第4話 除名の刃、追放の逃がし
神殿裁判まで、三日。
それは猶予ではなく、包囲だ。
宮廷監査局の控室は、窓を閉めているのに落ち着かなかった。
人の出入りが多く、書類の擦れる音だけが絶えない。
(現代の役所みたい)
そう思ってしまう自分が、少し嫌だ。
「公爵家として、今夜中に方針を決めていただきます」
監査官ルーカス・ヴァルツが淡々と言った。
黒髪は短く整えられ、光を吸うように深い。
背は高い。貴族の礼装を着ていないのに、立っているだけで空間が締まる。
華奢ではない。
無駄な脂肪が落ちた体つきで、肩幅がしっかりしている。
剣を握る側ではなく、書類を握る側の人間——それでも、押し返せる強さがある。
「方針、とは」
私が尋ねると、ルーカスは机の上の封蝋文書を指先で押さえた。
神殿紋。祈り香が染みついた紙。
「神殿の狙いは“契約の勝敗”ではありません」
ルーカスは静かに言う。
「あなたの“除名”です。——破門」
破門。
その言葉だけで、喉の奥が冷えた。
神殿の正統から外されれば、生活が詰む。
葬儀も、治療も、取引も、学びも。
この国の“普通”から排除される。
「……いきなりそこまで?」
「“いきなり”ではありません」
ルーカスは首を振った。
「神殿は、すでに公爵家へ通告しています」
「通告?」
「処分を検討しない場合、連座と除名を検討する——と」
私の袖の中で、境界紙が熱を返した。
紙面に文字が浮かぶ。
『除名は“脅し”ではなく“手続き”として提出済み
相手:神殿評議会(救済神派主流)
狙い:公爵家の自壊』
(やっぱり、先に打ってる)
そのとき、控室の扉が強くノックされた。
「入れ」
低い声。
扉が開き、重い外套を翻して男が入ってくる。
公爵——父だった。
同じ銀白の髪が、室内の光を受けて冷たくきらめく。
年の重みがあるのに、背筋は真っ直ぐ。
護衛を連れていないのが、逆に怖い。
(この人、怒ってる)
でも怒りは私に向いていない。
神殿に向いている。
父は私の前に立つと、ほんの一瞬だけ表情を緩めた。
それだけで、胸の奥が少しだけ息をした。
「クラリス」
呼びかけは短い。
それで十分だった。
父はルーカスへ視線を移す。
「監査官。状況を」
「はい、公爵閣下」
ルーカスはすぐに文書を差し出した。
「二時間前、神殿評議会より公爵家宛に通告が届いています。
“公爵令嬢クラリスの処分を検討しない場合、除名および連座を検討する”」
父の指が、紙面を掴んだ。
封蝋を見た瞬間、空気が冷える。
「——連座を盾にするか。下品な手だ」
父は低く言った。
「娘だけでなく、領民まで巻き込むつもりだな」
「その可能性が高いです」
ルーカスが答える。
父は私を見る。
視線は厳しいのに、根っこが違う。
責めているのではない。
守るために、確認している。
「クラリス。怖いか」
私は、白猫の微笑を崩さずに答えた。
「怖くはありません。……面倒なだけです」
父の口元が、ほんの僅かに上がった。
それは、公爵が見せるべき笑みではない。
父親の笑みだ。
「よろしい」
父は文書を机に置き、はっきり言った。
「公爵家は、お前を守る」
その一言で、控室の緊張が少しだけほどける。
同時に、現実が重く落ちる。
守るには、代償が要る。
「問題は領地と領民です」
父が続ける。
「神殿と正面衝突すれば、商会が逃げる。施療院が止まる。葬儀が滞る。
“異端の土地”と烙印を押されれば、領民が生きていけん。」
私は頷く。
(現代でも、組織ってそうだった。個人より生活基盤)
父は拳を握り、しかし声は冷静だった。
「だから、“逃がし”が要る」
ルーカスが補足する。
「最も整う名目は、国外追放です。
公爵家が“国の秩序を守るために娘を処断した”と見せる。神殿は面子を保てる。国は正統を演じられる」
父の目が細くなる。
「……追放が“処断”に見えるのが気に入らん」
「私もです」
私は言った。
「だから、追放を“派遣”に寄せます」
父が私を見た。
「派遣?」
私は息を整え、言葉を並べる。
感情ではなく、順序で。
「監査局の“国外調査官補”。
追放ではなく、国命による国外調査。
表向きの処分は残しつつ、実態は生存の道を確保する」
ルーカスが頷く。
「準備できます。
ただし国王勅令が必要です。王太子の権限だけでは足りない」
父はすぐに結論に触れた。
「国王には私が会う」
即答。
公爵家の当主としての判断だ。
父は私へ視線を戻す。
「クラリス。
追放は“負け”ではない。生きて、取り返せ」
私は小さく頷いた。
「はい」
そして、袖の中で境界紙を撫でた。
文字が浮かぶ。
『追放(名目)=舞台転換
目的:除名回避/連座阻止/証拠保全
必要:公爵の署名/国王勅令/第三者証人』
私は父に言う。
「条件があります」
父は短く頷いた。
「言え」
「祝福行使ログの完全保全」
「すでに封印庫へ」
ルーカスが答える。
「次に、神殿裁判を“契約審査”に変換する準備」
父が眉を寄せる。
「できるのか」
「できます」
私は言い切った。
「複数神の世界なら、神殿の“正統”は絶対ではない。
第三者の神官——境界派の司祭を立てれば、条文の場に引きずり戻せる」
父の視線が鋭くなる。
「……境界派。つまり魔女側か」
“魔女”というのは、ここでは罪名に近い。
境界神の契約を扱う巫女——ただそれだけで、神殿は異端と呼ぶ。
救済神の聖女が泣けば守られ、
境界神の聖女が条文を示せば魔女になる。
「はい。だからこそ、交渉が要る」
ルーカスが地図を広げた。
「港町ラザル。境界派の司祭がいる可能性が高い」
父が地図を見る。
そして、私を見る。
「行くのか」
私は微笑んだ。
「追放される前に、追放先の入口を確保します」
父は一瞬黙り、次に低く言った。
「……危険だ」
「危険です。でも必要です」
私が答えると、父は深く息を吐いた。
「よし。護衛を付ける」
私は首を振る。
「目立つ護衛は逆効果です。
“公爵家が異端と密談”になる」
父が口を開きかけ、止める。
そして、ルーカスへ視線を向けた。
「監査官。お前が行け」
「承知しました」
ルーカスが即答した。
(この男、ほんと話が早い)
父は最後に、私の銀白の髪へ視線を落とした。
優しさを見せない優しさで言う。
「クラリス。
泣くな。怒るな。生きろ」
私は薄金の瞳で父を見る。
「はい。契約で勝ちます」
父は微かに笑って、外套を翻した。
「では動く。二日で港へ。三日目に神殿裁判」
扉が閉まる。
控室に残ったのは、私とルーカスと地図だけ。
ルーカスが言う。
「港へ向かうなら、今夜中に身分証が必要です。
“追放”を“派遣”に近づけるために」
「作れる?」
「作れます。公爵の署名があれば」
私は袖の中で境界紙を閉じる。
(よし。段取りは整った)
神殿が刃を振り上げたなら、こちらは盾を作る。
盾の裏に、刃も仕込む。
白猫の微笑のまま、私は言った。
「準備しましょう。
——まず、契約から」




