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第21話 禁じられた監督官


共同施療所の灯りは、夜だと余計に目立つ。


灯りが目立つ場所は、噂が集まる。


噂が集まる場所は、刃物も集まる。


だから夜の施療所は、昼より危ない。


馬車が止まる前から、クラリスは気配を数えていた。


入口に二人。


角に一人。


窓の下に一人。


見張りの立ち方が、患者の家族のそれじゃない。


仕事の立ち方だ。


「来てるね」


クラリスが小さく言うと、ルーカスが頷いた。


「神殿の手先ではなく、誰かが雇った者です」


「役割は?」


「見て、伝える」


お父様が短く言った。


「入るぞ」


扉が開く。


中の空気は、昼より張りつめていた。


薬草の匂いの奥に、緊張の匂いがある。


受付の女性が顔色を変えて立ち上がる。


「クラリス様……!」


「大丈夫」


クラリスは白猫の微笑で言う。


「誰が来た?」


女性が小声で答える。


「神殿の監督官です」


「さっき来て、勝手に部屋を見て回って……」


「そして奥で、レナート様と揉めています」


揉めている。


レナートが揉めるのは、珍しい。


揉めるときは、“越えられた”ときだ。


クラリスは奥へ進んだ。


廊下の空気が冷たい。


扉の前に、神殿の印章をつけた男が立っている。


背は高くない。


でも姿勢がいい。


人を押しのける姿勢じゃない。


“正しさ”を背負う姿勢だ。


男はクラリスを見ると、丁寧に一礼した。


「アルヴェーン公爵令嬢」


フルネームじゃない。


でも称号をつけて、距離を固定する呼び方。


クラリスは微笑み返す。


「夜分にどうも」


男は柔らかく言った。


「王宮からの決定は承知しております」


「しかし現場は混乱しております」


「混乱は罪を呼ぶ」


言葉が綺麗すぎて、危険だ。


綺麗な言葉は、汚いことを隠せる。


クラリスは首を傾げた。


「王宮決定を承知しているなら、なぜここに?」


男は微笑んだ。


「視察です」


「監督ではありません」


言い換え。


監督と言えば禁じられる。


だから視察と言う。


クラリスは白猫の微笑で言った。


「視察なら、手続きを」


「どの命令書で?」


男は懐から紙を出した。


封蝋は神殿のもの。


王宮ではない。


「神殿の内部命令です」


クラリスは瞬きをひとつ。


「内部命令は、内部で効きます」


「ここは共同施療所です」


「王宮の運用規定により、神殿の単独介入は禁止されました」


男の微笑が、ほんの少しだけ薄くなる。


「禁止されたのは“監督”です」


「私は監督ではない」


「ただ、民の安全のために——」


クラリスは途中で切った。


「定義遊びは結構です」


「命令書の提出先はどこですか?」


「王宮ですか?監査局ですか?」


男は答えない。


答えられない。


答えられない紙は、紙じゃない。


ルーカスが一歩前へ。


「監査局ルーカス」


「あなたの身分証と所属、任命状を提示してください」


男は丁寧に出した。


「神殿監督官補、エルネスト」


名が出た。


ここで名を出すのは、覚悟か、罠か。


エルネストは続ける。


「私は“監督官補”であり、監督官ではありません」


「視察の権限が——」


ルーカスが淡々と返す。


「補でも監督官の系統です」


「王宮の運用規定に抵触します」


エルネストが小さく息を吐く。


息の吐き方が、疲れている。


疲れている演技かもしれない。


でも演技でも、隙になる。


「分かりました」


「では視察は中止します」


引く。


引きながら刺す。


エルネストは微笑んで、クラリスへ言った。


「ただ一つだけ、確認を」


「ローワン殿は、ここにいますか?」


空気が変わった。


ローワンは屋敷で寝ているはずだ。


でも今この場で名前を出すのは——


狙いがローワンで確定した。


クラリスは微笑を崩さない。


「いません」


「怪我の治療中です」


エルネストが、少しだけ眉を動かす。


「怪我?」


「神殿の保護下にあったはずですが」


クラリスは言う。


「保護ではなく拘束です」


「診断書は王宮に提出済み」


