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第56話 黒が光を奪う


王都の社交場は、白が多い。


清廉、正統、高潔。

誰もがそういう言葉を意識して、白や淡色を選ぶ。


――特に、王太子の周囲は。


王太子レオンハルトは、白を基調にした正装だった。


象牙色に近い白の上着。

金糸の刺繍は最小限で、あくまで「正統」を前面に出す。

王家として、これ以上ないほど“正しい”装い。


そして、その白の中心に立つことで、

自分が舞台の主役であると、誰に言われずとも示していた。


だからこそ。


会場の空気が、ほんの一瞬、ずれた。


扉が開いたとき。


入ってきたのは、白ではなかった。


黒。


ただの黒ではない。


深い黒に、わずかに青を含んだ――夜の色。


レナート・フォン・ベルデンベルクは、黒を纏っていた。


光沢を抑えた上質な布地。

装飾はほとんどない。

だが、仕立ての良さだけが隠しきれない。


体の線に沿いすぎず、崩しすぎず。

医師らしい実用性と、貴族としての品格が、同時に成立している。


髪は結っていない。


けれど、きっちり整えてもいない。


金髪は、指で軽く梳いただけのように、後ろへ流されている。


一房だけ、額の横に落ちているのが、わざとらしくない。


――“支度に時間をかけていない”という完成度。


そのラフさが、逆に上品だった。


社交の場に慣れきった貴族の余裕ではない。


自分がどう見られるかを、もう一段高いところで理解している男の余裕。


ざわり、と空気が動く。


女たちの視線が、一斉にそちらへ向いた。


「……あの方、誰?」


「黒を着ているのに、重く見えない……」


「医師ですって。伯爵家の……」


囁きが、連鎖する。


白の中に立つレオンハルトは、それを聞かないふりをした。


だが、視線だけは確実に捉えている。


女たちの関心が、

王太子ではなく、黒へ流れていくのを。


(……医者ごときが)


心の中で吐き捨てる。


白は正しい。

黒は影だ。


そう思いたい。


けれど、黒は白を引き立てない。


黒は、白の光を奪う。


レナートは、壁際に寄るでもなく、中央に出るでもなく、

人の流れから半歩だけ外れた位置に立っていた。


背筋は伸びている。

だが、力が入っているわけではない。


どこか――眠たげな気配。


長時間の手術明けのような、

休めていない医者特有の、あの静かな疲労が、動きに残っている。


視線を向けられていることは分かっている。

けれど、それに応える気配がない。


まぶたはわずかに伏せられ、

瞬きも、他の貴族たちより一拍遅い。


(……だるい)


そんな言葉が、喉の奥で転がっていそうな表情だった。


それが、計算ではないと分かるから厄介だ。


社交の場で“疲れている男”は、本来は減点される。

けれど、この男の場合は逆だった。


完璧に整えた黒の装いに、あえて乗せられた倦怠。


余裕とも、無関心とも違う。


“どう見られても構わない”という距離感が、

女たちの視線を、さらに引き寄せる。


誰かが声をかけようとして、躊躇する。


――この人は、今、話しかけていい人なのか?


答えが分からない。


分からないから、惹かれる。


王太子の白が「正しさ」を示す光なら、

レナートの黒は、夜に近い静けさだった。


触れれば、冷たいのか、熱いのか。


それすら、確かめたくなる。




レナートは、会場を見回すことすらしなかった。


誰かに見せるために立っていない。


ただ、必要だから来た、という態度。


その無関心が、余計に人を惹きつける。


私は少し離れた位置から、その様子を見ていた。


(……やっぱり)


内心で、ため息に近い笑いが出る。


白で固めた王太子の“正しさ”が、

黒一色の医師によって、相対化されている。


レナートは、視線に応えない。


微笑みもしない。


挨拶も、最低限。


それでも。


誰かが一歩、近づこうとする。


また一人、距離を詰める。


――そして、その中心に。


白いドレスが、音もなく滑り込んできた。


セレスティナだ。


柔らかな白。


涙を誘うような、清らかな色。


聖女として、完璧な選択。


彼女は、少しだけ距離を詰めて、顔を上げた。


「……レナート様」


距離は、目と鼻の先。


彼女が信じている距離。


“祝福が届く距離”。


レナートは、初めて彼女を見る。


だが、その目は――冷えていた。


「聖女殿」


呼び方は丁寧。


それ以上でも、それ以下でもない。


近づいても、揺れない。


私は、それを見て確信した。


(効かない)


白が近づいても、

黒は白に染まらない。


むしろ、白の輪郭をはっきりさせるだけだ。


レオンハルトは、その光景を、遠くから見ていた。


白の王太子。

黒の医師。

白の聖女。


――そして、

誰が舞台の空気を奪っているかを、否応なく理解する。


男の嫉妬は、ここから本格的に始まる。


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