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第33話 検疫線へ


出発の準備は、静かだった。


騒いだところで何も変わらない。


騒げば、向こうに“物語”を渡すだけだ。


クラリスは紙束を机に並べ、淡々と指で数えた。


「王命の文面」


「隔離対象の範囲」


「同行者の権限」


「診療所の管理者の引き継ぎ」


「――検疫線での医療裁量」


レナートが頷く。


「先に押さえるべきだ」


ロウは椅子にもたれ、腕を組んだ。


傷は塞がってきた。


歩ける。


走るのはまだ無理。


でも――逃げるには十分だ。


(……バカか)


自分に言い聞かせる。


今回は違う。


一人で消えたら、もっと面倒になる。


分かってる。


分かってるのに、喉の奥がむずむずする。


この“消えたくなる癖”は、理屈じゃ止まらない。


診療所の奥から、町の男が現れた。


顔なじみの患者――ではなく、手伝いをしている中年の男だ。


診療所の掃除や薪割りをして、時々、薬草を取りに行く。


「先生」


男はレナートを見るなり、眉をひそめた。


「……あんた、王家に逆らう気か」


今朝の監察官の噂は、もう町に回っているのだろう。


恐怖は早い。


感染より早い。


レナートは答えない。


ただ、男を見る。


視線がまっすぐで、表情が薄い。


それだけなのに、男の勢いが一瞬で削がれた。


「あ、いや……その……」


男が言葉を探している。


ロウは内心で笑った。


(出た)


(顔がいいやつの圧)


本人は何もしてないのに、相手が勝手に怯むやつ。


ロウの脳裏に、妙にどうでもいい理屈が浮かぶ。


(文句言う側って、優位に立つ気で来るだろ)


(でも、顔が良すぎると……なんか)


(こっちが“負けてる側”みたいになるんだよな)


(意味わかんねぇのに)


クラリスも同じ現象を見て、目を細めた。


(……ほんと、人間って不思議)


(立場でも金でもなく、顔で萎縮するの何)


現代の職場でも、似たようなことはあった。


怒るはずの上司が、美形の部下に言い負かされる。


言い負かされるというより、自滅する。


自分で怯んで終わる。


レナートは淡々と言った。


「逆らう気はない」


「守るべき手順を守るだけだ」


男はそれ以上言えなかった。


言えないまま、視線を逸らす。


「……診療所、どうすんだよ」


レナートは短く答えた。


「私がいない間は、閉める」


「必要な薬は配る」


「緊急なら、隣町に回せ」


クラリスが紙を差し出す。


「引き継ぎの文面です」


「診療所の備品と薬草の在庫」


「診療記録の保管場所」


「町の代表へ渡してください」


男が紙を受け取る。


受け取った瞬間、肩の力が抜けた。


「……なんだよ」


「ちゃんと考えてんじゃねぇか」


ロウは鼻で笑う。


「当たり前だろ」


言った自分が、少しだけ驚く。


(俺、何で庇ってんだよ)


でも、庇いたくなる。


この人は、こういう時、余計なことを言わない。


言わないで全部やる。


ロウはそういうのに弱い。


男が帰っていく。


扉が閉まる。


ロウはぽつりと言った。


「先生、無自覚だな」


レナートが顔を向ける。


「何が」


ロウは言葉を探す。


言語化すると負ける気がして、言いたくない。


でも、クラリスが淡々と代弁した。


「顔が良すぎて、相手が怯む現象」


「さっきの方、責めに来たのに、途中から謝りそうでした」


レナートは一拍置いた。


「……そうか」


それだけ。


関心が薄い。


だから余計に、腹が立つほど強い。


ロウは舌打ちした。


「自覚しろよ」


レナートは答えない。


答えないまま、机の紙を指で整える。


「明朝出発だ」


「荷は最小限にする」


「検疫線は、余計な荷を嫌う」


クラリスが頷く。


「私の衣装は、簡易にします」


「でも封蝋の道具と、予備の紙は持ちます」


ロウが眉を上げる。


「紙、そんなに要るか」


クラリスは即答する。


「要ります」


「向こうは“呪毒”で燃やす」


「こちらは“条文”で消す」


ロウは笑いそうになった。


(ほんとに現代の炎上対策だな)


でも、この世界ではそれが武器だ。


その時、診療所の外でまた足音がした。


今度は軽い。


騒がしい。


気配が雑だ。


扉が開いて、監察官の書記が入ってきた。


昨日の若い男だ。


顔色が悪い。


紙束を抱えて、息を切らしている。


「追加の命令書です」


「検疫線へ移送する際の――」


レナートが淡々と遮る。


「封蝋は?」


書記が怯む。


「え、あ、あります」


「……こちらです」


封蝋が付いている。


クラリスが紙を受け取り、即座に目を走らせる。


読む速度が異常に速い。


ロウは内心で感心する。


(……この人も、頭おかしいな)


天才って、どっかおかしい。


クラリスが言った。


「医療裁量の条項が曖昧です」


「“神殿鑑定を優先”とあります」


レナートの目が僅かに細くなる。


「それは認めない」


書記が震えた。


「で、でも……王命で……」


レナートは言葉を荒げない。


ただ、淡々と言う。


「神殿鑑定は診断ではない」


「検疫線で死者が出た場合、責任は誰が取る」


書記の喉が鳴る。


答えられない。


ロウは心の中で頷く。


(ほらな)


(顔がいい+正論=最悪の武器)


書記は視線を泳がせた。


そして、ついに折れた。


「……確認して、書き直します」


クラリスが笑わずに頷く。


「お願いします」


「こちらも署名の準備をしておきます」


書記が逃げるように出て行く。


扉が閉まる。


ロウはぽつりと言った。


「今のさ」


「責められてたの、あっちなのに」


「なんで謝って帰ってんだよ」


クラリスが淡々と言う。


「顔が良いからです」


ロウは吹きそうになった。


レナートは無表情で片付けを続ける。


「……冗談だと思うなら、証明してみるか」


ロウが眉を上げる。


「は?」


レナートがロウを見る。


「検疫線で、相手はもっと強く出る」


「その時、君は余計なことを言うな」


ロウは噛みつく。


「言うに決まってんだろ」


レナートの声が低くなる。


「ロウ」


短い。


それだけで、ロウの喉が詰まる。


(……くそ)


(今の、ずるい)


夕方。


診療所は、閉めた。


薬は配った。


鍵をかけた。


ロウは戸口で、振り返る。


ここが居場所だったわけじゃない。


でも、失うと思うと腹が立つ。


クラリスが言った。


「行きましょう」


「向こうが用意した舞台なら」


「こちらが、主役を奪います」


夜。


ロウは寝台に横たわる。


眠れない。


消えたい癖が、喉を這う。


(俺がいなけりゃ――)


そこまで考えた瞬間、扉がノックされた。


レナートだ。


入ってきて、言う。


「逃げるな」


ロウが舌打ちする。


「逃げねぇ」


「……ただ」


レナートは一歩近づいて、低く言った。


「ただ、じゃない」


ロウの喉が鳴った。


反論したいのに、言葉が出ない。


レナートは淡々と告げる。


「明朝、出る」


「君は生き残る」


「それだけだ」


ロウは目を閉じた。


(……くそ)


(この人、ほんとに)


(医者だけしてろって言ったの、俺だったよな)


なのに、医者だけじゃ済まない。


俺が、ここにいるから。


明朝。


ロウは国を出る。


検疫線へ。


呪毒という名の檻へ。


でも――


今度は、条文と一緒に行く。


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