表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/69

第59話 医者のままでは守れない


翌朝、王都は静かだった。


舞踏会の余韻は甘く、噂は軽く、笑い声は柔らかい。


――だからこそ、紙の音がよく響く。


権力はいつも、夜ではなく朝に動く。



宿の一室。


机の上に置かれた封筒は、王宮の封緘だった。


白い蝋。


王家の紋。


触れなくても分かる。


これは“お願い”ではない。


“通達”だ。


ルーカスが先に開け、淡々と読み上げる。


「王宮医務局より通達」


「白尺伯爵家に属する医師の市井診療について――衛生監督の臨時調査を行う」


「併せて、当該医師が公爵家随行に加わる正当性を再確認する」


「調査日程は本日中に通知」


“民のため”という名目。


“再確認”という言葉。


要するに――首を絞めに来た。


公爵が、指を鳴らす。


「早いな」


「舞踏会の翌朝に、医務局が動く」


「王太子の指が入っている」


公爵の声は冷たい。


だが、驚きはない。


最初から織り込み済みの顔だった。


私は紙を受け取り、文面を目で追う。


行間に、はっきりと書いてある。


――お前を机の上で切り刻む。


「“随行の正当性”を潰しに来ましたね」


私が言うと、ルーカスが頷く。


「医師としての随行が崩れれば、同行が“私的”になります」


「私的になれば、次は“不適切な関係”です」


「噂を燃料に、罪へ変える」


「王都はそれが得意です」


私は息を吐いた。


泣き落としの燃料は、もう充分にある。


あとは“罪の形”に固めるだけ。


彼らはそれを、紙でやる。


「こちらも紙で返す」


私は言った。


「机で戦う」



扉が叩かれた。


控えめではない。


“ここは王都だ”という叩き方。


入ってきたのは、王宮の監督官だった。


連れているのは衛生官と、書記。


そして、見慣れた白。


セレスティナが“偶然”を装って、すぐ後ろに立っている。


涙の準備をした目で。


監督官が頭を下げた。


「公爵閣下、公爵令嬢クラリス様」


「王宮医務局より、皆様の安全のために――」


“安全”。


“配慮”。


王都の首絞めの言葉だ。


公爵は椅子に深く座ったまま言う。


「用件は書面で受け取っている」


「改めて口で言う必要はない」


監督官は引き下がらない。


「形式です」


「本件、王都の規定に照らし――」


ルーカスが、静かに前へ出た。


「規定の話なら、こちらも規定で返しましょう」


「まず、調査官の権限範囲を提示してください」


「臨時調査の根拠条文」


「調査対象の定義」


「そして、“誰の指揮で”動いているのか」


監督官の目が僅かに揺れる。


私はそれを見て、心の中で数える。


一。


二。


三。


――来る。


案の定、白が動いた。


セレスティナが一歩前へ出て、胸元に手を当てた。


「……怖いのです」


震える声。


「昨夜から、胸が苦しくて」


「魔女が……また、わたしを――」


周囲の空気が、すぐに熱を帯びる。


この場にいる衛生官の顔が変わる。


書記の手が止まる。


“聖女の不調”は、即ち“正義”だ。


私は、内心で笑いそうになった。


(来た来た)


(いつもの燃料)


