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第54話 王の沈黙、王太子の芝居、記録の刃


王都の空気は、紙より先に燃える。


だから私は、紙を先に走らせる。


黒い封蝋が冷たいまま固まるのを待ち、声明文を折り、封筒に収めた。


双頭の鷲。


アルヴェーンの印。


この印は「怒り」ではなく「順序」だ。


「王都へ」


私はルーカスに渡す。


ルーカスは迷わず頷いた。


「市場ではなく、宮廷の机へ直接」


「ええ」


公爵が短く言った。


「机の上の戦いだ」


――噂は舞台で燃える。


でも、決裁は机の上で落ちる。


私はその順序だけを信じる。



王宮の奥。


玉座の間ではない。


もっと静かな執務室。


王は机に向かい、紙を読んでいた。


炎の明かりが、紙の端を揺らす。


けれど、王の指先は揺れない。


机の上には、二つの束がある。


ひとつは王太子側の報告。


もうひとつは、監察官経由で上がってきた“記録”。


王は、後者を先に読んでいる。


「……検疫区域で刃物」


王は淡々と呟いた。


「愚かだな」


そばに立つのは、王直属の部隊長。


金属のように静かな男。


王は部隊長を見ずに言った。


「投入の準備は?」


「命令ひとつで」


「まだだ」


王は紙をめくる。


「止めるのは簡単だ。止めた後が難しい」


部隊長は頷く。


王は言葉を続けた。


「王太子が“王の判断”をできるか、見ている」


「王の真似ではない。判断だ」


そして、紙の端を指で押さえた。


「越えたら切る。越えなければ任せる」


王の声は低く、ただ静かだった。


混乱を恐れてはいない。


混乱を利用する者を、測っている。



同じ王宮。


舞台の方では、涙が燃料になっていた。


セレスティナの泣き声は、相変わらず甘く整っている。


「わたしが悪いのです……」


「わたしが未熟だから……」


その横で、レオンハルトが“守る男”の顔をして立つ。


「泣くな」


声は優しい。


優しいふり。


王太子は、優しいふりが上手い。


セレスティナは、睫毛を震わせたまま、内心で確信している。


(まだ、いける)


(泣けば、燃える)


(近づけば、祝福は届く)


一度だけ、あの伯爵家の医師と顔を合わせた。


その時は――魔女の気配があった。


境界の嫌な熱。


だから自分の“届き”が鈍ったのだと、彼女は結論づけた。


(距離のせい)


(目と鼻の先なら、絶対に効く)


(私の可愛さも、私の立場も、全部)


そういう女はいる。


そういう女が、聖女の衣を纏っている。


レオンハルトは泣くセレスティナを見下ろしながら、別の計算をしていた。


(白尺を、王家の柱に)


(医療の流れを、神殿の正義を、王家の指揮下に)


そのためには、彼女が必要だ。


泣ける女は、燃やせる。


燃やせる女は、都合がいい。


愛ではない。


利用だ。


互いに利用している。


セレスティナが小さく囁く。


「殿下……わたし、あの医師の心も、きっと」


レオンハルトは微笑んだ。


「君ならできる」


嘘ではない。


“できる”のは、落とすことではなく、燃やすことだ。


その時、側近が膝をついた。


「殿下。公爵家から声明が届きました」


レオンハルトの眉が動く。


「声明?」


側近は紙を差し出す。


黒い封蝋。


双頭の鷲。


レオンハルトが受け取った瞬間、セレスティナの涙が一瞬止まった。


黒は、舞台の空気を冷やす。


怖いのだ。


“記録”は、燃えないから。


レオンハルトは紙を開き、目を走らせ――口角を上げた。


「……なるほど」


「先に“例”を作ったか」


そして、側近に言う。


「使者を出せ」


「現場へ。こちらから“格式”で踏む」


セレスティナは、心の中で叫ぶ。


(だめ)


(近づく前に、紙で囲われる)


