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第27話 裏門の名、守る手


神殿の裏門は、正面より汚い。


汚いのに、静かだ。


正面は祈りで守られている。


裏は、金で守られている。


レナートは黒い外套の襟を上げ、影の中に立っていた。


伯爵家の指輪は、まだ指には嵌めない。


嵌めた瞬間、相手が逃げ道を変える。


だから今は、影のまま動く。


ルーカスが隣で低く言った。


「出ます」


裏門の小扉が軋み、細身の男が出てきた。


灰色の布。


神殿の下役の服。


名はバルト。


泣き役の女に金を渡した男。


そして神殿の裏門へ消えた男。


バルトは周囲を見回し、足早に路地へ入る。


その背に、レナートは付いた。


付く距離は遠すぎず、近すぎず。


昔からの癖だ。


医者の癖じゃない。


貴族の子として育った癖だ。


路地を二つ曲がったところで、伯爵家の騎士が前に出た。


腕の立つ者。


静かに運ぶ者。


バルトが息を呑み、踵を返そうとした瞬間――


レナートが、前に出た。


声は低い。


「動くな」


バルトの足が止まった。


怖がって止まる。


理屈じゃなく、本能で止まる。


レナートは近づき、バルトの目線より少し上から見下ろした。


「お前が市場の泣き役を雇った」


バルトが震える。


「な、何の話だ……」


レナートは返さない。


問答は時間だ。


時間は逃げ道だ。


「ローワンはどこだ」


バルトの顔色が変わる。


その変化だけで十分だった。


「知らない!」


ルーカスが淡々と紙を出した。


「今夜の出入り。裏門の当番記録」


「あなたの名がある」


「嘘をつけば、王宮に提出します」


バルトの喉が鳴る。


紙が怖い。


神殿の下役は、紙が怖い。


神殿は紙で人を殺すからだ。


レナートは一歩詰めた。


「俺は医者だ」


「だから生かす」


「だが——」


声が冷える。


「次に薬を混ぜたら、患者が死ぬ」


「患者が死んだら、お前が死ぬ」


脅しではない。


事実の提示だ。


バルトの瞳が揺れる。


「ち、違う……俺じゃない……」


ルーカスが言う。


「では誰ですか」


バルトが唇を噛み、吐く。


「……俺は金を渡しただけだ」


「紙を貼れって……言われただけだ」


「誰に」


バルトが視線を逸らす。


逸らした先は、神殿の裏壁。


神殿の中。


「言え」


レナートの一言は、刃だ。


バルトは震えながら吐いた。


「祭服の人だ……」


「白じゃない」


「灰色の……灰の祭服」


灰。


レナートの背中が一瞬だけ冷えた。


灰の祭服。


“灰の司祭”の名が、頭の奥で形になりかける。


(まだ確定じゃない)


確定じゃないなら、紙にする。


ルーカスが即座に追う。


「名は」


バルトは首を振る。


「知らない……」


「俺みたいな下役が、名なんて……」


レナートは息を吐いた。


苛立ちが混じる。


それでも、次の一手が必要だ。


「ローワンはどこだ」


バルトは言った。


「……連れていく話じゃなかった」


「ただ、噂で潰すだけのはずだった」


「でも、昨夜から変わった」


「変わった?」


バルトの声が小さくなる。


「“価値がある”って」


「だから“確保する”って」


確保。


保護じゃない。


確保は、物だ。


バルトが続ける。


「場所は……俺は知らない」


「でも、馬車は見た」


「裏門じゃなく、北門の外」


「古い倉庫街の方へ」


北門の外。


倉庫街。


ルーカスが紙に書く。


紙に書いた瞬間、それは地図になる。


レナートは言った。


「馬車の印は」


バルトが一瞬迷い、吐く。


「神殿の印じゃない」


「……花」


「白い花の印」


白い花。


クラリスの中の白猫じゃない。


神殿の花紋。


それとも、貴族の家紋。


どちらでも、糸になる。


レナートは騎士に目配せした。


騎士がバルトを押さえる。


静かに。


傷を増やさない。


増やせば、神殿の餌になる。


レナートはルーカスへ言った。


「紙にしろ」


ルーカスが頷く。


「供述調書にします」


「署名も取ります」


「王宮と公爵家へ回付」


レナートはバルトの前に屈んだ。


目線を合わせる。


泣かせない。


脅しても、泣き落としの舞台にしない。


ただ淡々と言う。


「今から、お前は俺の紙の中だ」


「逃げられない」


バルトが震える。


「……俺、殺される……」


レナートは返す。


「殺させない」


「生きて吐け」


それは医師の言葉だ。


でも同時に、貴族の言葉でもある。


レナートは立ち上がり、夜の空を見た。


北門の外。


倉庫街。


白い花の印。


そして“価値がある”。


ローワンは、神殿にとって便利な駒だ。


喧嘩が強い。


裏の匂いが分かる。


敵のやり方が読める。


だからこそ危ない。


“使える”子は、壊されやすい。


レナートは外套の裾を握り、低く言った。


「クラリスに伝えろ」


「王宮へも」


「神殿が『緊急』を言い出す前に、こちらが動く」


ルーカスが頷いた。


「はい」


そして、レナートはポケットの中の指輪に指を触れた。


まだ嵌めない。


嵌めるのは――


取り戻したあとだ。


取り戻すまでは、医師でいる。


医師でいるから、守れる。


守る対象は、患者だけじゃない。


あの赤毛の子も、だ。


レナートは騎士に言った。


「北門へ回す」


「倉庫街を、囲め」


騎士が一礼し、闇へ散った。


その瞬間。


ルーカスの紙が、風でめくれた。


紙の端に、薄い灰がつく。


神殿の灰じゃない。


倉庫の灰だ。


レナートはそれを見て、目を細めた。


今夜は、追いつく。


追いついて――


今度こそ、手を引き戻す。

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