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第34話 検疫線の馬車


出発は朝だった。


薄い霧が残る道に、馬車の車輪が静かに跡を刻む。


王家の監察官が手配した馬車は二台。


前方に兵が付き、後方にも兵が付く。


護衛というより、監視だ。


ロウは座席の端に腰を下ろし、外を見た。


町が遠ざかる。


診療所の看板が見えなくなる。


胸の奥がざらつく。


(……まあいい)


言い聞かせるように、唾を飲んだ。


馬車の中には、クラリスとレナート、それから書記が一人だけ同乗していた。


書記は昨夜、書き直した命令書を持ってきた若い男だ。


顔色はまだ悪い。


巻物と封蝋の箱を抱え、なるべく目を合わせないようにしている。


レナートは淡々と、膝の上で紙束を整えていた。


荷物は少ない。


薬草と器具。


最低限の包帯。


そして――紙。


クラリスが持たせた紙の束は、馬車の揺れで微かに音を立てる。


「検疫線の門で止められます」


書記が突然言った。


声が裏返りかけている。


「検査の形式は、神殿が主導です」


クラリスが視線だけで促す。


「形式は?」


書記は喉を鳴らし、慌てて説明した。


「鑑定官が“症状の確認”をする、と……」


レナートが淡々と返す。


「鑑定は診断ではない」


書記が縮こまる。


ロウは横で舌打ちしかけて、飲み込んだ。


(またそれ言われるの、怖いんだろうな)


言葉自体は静かなのに、圧がある。


理屈が正しいだけじゃなく――


“顔がいい”からだ。


ロウは内心で思う。


(なんなんだろうな、これ)


(立場とか関係ねぇのに)


(顔がいい相手に詰められると、こっちが先に負けた気になる)


(ムカつく)


クラリスも同じ現象に気づいている。


気づいているが、わざわざ言わない。


ただ、書記の萎縮の具合を見て、状況を計算している。


馬車が大きく揺れた。


ロウの傷がうずき、眉が動く。


レナートの視線が、すぐに来た。


「痛むか」


ロウは反射で噛みつく。


「平気だっつってんだろ」


「……先生は前見てろ」


レナートは、何も言い返さない。


ただ、いつもの速度で包帯の位置を確認し、薬を手渡した。


「飲め」


ロウは受け取る。


受け取ってから、遅れて腹が立つ。


(なんで俺、素直に飲んでんだよ)


クラリスはそのやり取りを、ほんの一瞬だけ横目で見た。


(……顔のいい医者が、よりによってあんなやんちゃな子を拾うとは)


(世の中、ほんとに分からない)


思っただけで、すぐに紙へ視線を戻す。


気づいたからといって、口に出すほど野暮ではない。


ロウは窓の外へ目を戻した。


街道の先に、木の柵が見える。


兵の詰所。


検問だ。


馬車が止まり、外の声が聞こえる。


「王家の移送だ」


「封蝋を確認しろ」


金属の鎧が擦れる音。


馬の鼻息。


緊張の匂い。


書記が封蝋の箱を抱え直し、震える指で巻物を差し出した。


外で封蝋が押される音がする。


一拍遅れて、車内にも振動が伝わった。


「……通れ」


馬車が再び動き出す。


ロウは息を吐いた。


(まだ検疫線じゃねぇ)


(これはただの前菜だ)


クラリスが紙を一枚取り出し、書記に見せる。


「追加の条項、これですね」


書記が青くなる。


「そ、それは……王命で……」


クラリスは淡々と告げる。


「“神殿鑑定を優先”は削除されました」


「昨夜、書き直してもらったはずです」


書記は言葉を失う。


ロウは目を細めた。


(へぇ)


(ちゃんと紙の勝負になってきたじゃん)


レナートが一枚を手に取る。


視線が速い。


「……この文言」


「“隔離期間は検疫線裁量”」


「裁量者の名が書かれていない」


クラリスが頷く。


「ここが罠です」


「責任者を空欄にして、都合が悪くなったら“誰も決めてない”で逃げる」


ロウは笑いそうになる。


(現代の会社じゃん)