だから彼女は、さらに涙を強くした。


泣き落としの再点火。


燃料を増やす。


燃えれば、紙が濡れると思っている。


でも、紙は濡れない。


濡れるのは舞台だけだ。



現場に、王家使者が来たのは夜明け前だった。


やけに整った隊列。


肩章。


王家の紋。


そして、先頭の男の声は、よく通る。


「王都の名において通告する」


「伯爵家嫡男レナート・フォン・ベルデンベルクが」


「貴族への暴行に及んだ件――」


言い切る前に、私は口を挟んだ。


「検疫規定に基づく記録がすでに存在します」


王家使者の目が細くなる。


「規定より、格式が上だ」


来た。


“空気の言葉”だ。


私は静かに言う。


「格式は、命の前で最優先にはなりません」


「ここは検疫施療所」


「衛生官の監督区域」


「刃物、拘束、脅迫、治療妨害」


「規定違反は身分に関係なく裁かれます」


使者が薄く笑う。


「公爵令嬢、口が立つな」


「だが、王都では“貴族を殴った”が先に燃える」


私は頷いた。


「燃えるでしょうね」


「だから、燃える前に刺しました」


私は机の上の束を示した。


監察官の書式。


衛生官の署名。


現場写真――ではなく、図面と時系列。


この世界の証拠は、紙だ。


「殴った事実は消しません」


私は淡々と言った。


「消さない代わりに意味を固定します」


「これは私刑ではない」


「救助と治療妨害排除です」


使者が言う。


「それは王都が決める」


「王太子殿下が――」


私は一歩だけ前に出た。


足音を大きくしない。


空気を揺らさない。


紙だけを揺らす。


「王が決めます」


使者の眉が僅かに動く。


私は続けた。


「王太子殿下の使者であるなら」


「王へ、記録を上げてください」


「――照会文も添えて」


ルーカスが、さらりと一枚差し出した。


そこには短い文言。


「本件に関し、侯爵家紋の指示系統の関与について照会する」


使者の目が、初めて揺れた。


侯爵の名は、舞台では強い。


だが“照会”は舞台の外へ引きずり出す。


舞台の外では、空気は買いにくい。


使者は喉を鳴らした。


「……侯爵家?」


私は頷いた。


「男爵は“紋章の下で動け”と自白しました」


「その発言は記録済みです」


「王都が格式で踏むなら」


「こちらは指揮系統で刺します」


沈黙が落ちた。


夜明け前の冷たい沈黙。


紙の音だけが聞こえる。


監察官がペンを走らせる音。


施療所の奥から、低い声が落ちた。


怒りを押し殺した、冷えた声。


「……ロウは、誰の管轄だ」


空気が一段、冷たくなる。


王家使者が眉を動かした。


「何だと?」


私は息を吐く。


やっと、土俵が揃った。


「検疫施療所です」


「衛生官と監察官の監督下」


「患者は――この場では“規定の管轄”です」


レナートの声が、もう一度だけ響いた。


「なら、王家の使者は」


「管轄外だ」


言い切ったのは、事実の形だった。


感情ではない。


順序だ。


王家使者の顔が、ほんの僅かに歪む。


格式で踏みに来た足元に、条文が刺さったからだ。


ルーカスが静かに補足する。


「治療妨害と検疫規定違反は、身分で免責されません」


「王都で裁くにしても、まず記録が必要です」


私は机の上の束を指で押さえた。


「――ここにあります」


「“誰が”動かしたかも」


「“どの紋章の下で”動いたかも」


私は答えない。


答えは紙ではない。


命だから。


使者は、最後に強がるように言った。


「王都で決する」


私は静かに言い返した。


「結構です」


「王都で決してください」


「ただし――記録の上で」


そして私は、もう一枚の封筒を示した。


黒い封蝋。


双頭の鷲。


「王都へ先に送っています」


「噂より先に、机へ」


使者は顔を歪めた。


噂は操れても、机は操りにくい。


机には、王が座るからだ。



王宮では、王がまだ紙を読んでいる。


王太子はまだ舞台で泣かせている。


そして私は、現場で“例”を積み上げる。


どれだけ派手に燃やされても。


例は残る。


記録は残る。


私は心の中で言った。


(王は見ている)


(王太子が王として立てるか)


(立てないなら――王の部隊が来る)


その天井がある限り、私は焦らない。


焦るのは、空気を買う側だ。


夜が薄れ、空が白む。


遠くで鐘が鳴った。


王都の一日が始まる音。


泣き落としの舞台が、今日も始まる。


でも――


私はもう台本を置いた。


次は、舞台の上に“証拠”を投げる。



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