エルネストは、悲しそうに目を伏せた。


「……私の管轄外の者が」


「もし本当なら、遺憾です」


遺憾。


それも便利な言葉だ。


遺憾で終わらせるための言葉。


クラリスは淡々と返す。


「遺憾では済みません」


「あなたが遺憾なら、協力してください」


エルネストが顔を上げる。


「何を」


クラリスは言った。


「神殿の監督系統の、命令ルート」


「誰が、誰に指示を出したのか」


「救貧倉の監督官は誰の指示で動いたのか」


エルネストの微笑が消える。


消えた瞬間の顔が、本当の顔だ。


「それは——」


ルーカスが淡々と続ける。


「言えないなら、あなたは“視察”ではなく“牽制”に来た」


「つまり、現場を押さえに来た」


エルネストは一瞬、黙った。


そして、柔らかく言った。


「牽制ではありません」


「……警告です」


クラリスが目を細める。


「何の?」


エルネストは静かに言った。


「今夜、ここに“事故”が起きます」


「火ではない」


「もっと静かな事故です」


背中が冷える。


静かな事故。


それは、薬だ。


投薬。


誤薬。


混入。


医療の現場で一番怖い汚さ。


レナートが、奥の扉を開けて出てきた。


顔は平坦。


でも、目が冷たい。


「何の話だ」


エルネストは一礼した。


「レナート・フォン・ベルデンベルク殿」


フルネームを出した。


敵意のフルネームだ。


「あなたの施療所は、狙われています」


レナートは短く言った。


「知っている」


エルネストが続ける。


「私は止めに来ました」


「だから、ローワン殿を引き渡してください」


止める。


その代わり、差し出せ。


汚い交渉だ。


クラリスは白猫の微笑で言った。


「差し出す対象は、人ではありません」


「紙です」


「あなたが知っていることを、紙で出してください」


エルネストの目が揺れる。


揺れたのは、焦りじゃない。


迷いだ。


迷いがあるなら、切れる。


お父様が初めて口を開いた。


「名を言え」


エルネストが少し驚いて答える。


「エルネストです」


「家名は?」


エルネストは一拍置いた。


「……名乗れません」


名乗れない。


つまり、神殿の中で捨て駒の立場だ。


クラリスは微笑を薄くした。


「名乗れない人の“警告”を、どう信じればいい?」


エルネストが、息を吸う。


そして静かに言った。


「信じなくていい」


「ただ――今夜、薬棚を見てください」


「鍵と封印」


「誰が触れたか」


「そこに“指”が残ります」


言い終えると、エルネストは一礼した。


「視察は中止します」


「私は帰ります」


そう言って背を向けた。


背を向けた瞬間が、一番危ない。


ルーカスが低く言う。


「追いますか」


クラリスは首を振った。


「追わない」


「追ったら、相手の物語に乗る」


「今夜は、棚を守る」


レナートが平坦に言った。


「薬棚の鍵は僕が持つ」


「封印は今すぐやり直す」


クラリスは頷く。


「やろう」


「静かな事故を、静かな紙で殺す」


施療所の中央で、レナートが薬棚を開ける。


一本ずつ薬を確認する。


手つきが丁寧すぎる。


丁寧すぎる手つきは、怒りを隠す。


ルーカスが封印蝋を置く。


お父様が印章を押す。


印が増えるほど、抜け道が減る。


そのとき、外で小さな悲鳴が上がった。


「……っ!」


受付の女性が駆け込んでくる。


「奥の患者さんが……急に、呼吸が……!」


静かな事故は、もう起きていた。


クラリスは白猫の微笑を捨てた。


捨てたのは一瞬だけ。


命を守る順番が先だから。


「レナート!」


レナートが走る。


走るのに、足音がしない。


怖いほど無駄がない。


クラリスはルーカスを見る。


「棚の外」


「誰が触れたか、今すぐ」


ルーカスが頷く。


「記録にします」


静かな事故を、静かな紙で殺す。


今夜はそれができるかどうかの夜だ。


そして、神殿の“新しい監督官”は、もう一度だけ振り返っていた。


扉の隙間から。

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