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第29話 保護の体裁、紙に落ちる


倉庫の中は、静かな戦いの音だけが続いていた。


刃が鳴る音は少ない。


布が擦れる音。


息が詰まる音。


足が床を滑る音。


伯爵家の騎士は“静かに運ぶ”ための騎士だった。


だから、音を立てずに終わらせる。


矢を放った男が一人、梁の影から落ちた。


毒矢の手元を押さえられ、膝をつく。


騎士が手首を捻り、武器を落とさせる。


傷は増やさない。


声も上げさせない。


レナートはロウの肩を支えたまま、目線だけで状況を追っていた。


ロウの息は浅い。


縄の痕と、打撲。


それでも目は澄んでいる。


怒りと悔しさが澄んでいる。


「歩けるな」


レナートが言うと、ロウは歯を食いしばって頷いた。


「……歩ける」


その返事だけで十分だった。


レナートはロウを背に下げ、出口へ向かわせる。


その瞬間、白い花の女が笑った。


縛られていない。


まだだ。


彼女は縛られるのを“体裁で避けよう”とする。


「ベルデンベルク卿」


「あなた、誤解していますわ」


誤解。


都合のいい言葉。


レナートは女を見ない。


見ると舞台になる。


代わりに、ルーカスが一歩前へ出た。


「誤解では済みません」


「拉致監禁。目撃者あり」


「あなたの馬車。あなたの紋」


女は柔らかく微笑む。


泣かない。


泣き落としは、市場担当にやらせるタイプだ。


「私は“保護”しただけです」


来た。


体裁の言葉。


ルーカスは淡々と返す。


「では、保護の根拠と手続きを」


「被保護者の同意書は」


「王宮への届出は」


「保護のための医師の同席は」


女の微笑が、ほんのわずかに固まる。


手続きが嫌いだ。


体裁は作るが、紙は嫌い。


紙は逃げ道を塞ぐから。


女は肩をすくめた。


「……そんなもの、必要ですか?」


ルーカスが言った。


「必要です」


「この国では、秩序です」


その言葉が刺さった瞬間、倉庫の奥で灰の祭服が、ゆっくりと息を吐いた。


灰の司祭は、騎士の動きも、ルーカスの紙も、面白そうに見ている。


怒っていない。


焦っていない。


“予定外”を楽しんでいる目だ。


「……なるほど」


低い声が響く。


「秩序とは、紙で出来ている」


その言い方は、祈りじゃない。


観察だ。


灰の司祭は、ゆっくりと手を広げた。


「私はただ、様子を見に来ただけでした」


「噂が、少々うるさくなり過ぎたので」


白い花の女が眉を動かす。


「司祭様……」


司祭様。


つまりこの女も、彼に頭が上がらない。


ルーカスが即座に言う。


「名を」


灰の司祭は微かに笑う。


「名は、紙に弱い」


「だから私は、名を持たない方が便利だ」


便利。


便利のために、人を使う。


レナートの嫌いな種類の言葉だ。


レナートが一歩前へ出た。


指輪が、闇の中で光っている。


「名を言え」


灰の司祭は、言い返さない。


代わりに、視線をロウへ向ける。


ロウの顔。


怪我。


息。


それを、値踏みするように見た。


「……価値がある」


ぽつりと呟く。


呟いた瞬間、レナートの空気が冷えた。


レナートは怒鳴らない。


怒鳴れば、司祭の狙い通り“感情”になる。


代わりに、確実に潰す。


「価値じゃない」


「人だ」


灰の司祭は肩をすくめた。


「人も、価値で動く」


「あなたも、私も」


「違いは、認めるかどうかだけです」


レナートの声が低くなる。


「俺は認めない」


「認めた瞬間、医師をやめる」


その言葉に、灰の司祭は少しだけ楽しそうな顔をした。


「……いい」


「医師のままで、どこまで出来るか」


「興味が湧きました」


白い花の女が口を開く。


「司祭様、ここは——」


灰の司祭は、女を見ずに言う。


「あなたは取り調べを受けなさい」


女の微笑が消えた。


「……は?」


灰の司祭は淡々と続ける。


「あなたは“保護”の体裁を作った」


「なら、その体裁の責任も負うべきだ」


白い花の女の瞳が揺れる。


彼女は捨てられた。


体裁の駒は、体裁のまま捨てられる。


ルーカスが即座に騎士へ合図した。


「拘束を」


騎士が女の腕を取る。


女が初めて声を荒げた。


「待って!」


「私は神殿のために——!」


ルーカスが淡々と言う。


「その言葉を、調書に残しましょう」


「あなたの“保護”が、誰のためだったか」


女の顔が青くなる。


紙にされる。


ここで言った瞬間、逃げ道が消える。


灰の司祭は、その様子を見て、さらに面白そうに言った。


「ほら」


「紙は、人を正直にする」


レナートはロウの肩を支え直し、出口へ向けた。


ここに長居はしない。


長居すると、“次の手”が飛んでくる。


ロウが小さく言う。


「……先生」


レナートはすぐ返す。


「喋るな」


「息を整えろ」


医師の言葉。


だが、声がほんの少しだけ柔らかい。


ロウは目を逸らした。


悔しそうに。


それでも、歩く。


レナートが言う。


「帰ったら縫う」


ロウが小さく笑った。


「……縫うの、好きだよな」


レナートは答えない。


答えないが、歩幅を少しだけ合わせた。


倉庫の外。


冷たい夜気。


馬車が待っている。


伯爵家の馬車だ。


白い花の馬車ではない。


体裁ではなく、力の馬車。


ルーカスが背後から言う。


「女は確保しました」


「供述調書を取ります」


「“保護”の体裁は、こちらの紙で潰せます」


レナートは短く言う。


「頼む」


ルーカスが頷く。


「灰の司祭は……」


レナートは歩みを止めずに言った。


「放っておけない」


「あれは、面白がってまた来る」


灰の司祭は、倉庫の入口に立ったまま、こちらを見ていた。


追ってこない。


今は追ってこない。


追わないのは、勝ち筋を見ているからだ。


彼は小さく手を上げた。


別れの挨拶みたいに。


そして、静かに呟く。


「次は、紙の外で会いましょう」


レナートは振り返らない。


振り返らないまま、低く言った。


「次は、紙の中に入れてやる」


馬車の扉が閉まる。


ロウが中で、ようやく息を吐いた。


レナートはその息を聞いて、やっと気づく。


自分の手が、まだ震えていないことに。


震えない。


震えないから、守れる。


守れるから、医師でいられる。


そして――


医師でいるために、伯爵家を使う。


それが今夜の答えだった。

灰色の司祭は、自分の想定よりガチャいた状況を整理しにきたら巻き込まれたので、そのまま状況を楽しんだ。という。。。ネジ飛んでる系なのです。

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