルーカスがほんの僅かに眉を動かした。

驚きじゃない。確認だ。


“予定通りか”の。


私は小さく頷く。


救済神派の司祭が、勝ち誇ったように告げた。


「神殿は慈悲深い。

今すぐの除名は見送る」


(おっと?)


「ただし」


司祭の声が低くなる。


「公爵家は、娘を“処分”せよ。

さもなくば連座を検討する」


空気が一段冷えた。

脅しの本命。


私は息を吐いた。


(ここで公爵家が“追放”を出す)


父の顔が脳裏に浮かぶ。

守ると言った。領民も守ると言った。


だから、取る手は一つ。


高位司祭が宣言する。


「公爵家の申し出を受理する。

公爵令嬢クラリスは——国外追放」


追放。


その言葉が場内を走った。


“魔女は追放されるべき”

“当然だ”

“聖女が可哀想”

そんな空気が一気に形になる。


セレスティアが、ほっとしたように息を吐き、涙を落とした。

そして周囲が——守ろうとする。


——はずだった。


(……)


糸が、伸びない。


ここは神殿だ。

“救済神派”の空気が濃い。

それでも、涙の増幅がうまく働かない。


境界紙が袖の中で熱を返した。


『理由:裁定が“確定”したため

泣きの誘導余地が減少

次:恐怖の拡散(夜神派)に注意』


夜神派。


恐怖で群衆を動かすやつだ。


救済神派の司祭が、追撃のように言った。


「追放は王都からの追放ではない。

この国の加護圏からの追放だ。

二度と戻るな」


(面子が立ったね。神殿は勝ったと思う)


私は礼をした。


「承知いたしました」


負けた。

追放が確定した。


——ここまでが前半。


場内が“勝利”の空気で満ちたその瞬間。


扉が、開いた。


「その裁定、待っていただきたい」


乾いた声。


祈り香の中を割るように、灰色の外套が進み出る。


顔の下半分を布で覆い、露出しているのは目だけ。

港町ラザルの影——灰の司祭だ。


場内がざわつく。

司祭たちの表情が変わる。


「誰だ!」


救済神派の司祭が叫ぶ。


灰の司祭は淡々と言った。


「境界派。第三者証人として出頭した」


「神殿裁判に、異端が口を挟むな!」


「異端かどうかを決めるのが裁判だろう」


灰の司祭の声は冷たい。


「そして今日は、“祝福”ではなく“契約”の案件だ」


空気が一瞬止まる。


——来た。


私は袖の中で境界紙を開いた。

紙が、勝手に文字を整える。


『手続き:契約審査要求

根拠:複数神契約の優先順位条項

条件:第三者証人の出頭』


ルーカスが静かに言った。


「監査局としても、契約審査を求めます。

本件は寄付金の流れと、祝福行使ログが関わる」


救済神派の司祭が顔を歪める。


「……裁定は下った!」


灰の司祭が一歩進み、告げた。


「裁定は“宗教裁定”として下った。

だが契約違反が含まれるなら、別の裁定が必要だ」


「何を言っている!」


灰の司祭は、私の方を一瞬見た。

目だけで笑う。


「魔女どもが好きな言葉で言えば——条文だ」


場内の空気が、再び揺れた。


勝ったはずの空気に、亀裂が入る。


私は白猫の微笑を深くした。


(よし)


(ここから“刺す”)


境界紙が、最後に一文を浮かべた。


『次:祝福契約の違反提示

“泣きの強制力”の条文化

対象:セレスティア』


私は一歩前へ出て、ゆっくり言った。


「恐れながら。

裁定を受け入れた上で——契約審査を求めます」


そして心の中で付け足した。


(さあ。泣き落としを、条文にして殺そう)

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