だが。


次に響いたのは、泣き声ではなかった。



低い声。


怒りを抑えた、冷えた声。


「……その話は後にしろ」


全員が一斉に振り向いた。


レナートが、扉の陰に立っていた。


黒を纏ったまま。


舞踏会の夜の黒ではない。


今日の黒は、もっと実務の黒。


余計な飾りのない黒。


目の下にわずかな影があり、眠れていないのが分かる。


監督官が咳払いをする。


「ベルデンベルク卿、本件は王宮医務局の――」


レナートは、一歩だけ進んだ。


「俺は医師だ」


「だから、“不調”が本当なら診る」


「本当じゃないなら、場を汚すな」


セレスティナの目が細くなる。


泣き落としが、すぐに切られた。


しかも、“治療”の言葉で切られた。


ここで泣けば、診察を要求される。


診察を拒めば、嘘になる。


セレスティナは、笑みを作った。


涙のまま、作った。


「……わたしは、怖いだけです」


レナートは淡々と言う。


「怖さは医務局の管轄じゃない」


「症状があるなら、診る」


「ないなら、帰れ」


場が凍った。


監督官の顔が赤くなる。


王宮の使いが、医師に“退け”と言われた。


しかも丁寧にではなく、事務的に。


それが一番、屈辱だ。


監督官は声を上げた。


「卿! 言葉を選べ!」


「貴殿の市井診療は臨時調査の対象だ!」


「随行の正当性も――」


レナートのまぶたが、ゆっくりと下がる。


眠たげな倦怠が、消える。


代わりに出るのは――切り替わった目。


「随行の正当性?」


レナートが静かに言った。


「なら、手順で示せ」


「俺を外したいなら、俺の代わりを持ってこい」


監督官が言い返す。


「代わりなど――」


「いるだろ」


レナートは遮った。


「王宮医務局には医師がいる」


「神殿にも癒し手がいる」


「俺を外すなら、同等の医療体制を準備しろ」


「それが“民のため”だ」


言い返せない。


言い返せば、“民のため”が崩れる。


崩れた瞬間、これはただの政治になる。


ルーカスが静かに追撃する。


「調査で医師の手を止めるなら、代替計画が必要です」


「計画の提出をお願いします」


「書面で」


監督官の唇が歪む。


公爵が、初めて口を開いた。


「王都は便利だな」


「“配慮”で拘束し、“正義”で黙らせる」


「だが、うちの娘は泣かない」


「泣かないから、燃えない」


私は机の上に、もう一通の封筒を置いた。


黒い封蝋。


双頭の鷲。


そして、宛名は――王。


「調査は構いません」


私は静かに言った。


「ただし条件があります」


監督官が眉をひそめる。


「条件?」


「はい」


私は紙を一枚差し出す。


「臨時調査の根拠条文」


「調査対象の定義」


「指揮系統」


「代替計画」


「そして、聖女殿の“症状”の記録」


「すべて、記録として残します」


監督官は言う。


「……貴殿らは、王都を信用していないのか」


私は微笑まない。


「信用ではなく、形式です」


「王都は形式を愛するでしょう?」



監督官たちが退いた後。


室内の空気は、まだ冷たいままだった。


レナートは窓際に立ち、息を吐いた。


「……ここから先は」


誰に言うでもなく、言葉が落ちる。


「医者じゃいられないな」


私は、横目で彼を見た。


「気づくのが遅い?」


レナートは短く笑った。


笑いというより、疲れだ。


「遅い」


「でも、今なら分かる」


「俺の手を止めれば、誰が困るか」


「ロウだ」


言い切った瞬間、声の底に怒りが沈む。


「俺が診るべき患者を、政治が奪う」


「……許せない」


医師の怒り。


それは、暴力の怒りではない。


順序の怒りだ。


命を守る順序を、権力が壊すことへの怒り。


私は、机の黒い封筒を指で叩いた。


「王は見ている」


「越えた線だけを切る人だ」


「だから、越えさせればいい」


レナートの視線が、鋭くなる。


「越えさせる?」


「ええ」


私は言った。


「泣き落としは燃料」


「政治は火」


「燃えたところを、条文で消す」


「――あなたが揺れない限り、こちらは勝てます」


レナートは一拍置いて言った。


「揺れない」


そして小さく付け足す。


「……医療に関係ないからな」


私は、そこで初めて少しだけ笑った。


舞台の火は強くなる。


でも机の上には、冷たい紙が積み上がっていく。


次は、王太子がもっと露骨に動く。


もっと嫌な手で。


もっと“正義”を装って。


その時、私は躊躇しない。


躊躇すれば、ロウが折れる。


躊躇しなければ――


王太子の線が、越える。


そして王が、切る。


机の上で。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