(責任者未定で炎上して、最後に現場が全部かぶるやつ)


クラリスは続ける。


「門で必ず埋めさせます」


「署名と封蝋を付けさせる」


レナートが短く言う。


「……門で揉めるな」


クラリスが視線を上げる。


「揉めません」


「淡々と、手順を踏むだけです」


その言い方が、灰の司祭に似ていた。


ロウはふと、路地裏の影を思い出す。


“泣きの燃料”。


“条文で消す”。


結局、あれは正しい。


馬車の外の景色が変わっていく。


森が増える。


人家が減る。


風が冷たくなる。


そして午後。


遠くに白い柵が見えた。


門がある。


旗が揺れている。


王家の旗。


そして――神殿の旗。


ロウの腹がひやりとした。


(……来た)


馬車が門前で止まる。


外の声が、最初から嫌な調子だった。


「被疑感染者を降ろせ」


ロウが立ち上がりかける。


痛みが走る。


それでも降りるつもりだった。


だがレナートの手が、ロウの腕に触れた。


軽いのに、動けなくなる。


「待て」


ロウが睨む。


「何だよ」


レナートの声が、低い。


「先に、紙だ」


クラリスがすぐに動く。


馬車の扉が開く前に、封蝋の道具を持つ。


書記に命じる。


「責任者の名を呼びなさい」


書記が震えながら叫ぶ。


「検疫線責任者を!」


外がざわめく。


兵が動く音。


一拍遅れて、足音が近づいた。


布の擦れる音。


香の匂い。


神殿の人間の匂いだ。


扉が開く。


白衣の男が顔を出した。


目が細い。


口元だけが笑っている。


「初めまして」


「神殿鑑定官、オルテンシアです」


女か男か、判断がつかない声。


そして、その背後。


王家の紋章。


監察官とは別の男が、腕を組んで立っていた。


視線が冷たく、退屈そうで――


“王太子の側近”の匂いがする。


ロウは直感で分かった。


(レオンハルトの手だ)


クラリスが一歩前に出る。


「検疫線責任者の署名をお願いします」


鑑定官オルテンシアが笑みを深くした。


「署名、ですか」


「ここは神殿の領分ですが?」


クラリスは笑わない。


「隔離は王命です」


「王命の運用責任者は、署名が必要です」


鑑定官の目が細くなる。


背後の男が、口を開こうとした瞬間。


レナートが淡々と言った。


「署名がなければ、私は診断できない」


鑑定官が一瞬、言葉を止めた。


ロウは内心で舌打ちする。


(出た)


(顔がいい+淡々+正論)


(そりゃ怯むわ)


側近の男が苛立ちを隠さず言う。


「医師ごときが――」


レナートは目だけで返した。


言葉は少ない。


「医師だからだ」


それだけで、空気が変わった。


側近の男の言葉が、途中で消える。


鑑定官が、笑みを保ったまま封蝋を取った。


「……いいでしょう」


「署名します」


クラリスが即座に紙を差し出す。


責任者の名。


隔離期間の条件。


医療裁量。


神殿鑑定の扱い。


全部、埋める。


封蝋が押される。


赤い蝋が、固まる。


ロウはその音を聞きながら思った。


(これが檻なら)


(鍵は、紙だ)


クラリスが言った。


「では、降ります」


ロウは立ち上がり、扉へ向かう。


外気が冷たい。


門の向こうは、空気が違う。


世界が一段、硬くなる感じがした。


鑑定官が囁く。


「被疑感染者――少年」


「まず、あなたから」


ロウは答えない。


答えないまま、レナートを見た。


レナートは一歩後ろに立ち、淡々としている。


でも目が、鋭い。


「……ロウ」


小さな呼びかけ。


それだけで、ロウは息を吸えた。


クラリスが横で言う。


「大丈夫です」


「向こうが舞台を用意したなら」


「こちらは、条文で照らす」


門の内側へ入る。


検疫線。


呪毒という名の檻。


そして、敵の目の前。


ロウは唇を噛んだ。


(やってやる)

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